先日久しぶりに都心へ出ました。国立新美術館。始めていきました。でかいことでかいこと。ついでに入り口で音声ガイドも借りて中野京子さんの解説付きでした。イタリアルネサンスからバロック、ロココと来て、フランスアカデミーから印象派、それにセザンヌやピカソやマチスもそれぞれ1枚展示されてました。
僕の好みはアルプスより北の絵で、しかもバロックよりもっと前のほうが好きだからねぇ。そういう意味では。。。。でも、ヴァン・ダイクのやたらと美男の自画像とか、むかし読んだ若桑みどりさんの「女性画家列伝」に出てきたヴィジェ・ルブランとカウフマンのそれぞれ美人画家の自画像なんかが展示されていて、ヴィジェ・ルブランのいかにもフランス風の洗練されたかわいらしい自画像と、いかにもドイツ人らしい田舎の美人といった感じのカウフマンの自画像が並べられていてうれしかったです。
中野京子さんは印象派に駆逐されてしまった感のあるフランスアカデミーの画家に思い入れがあるようで、ジェロームという僕は全く知らなかった画家の「舞踏会の後の決闘」という絵の解説に、ずいぶん力が入っているようでした。ぼくも印象派って好きじゃないんで(だって、印象派の画家って絵が下手じゃない??)、うんうんと音声ガイドを聞いていました。
で、ふと思ったんだけど、印象派が出てくるまでは絵は物語性があったんじゃないか。印象派によって、それ以前の絵画の物語性(文学性)が否定されたんじゃないか、ってそんなことを考えました。
映画でもそうだけど、映画は映画であって文学ではないって言って、ストーリーの話とか、演出や役者の話は映画本来の批評対象ではない、みたいな風潮がはやったことがあったけど、絵画でも同じように、絵画に物語性は不要だという風潮が大勢を占めて、それに対して印象派って言うのは絵そのものの図像性というのかなぁ、文学性(=物語性)がない絵が多くて、ある意味で印象派が持てはやされたのは、絵そのものの評価以上に、物語性を排除したい批評の側から、特に印象派が批評しやすかったということはなかったのかな、なんて、まあ、素人の戯れ言ですけどね。ただ、印象派ってどうしてそんなに(日本だけではなく世界的にも)人気があるのかな、ってどうも僕にはよく分からないんですよね。
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