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思い出のリエージュ・バストーニュ・リエージュ

2010.04.23.00:15

いや、なに、思い出の、と言ったって、実際に生で見たことはないんですよ、このレース。ただ、リエージュ・バストーニュ・リエージュ(以下LBL)って言われると、1980年代後半からのレースが印象的なんですよね。ミロワール誌やウィニング誌、あるいは自転車競技マガジン(このころはまだサイスポではクラシックまで載っけてくれていなかったような気がします)だよりなんですがね。

なんと言ってもこの時代、1985年からモレノ・アルジェンティン が3連覇し、さらに1991年にも勝っていて、4勝を上げているんです。もっとも時代をさかのぼればメルクス は5勝しているんですけどね。

いや、ここに書きたいのはアルジェンティンのことではありません。書きたいのは、このアルジェンティンの4度の優勝でことごとく同タイムでゴールしていながら、ついに一度もLBLに勝てなかった選手、クロード・クリケリオン のことですねん。いぜん、スーパークリテのときの記事でも書きましたが、わたしってば、クリケリオンを応援してましてん。オークションではジャージまで手に入れた話もしました。

前にも書きましたが、1985年、クリケリオンはLBLの直前のフレッシュ・ヴァロンヌで単独アタックを決めて、アルカンシェルを着てユイの壁を登り、優勝しているんですね。Winning誌では、これぞ、真の世界王者とあります。
Winning No.25 1985, August
© 1985 Winning No.25


それに対して、2位になったアルジェンティンは、クリケリオンを逃がしたのが大失敗、今後徹底マークすると発言。まさにその通りで、LBLではクリケリオンのアタックに反応したアルジェンティンとスティーヴン・ロッシュ の3人が逃げてゴールスプリント。こうなれば、もちろんアルジェンティンが優勝、クリケリオンが2位となったのでした。
DSCF5036_convert_20100420101455.jpg
©1985 Miroir 367 (アルジェンティンのビアンキのマイヨも懐かしいですね。久しぶりに見たけど、これ綺麗だな。)


翌年はこの逃げが、クリケリオンとアルジェンティンに、アドリ・ヴァン・デル・プール とダグ・エリック・ペデルセン が合流、4人になり、またまたアルジェンティンが優勝、クリケリオンはゴール前であきらめたか4位。

このときは、クリケリオンの積極的なアタックをアルジェンティンがマーク、ヴァン・デル・プールが追いついて、3人で逃げていたんですね。もしこの3人でゴールスプリントとなれば、アルジェンティンとヴァン・デル・プールは互いにゴールスプリントに自信があっただろうし、クリケリオンがゴール直前に逃げたら逆に牽制しあって、クリケリオンが優勝する可能性もあったかもしれません。でも残り20キロほどのル・フォージュの丘でペデルセンが追いついてきてしまうんですね。レース後、ペデルセンは、クリケリオンに悪いことをした。自分が追いつかなければ、彼が勝っていただろうと語っています。
DSCF5038_convert_20100420101439.jpg
©1986 Miroir 381

次の年はクリケリオンとロッシュだけで逃げます。この二人なら、85年の結果からすれば、ついにクリケリオン、地元のレースで優勝か、と期待がふくらんだのですね。ラスト10キロでクリケリオンとロッシュは、数人の追走集団を引っ張るアルジェンティンに対して1分以上の差をつけます。ところが、あとはリエージュの町に入るというあたりで、二人は牽制を始めてしまいました。そしてラスト500メートルで突然追いついたアルジェンティン、あれよあれよという間に先頭でゴール。見ていたメルクスが同国人の後輩クリケリオンをこき下ろしましたね。ばかげてる!勝つ気がないのか、って。結局2位はロッシュで、気落ちしたクリケリオンは3位。
DSCF5039_convert_20100420101418.jpg
©1986 Miroir 394

DSCF5040_convert_20100420101402.jpg
©1986 Miroir 394

だめ押しは1991年。これはヴィデオも出ていたので、見ている人もいるかと思いますが、やはりクリケリオンが登りで単独アタック。するとしばらくして後ろからするするとアルジェンティンが数人を引き連れて追いついてきます。途中セレンセンの単独逃げなどもあるんですが、有名なル・ドゥートの丘でアルジェンティンとクリケリオンとセレンセン とインドゥライン の4人になり、そのままゴールへ。スプリントでは当然のごとくアルジェンティンが優勝。クリケリオンはまたしても2位でした。ゴール後、アルジェンティンの肩をポンとたたいたクリケリオン、すでに引退も近く、一番勝ちたかったこのレースにとうとう勝てなかったという悔しさもあっただろうにね。

結局アルジェンティンの優勝はすべてクリケリオンが同タイムでゴールしているっていうわけ。しかも(たぶん)どれもクリケリオンを徹底マークした形で4勝。一つぐらい地元のクリケリオンに勝たせてやればいいのにねぇ。

さて、今年はどうなるでしょうね。やっぱ、ジルベール かなぁ。

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comment

こばやし
アメリカンとか、マジソンなんていうのは当時のアメリカの盛況振りを現していた競技名だよね。いまは全然ピンと来なくて、なんでアメリカンなの?って感じる人も多いだろうけど。そもそもアメリカンやマジソンという言葉がもうないのかな?(^^;

今日はビノクロフだったんですか?久々だけど、復活できて良かったね。
2010.04.26 00:20
CYPRESS
↑はいはい、1920年代までアメリカでは6日間レースが大変盛んで人気もありました。
出走料、賞金共に現在の競輪並かそれ以上だった様です。
たしかマジソン スクウェア ガーデンが焼失してから急速に人気が下がったはずです。
2010.04.25 23:06
こばやし
ブラックもかな?

競輪って言うのはたぶん競技場のレースという意味だろうね。当時だとスプリントやアメリカンレースが盛んだったのかな?ショー的な要素もあって、アメリカでは人気があったようだけど。マジソンスクエアなんかその時代にあったのかな?いまのマジソンは建て替えられたものだったと思うけど。
2010.04.25 21:56
CYPRESS
パット クリアリィを知ったのはWinning誌1988年8月号。
お悩みは昔のジャージの色が分からん、知ってる方いたら教えて、って書いてあります。
図版が3枚あり今のHPにないね。
多分
1:
1981年ツール、ロベール アルバンが霧の峠で逃げる。
(解説は1963年ツール、アンクティル、プリドール、バーモンテスとなってるけど明らかに間違い)
2:
峠を上るコッピとコーブレット。多分ツール。年は調べたら分かりそうだけど面倒臭いからパス。
3:
1987年ツール、木洩れ日の峠を上るデルガドとローチ。
カメラマンのバイクが前に2台、右斜め前に1台。

おまけにクリアリィ自身が1983年パリ~ルーベ、コイペルをペインティングナイフで描いている写真が1枚。

当時48歳だから今年70歳古希。肉筆をお望みの方はお早めに。

大日本印刷あたりで豪華美術印刷した豪華本作ったら絶対買うけどなぁ…

ダリやフジタもロードレース関係を描いたけど(→ジャン デュリーの自転車百科事典に載ってる)、写実で描いてるのはクリアリィだけかな?

自転車選手もやってたんでロードレース界ではちと有名なモーリス ド ヴラマンク。
1982年の日本初の回顧展の図録には、106点中自転車やロードレースの絵は無し。
この図録の年譜によると、1876年生れ。
選手だったのは1893年から1896年。腸チフスにかかって選手を諦めた。

>1918年から1920年まで競輪に興じる

って書いてあるけど、何なんだ?

ズーテメルクの絵は記憶に全く無いから、分かりましぇ~ん。
2010.04.25 14:23
ヴァルデマール
情報ありがとう。クリアリィのサイト見ました。良いですねぇ。うーん、格好良い。ただ値段は結構良いなぁ。現時点で30万近いや。プリントだと3600円ぐらい。しかし売れちゃった奴のほうが多いね。

レオン・シエールとユジェーヌ・クリストフの1920年のツールが良いですねぇ 笑) 道は砂利道ですよ。

ヨーロッパの古書関係のサイトなどを見ると、よくこうした絵を額に入れた形で売っていたりしますね。むかし、ミロワール誌にズーテメルクがピレネーでアタックするシーンの絵が小さく載っていたことがあったけど、あれもこの人かしらん?
2010.04.25 11:00
CYPRESS
追伸
パット クリアリィというイギリスの画家を御存じ?
油彩でロードレースの絵を描いてます。
1980年のリエージェ~バストーニュ~リエージェも描いてます。

参考
PAT CLEARY ART
http://www.patclearyart.co.uk/
2010.04.23 12:42
CYPRESS
リエージェ~バストーニュ~リエージェと言えば、私はメルクスとVANの栄光を知ってる最後の世代なので、やはり1980年。
雪の中を走ったあの年です。
ミロワール誌は1976年から存在を知ってましたが(あの頃は売っている自転車店もあった)、買ったのは1980年の“libre d'ore”が最初のはず。
1年のレースの総集編で雪の中を走るイノーの写真も載ってました。
それから5,6年後、シャニーの年鑑“l'anne du cyclisme 1980”とWinning誌から出たイノーの伝記“Hinault by Hinault”を手に入れ、1980年のリエージェ~バストーニュ~リエージェの印象が固まりました。
年鑑a.d.c.の写真は白黒の魅力爆発の美しい写真でした。
暗鬱なアルデンヌの森とレース関係の車を背景にし、走るイノーを正面から撮った写真。もう一つの主役が降りしきる雪。
そしてこのレースで指が一本凍傷になったのを知ったのが伝記“H.b.H.”。

ロードレースの見た目の美しさとその裏の過酷さが分かった2番目のレースかなぁ。
(最初のレースは1975年のツール)
2010.04.23 09:25

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アンコウ

アンコウ
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あんけ・たつや。欧州ロードレースに興味を持ってすでに30年以上。主にドイツ人選手を応援。特に青田刈りにいそしむ。歳にも関わらず、あらゆる点ですごいミーハー。そのほか好きなものは、読書、音楽はバッハと友川カズキ、北方ルネサンス絵画、映画、阪神タイガース(村山、江夏以来ですが、強すぎないこと希望、弱すぎはもっと困るが)。北欧の社会民主主義に対する憧れ強し。家族構成は連れ合いと娘三人。

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