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フレーリンガーのブログ、カタロニア 3

2012.03.23.14:54

この第三ステージ、やっぱりものすごいことになっていたようです。ステージ後のホテルで、5つのチームの機材車とバスが夜のうちに雪に埋もれ、除雪車が出動して、やっと第四ステージのスタート地点まで下っていくことができたそうです。この第三ステージでは5人の選手が落車リタイア、34人がレースを放棄したとのこと。この落車リタイアにはジュリアン・ディーンとダミ声の「鳥の歌」ことフールサンが含まれ、二人は骨折の重傷、バッソも膝を強打してリタイアしてます。

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ピレネーの雪
2012, 3/21

今日のステージが始まる前の段階で、僕は最悪のことを覚悟してた。そして、できればそんなに悪いことにはなりませんように、って祈ってた。でも無駄だった。

このレースのオルガナイザーはきっと自分たちが適切な判断を下せなかったことを後悔するだろう。すでにこの時期にこんなステージを設定するなんて大変なリスクだ。

この数日、ゴール地点は似たような天気だった。だけど今日の予報ははっきりしていた。遅くとも今朝のうちに別の選択肢があったはずだ。

ぼくらは土砂降りの中をスタートした。僕らの前には210キロのコーストカテゴリー1級とカテゴリー超級の山がそれぞれ2つづつあった。

最初の登りは「たったの」1000メーターで、逃げグループ作りのアタックが激しかった。僕もアタックしようとしたけど、最後の数キロで完全に頭打ち、決定的なアタックに乗れるような状態じゃなかった。

下った後、メイン集団は再びまとまった。次の登りでは雨がますます強くなった。加えて暴風になり、最後の何キロかでは雨は雪まじりになった。下りが始まると、道ばたは凍っていて、道の真ん中は雪まじりのぬかるみになった。たぶんこの時点ではどの選手達もレース取りやめにするべきだと思っていただろう。しかし道の状態はまだ走れる状態だった。体中がこわばり震え、その震えのおかげでフレームも震えた。完全にびしょ濡れ状態で、ほとんど氷点下のなか、下りが30キロも続いた。こういう日ってこれまでもあった、でもレースでこんなに寒かったのは記憶ない。何人かの選手が自転車に乗っていられず、伴走車に乗り換えて下った。さらに補給地点で同じ事をする選手も何人も出た。

次の山岳賞の始まりに、突然ラジオでゴールは数キロ先の何とかいうところになったと放送が入った。ぼくには後何キロなのか正確に分からなかった。それどころかこの連絡が届いていなかった選手も何人もいたらしい。ほぼ155キロ地点で突然車がたくさん止まっていてゴールラインがあった。そこでタイム差が手動で計測され、順番が記録された。結局成績は総合タイムに換算されなかったようだ。10人の先頭グループがものすごいタイム差でゴールしたらしい。でも彼らにはこのステージの順位だけしかなかったわけだ。乾いた着替えもなく、僕らはみんな車に乗り込んで、峠を越えて、チームのホテルがある谷へ降りていった。峠は雪で覆われていた。だけど、本来計画されていたゴール地点はこの峠よりさらに200メートルも標高が上だったんだ。。。

実際関係者一同にとって最悪の日だった。オルガナイザー、スポンサー、テレビ放映、そしてなにより僕ら選手にとって最悪。多くの選手が自転車を降りた。みんな自分の健康を危険にさらし、残ったのはたいして意味のない成績だけ。みんな、この日のことはずっと忘れないだろうね。僕としては全く逆だ。つまりその前の二つのステージを忘れて、立ち直らせてくれる日だった。明日以降の天気は再び良くなるようだ。だからこの後は自分の調子を試したり、上げていくために走り続けよう。

アスタ・マニャーナ

ヨハネス
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雪の中のステージで有名なのは、古くは56年のシャーリー・ゴォルの モンテ・ボンドーネの大逆転とか88年のジロのがヴィア峠でしょう。どちらも以前話題にしましたっけ。





でも、過去にはそういうレースは一杯あるんですね。イノーが勝った大昔のリエージュ・バストーニュ・リエージュも吹雪の真っ白のなかを走っています。



他にも、スタート後にコースが突然短縮された例も、だいぶ昔のジロであったようです。そのときは一人だけ逃げていた選手が突然のゴールにびっくりしたという話が伝わっています。詳しくは右のアマゾンリンク「ジロ・ディ・イタリア ー 峠と歴史」に出ていますので、興味のある方はどうぞと宣伝しておきましょう 笑)

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comment

アンコウ
CYPRESSさん、

はいはい、ケネディ兄弟社の75年ジロ、お借りしたままでしたね 笑) ただ、あれは天気良かったからなぁ。しかしオルガナイザーは、ひょっとして雪で走れなくなったら、ドッチラケの最終日になるかもしれなかったのに、よくあんなリスクを冒したものです。

この年のジロ、あまり話題にならないのは僅差の優勝争いした二人が今となっては無名の選手だからでしょうね。3位になったジモンディが優勝者だったら、今でももっと頻繁に話題になるジロだったことでしょうね。
2012.03.24 21:52
CYPRESS
お、一言抜けてました。
1975年の最終区間のゴールがステルビオ峠の頂上でした。
最後のゴールがヨーロッパで車が通れる三番目(?)に高い峠の頂上なんてアンリ・デグランジェが好きそうなレース全体のレイアウト。
2012.03.24 14:38
CYPRESS
イタリア人は「ガオル」って発音してるし、「ブロイキンク」って発音してますな。
ジロの雪といえば、やはり、雪は降ってなかったけど雪の壁の間を登って行く1975年最終区間のステルビオ峠でしょう。
30年前イギリスのケネディ兄弟社の本でこの区間の写真を初めて見た時、初めてプロの厳しさを実感しました。しかも最終区間なのにお気楽顔見世レーースじゃないんだもんなぁ。
1980年のリエージェでイノーの指が凍傷になったのを知ったのは更に5年程後のことでした。
2012.03.24 14:31

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アンコウ

アンコウ
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あんけ・たつや。欧州ロードレースに興味を持ってすでに30年以上。主にドイツ人選手を応援。特に青田刈りにいそしむ。歳にも関わらず、あらゆる点ですごいミーハー。そのほか好きなものは、読書、音楽はバッハと友川カズキ、北方ルネサンス絵画、映画、阪神タイガース(村山、江夏以来ですが、強すぎないこと希望、弱すぎはもっと困るが)。北欧の社会民主主義に対する憧れ強し。家族構成は連れ合いと娘三人。

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