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アンクティル家の遺品

2012.03.19.10:08

拙ブログのコメンターの Arturo さんから、なかなか見ることができそうにない写真がいろいろ届きました。今回は Arturo さんが懇意にしているアンクティル家から、当時の様々なトロフィーと当時のマイヨの写真です。Arturo さんに感謝。

ジャック・アンクティル、1960年前後にツールに初めて5勝した選手です。TTスペシャリストで山も山岳スペシャリストとは言えないまでも、強かった選手。インドゥラインがその戦法をまねたと言われたものです。でも、山とTTって、グランツールを勝つための必須条件ですわなぁ。

各トロフィー、その1_convert_20120319100956

この写真のパネルはコッピと握手する20ぐらいのアンクティルです。コッピがアルカンシェルですから1954年のものだと思われます【後記、この年号は1953年です。これが判明する経緯は、この記事のコメントと、この次の次のアンクティル、謎のイエロージャージのコメント欄をご覧ください】。アンクティルはこの前年に19歳でプロ入りし、すでにGPナシオンなんかに優勝しているんですね。しかし、当時の写真はまだ白黒ですから、トロフィーを掲げていても、金色なのか銀色なのかがわかりませんでしたが、どうやら金色が多かったようです。でもだいぶくすんでますね。アンクティルほどの選手ですから、記念館があると思いきや、ないんですね。こんなふうに自宅に雑然と並べられています。

各トロフィーその2_convert_20120319101233

アンクティルは卵形の理想的なフォームで、どんなときでもかかとがつま先より下がらないペダリングと言われました。しかし、強かった頃はライバルの万年二位のプリドール(ツールではステージ優勝もあるし、総合2位も何度もあるけど、ついにマイヨ・ジョーヌを一日たりとも着ることがなかった)のほうが圧倒的に人気があり、アンクティルはいわば敵役だったと言われています。

あ、ちなみに、前にも何度か書いたように、昔の選手に関するヴィキペディアは間違いが多いです。このアンクティルについても、子供はいない、と書かれていますが間違い。だって、Arturo さんがアンクティルの息子さんとお友達ですから。

ほかにも、当時のマイヨも、なんか普段着のようにぶら下げられているんですねぇ。

ジャージ各_convert_20120319114733

手前から二つ目ぐらいの白いマイヨは肩に虫食い穴が空いてない??当時のウールマイヨはすぐに虫に食われます。わたしも昔のウールマイヨ、穴空いてます。アンクティルは最後はビックだったんですね。しかし、管理の仕方があんまりにテキトーじゃない? 笑)

いろんな逸話のある人で、ツールの休息日にバーベキューパーティーをやって酒をがぶ飲みしたり、65年には600キロを走る(ただし半分はバイクぺーサー)ボルドー~パリに優勝した翌日、医者が止めるのも聞かずGPナシオンに連続出場して、これも優勝したり、ちょっとむちゃくちゃですね。その変人振りはこのDVDにもよく出ています。

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引退後の家庭も、なんかちょっと信じられないようなむちゃくちゃぶりなんですが、TV解説者としてはユーモアのセンスもあって、非常に人気があったそうです。フィニョンの時もそうでしたが、アンクティルも癌にかかっていることを公表し、半年後に53歳で亡くなりました。

いろんなおもしろい語録が残っていますが、一番感動的なのは、死の前日、現役時代のライバルのレイモン・プリドールが、アンクティルを見舞いに行ったら、こう言ったそうです。

「わりいな、レイモン、また俺のほうが先にゴールだ」


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comment

アンコウ
いやいや、だからパネルは53年は間違いないでしょう?? 僕が書いたのはヴィキをみたら一瞬53年じゃ合わないなと思ったが、ヴィキ以外のものを見たら、やっぱり53年でオッケーということよ。つまりあのポイントはヴィキペディアはまたしても間違っている! ということ。
2012.03.21 21:37
arturo
なるほど。確かに、でもねえ、現地では余り、日本と正反対で、メルクスのポジションの話があまりネタにはなってない感じがする。(そのブロワの落車じゃあないけど、先進国にはネタが他にも一杯あるからね。まあ、、、しかし、日本メディアはあいも変わらず、、、状態!?。)
 日本の場合、ネタがないんで、このネタをNまさん以降、延々と焼き直して使ってきたフシがある。そう感じる訳、そう言った旧態依然とした体質のアンチテーゼとしても書いたつもり。(これはいつかのケッセルの件も同様。少しは進化しなさい。と言う事でね。まあ、いつかも何度の書いてるけど、現実に僕の概念を覆す事は果たして?だけども、、、)

 それと、ひつこーい(笑),パネルネタだけど、バラッキとして、仮に54年だとするなら、これが世界選より前に開催された事を立証する必要に迫られる!?。(当然ながら、世界選以降はアルカンシェルを着る資格はボベへと移る。バラッキで負けたボベにとっては不仲の発端だと依然書いたけど、あのレース、54年だったらボベがアルカンシェルを着て、(かつ、この場合コンビを組むアンクティルも。)出走しないといけないからね。よって、コッピXアルカンシェルxバラッキ=問答無用53年と言いたかった訳。
 僕の曖昧な記憶だと、確かアンクティルは53年の途中からラペルルと契約して、かつ、その足で、(!?)最初のナションを獲ったと思っていました。つまりは、いつかの不仲の話に戻ると、ボベとアンクティルが組む、と言うのは、艱難辛苦の末、ついにツールを獲った男が、(=頂点に立った。しいてケチをつけるなら、コッピが居ないと言う事位か!?。)高校卒の小僧ルーキーと組むようなもんで、ハナであしらいたい気持ちが有っても不思議はない!?。ところがいざ走り出したらいつか書いたようにとんでもない事に気づかされた。と言う展開!?。
 しかし一体なんの話だ!?。(もはや最近の常套句!?笑)
2012.03.21 19:34
アンコウ
まあ、深谷さんはともかく、ヨーロッパでもテキトーなファンならメルクスはポジションにこだわったと信じている人って多いんじゃないの? 何で読んだんだったか、レーススタート前にハンドルの高さを調節するメルクスの写真と一緒に、彼はポジション調整が趣味だったみたいなおどけた書き方をしたキャプションを読んだ記憶があるよ。

パネルの件、なるほど、と思って、ついでにアンクティルの所属チームを確認にフランスのヴィキへ行ったら、53年はフランセーズに所属となっていて、おお、やっぱ、あのパネルは54年だ!!と思ったら、手元の巨大な選手名鑑を見たらやっぱりパール・ユッチンソンになっていました。ということは、あのパネル、53年と書かれているのなら、やっぱりアンクティルは53年はパールの選手で、ヴィキの情報は間違いってことが判明。まあ、どうでもいいんだが。

意味不明ついでに、なるほど、そのうち記事にするネタにできそうだけど、Helyett-Saint-Raphael-Hutchinson (エリエ・サン・ラファエル・ユッチンソン)というチームの正式名称は62年だけだね。そう考えて62年の成績を見てみたけど、ツール以外にそれらしい優勝がないね。バラッキにアルティヒと一緒に勝ってるぐらい。ブエルタもたぶん総合1位には、どのステージでもなってないんじゃないかなぁ。 

でもツールならHDの文字がないし、国別対抗の時代だからチーム名のロゴなんか入れないよね。うーん、充分記事になるネタだ。
2012.03.21 09:25
arturo
しかし、投稿は進んだけど、結局、当初アンコウ様が(メール上)懸念してたツッコミ投稿は(こっちの想定どおり)やっぱないねえ。(ここでも僕の概念は覆ずじまい?!)

  この展開だと、安心して!?パート2画像もアップする?。それとコンメッソ系も?。(どこかで、「どうせ作り話のニセモノだろう?!。」と思っている輩がいる!?。)
  パート2やるなら、僕の作ったレプリカ(と言えば聞こえはいいが、要はニセモノ。)各自転車の画像も送るから一緒に載せる?。

  それと(しつこい!?)パネルの年代ですが、これは、と言う訳でチャンと見たら、バラッキと書いてありました。(今これを書いている、直ぐ横にあり。)とすると、これはもう問答無用で53年ですね。皮肉にもいつか話しに出した、例のボベ、との不仲のスタートの件、あの日の写真、と言う事になる!?。かつ日付も、このカメラマンが写真を渡した日と思われます。(アンクティル本人の目の前で書いた?。)少なくとも、間違いなくコッピ、と言うことは無いですね。
  このレース、コッピが獲って見せた訳で、世界チャンピオンの貫禄を誇示した格好になる!?。(写真の表情も!?。)

  それとF産業のキャッチコピーは(但し、今現在全く同じかどうかはは知りませんが、、、。)「かつてメルクスほど自転車に敏感な選手は居なかった。」と言う類のスタートの下りです。「それは彼のあくなき完璧を求める~」みたいな。キャッチコピーでした。まあ、こう言うくだりの方が自転車売りやすいだろう、と言うのも確か!?。
  先のコメントが示すとおり、完全なポジションなどない訳で。(=このポジションで走れば、永遠に背中の痛みから解放される!?。そんなのアリ!?状態。)常に流動的(!?)に変化してた。せざるを得なかった訳で、、、。彼の無敵の強さの背後には、こうして”爆弾”を抱えながら走っていた、と言う事でしょうか!?。
  あるイタリア人が言ってましたが、(名前さえ知らないけど。偶然メッキ屋で知り合った。今は自転車屋をコモのエリアでやっていたけど、今は引退してたとか言ってたけど、、。但し、単なる自転車屋ではない風情。言ってる事がおかしい!?)曰く、「メルクスはレース中もクソもない。レース中でも、クルマの上のあの自転車のサドル、あれが欲しい。」とか想像を絶する注文を走行中つけてきた。」「最後はレース勝つから。(=苦労は報われる。)皆黙るけど、、、。」(でなかったら、、、、)
  まあ、重箱の墨系の話だけど、、、。何の話だ?!以前に、、、。
  ハテ!?。
  (ドサクサ紛れのついでに訂正、あのジャージはロゴからして、多分63じゃなくて62と思われます。勘違い。でも、これって第三者はサッパリ解らないか!?。)
2012.03.20 21:28
CYPRESS
ブロワの落車で痛めた背中とポジションの細かい調整とフレームスケルトンの細かい対応がデローザに繋がってるんじゃない?
コルナゴは市販車製作販売に忙しくて、手に負えなかった?!
デローザは長澤さんがいたからウーゴ親父がメルクスに専念出来た?!
デローザは契約する前にウチなら細かく対応できるから、是非!、是非!って売り込んだ?!

アンクティルのパネルの書き込みはどうでもいいから、俺に下さい(笑)。
コッピとアンクティルが一緒に写ってるなんて(言葉が出ない)…
2012.03.20 19:33
アンコウ
なるほどね、サインは写真を撮った人なの?コッピってことはない?しかし、だとすると、写真のアンクティルは19歳かな? 僕もその落車シーンの写真は見たことがあるよ。もんどりうって、っていう言葉を思いつくような、前方宙返り。深谷さんのキャッチコピーは知らない。そういえば、ウチにも、どこかに、だいぶ前に深谷さんから購入した大判のメルクスカレンダーがあるはずだなぁ。
2012.03.20 19:00
アンコウ
17区間、ゴール前、アナウンサーが興奮しちゃって、残り200メートル、190メートル、180メートル、って10メートル刻みで叫んで、ブラボー、メルクス! ブラボー、メルクス!! わたしは興奮しています~!!! って叫ぶやつ。4つの峠をすべて単独でトップで逃げてきたってやつ。2位に10分近い差をつけたってやつね。
2012.03.20 18:54
arturo
日付の件は、勿論、写真を撮った人物の手書きです。僕の憶測だと、写真(パネル)をアンクティルに渡した日じゃないかと思われます。何やら能書きが書いてあるしで、、、。(やっぱ、接写写真送らないとダメ!?。)一つ言えるのは、53年に、54年に撮った写真は渡せない!?。(タイムマシンが要る!?。)
  そうです。最悪の経験、そっちで正解です。少し前、芝大門のSサイクルに置いてあったビチスポルト誌に回顧コーナーで、この記事載ってましたね。記事の見出しは、「あの日メルクスは死にかけた。」と言う感じでした。これは別ネタからですが、メルクスのコメントで、「あの日を境に背中の痛みに悩まされるようになった。よって、ちょっと何かあると、ポジションを微妙に動かして(力を逃がす)対応せざるを得なくなった。」と言うことで。前述のF産業のキャッチコピーを始めとして、日本ローカル、業界で流布されている話がいかにガセかが解るエピソード。
2012.03.20 17:55
CYPRESS
メルクスがブロワのモーターペースのレースで落車したのって、
1970年じゃなかった?

1969年のツールでメルクスは文字通り無敵だったからアンクティルは出ても何にも出来なかったでしょう。
例のリュション~ムランクスの第17区間で制限時間オーバーで失格になっちゃうでしょ。
2012.03.20 17:28
アンコウ
ん~、デルニの死亡事故?

年号は53年だとすると、やっぱり写真を作った時じゃないのかなぁ。いくら暖かくてもヨーロッパの11月で半袖レーパンはないような気がするけどなぁ。でも、そうすると、世界戦は8月末だったから、写真を撮ったのは9月じゃない?11月だと周りももう少し厚着しそうな気がする。年月日ってサインなの?プリント?
2012.03.20 17:24
arturo
いや、ジェミニアーニの件はともかく、最悪の経験の方は、絶対高田馬場で、話題に出た!。これは当時、その場に居たTさんも言ってたじゃん!。
 世間ではメルクスは機材に物凄いうるさい選手だということになってるけど、これは、この一件が災いした物で、それ以前はノーマルだった。ポジションに微妙に拘らざるを得なくなってしまった。(=最悪の経験)

  そう言えば、いつだったか、全く事実無根のトンチンカンなキャッチコピーを書いている、自転車メルクスの輸入元のF産業のS部長さんに「S橋さん、あのキャッチコピーどうにかならないですか?事実無根にせよ、この会社は無知です。てCMしてるようなもんじゃないですか!。」と言ったら、「社長に言ったれ~。」と言われ、「ちょっと、社長、て、あなた部長でしょう!。」と言ったら、「そんな事知っとるの、日本中でARTURO君だけだがや!。」(=取り合う必要なし。)と言われたのを思い出しました。しかし何の話だ?。

  なんにもヒントになってない!?けど、これで少しは元ネタ思い出してきた?。それとも泥酔のせいにする?。

  パネルの数字の件は、後で「オマエ視力いいだろう?。}とクリストファーに解読しろ、とやったら、55,45(それは有り得ない)と後、「ごめんごめん。これは53だ。」となりました。(そこの接写画像送るしかない?!)
2012.03.20 15:52
アンコウ
Arturo さん、

ジェミニアニの話は初めて聞くと思います。酔っぱらっていると記憶が飛ぶことがあるけど 笑)

うーん、バスク一周は今頃のレース?当時も?アンクティルって35ぐらいで引退だよね?でもメルクスが出たツールでなにかできたとは、やっぱり思えないなぁ。あのメルクスはジロでの怨念をそのままぶっつけたみたいな無茶苦茶な強さだったらしいから。

メルクス最悪の記憶って? ジロのマフィアにおとしいれられた(といわれている)ドーピング失格事件じゃないの? ちなみに記事中のDVDのシリーズにメルクス編もあって、そこのラストで、後悔していることはある?という質問に、75年のツールで途中リタイアしなかったこと、って答えていたよ。

パネルの年号は、うーん、ただ周りの人の服装もヨーロッパの11月っていう感じじゃないよねぇ。まあ、なぞだぁ。
2012.03.20 11:47
アンコウ
びんちゃん、

いやぁ、種本はドイツ語と英語の本。もともとのフランス語は知らないんですよ。僕が主語だったのか君が主語だったのかは、わかりまへん 笑)

自転車乗ってますか?
2012.03.20 11:33
びんちゃん
最後の逸話『ツール100話』では微妙に表現が違うよね。
「レイモン、悪いな、また君は僕より後だ」
2012.03.20 00:05
arturo
選手ガ半そでなのは理解できるけど、周囲の人は皆着こんでますぜ。
 しかし一体何の話だ?。
 それと今、1枚だけ独立して画像送信再トライしてみました。
2012.03.19 18:32
アンコウ
Arturo さん、

ちょっと今、年号の話だけ。11月?? いや、半袖マイヨだからやっぱりこれは11月はないんじゃないかなぁ。。。あえて記事中で54年と限定して書いたのは服装が春先から初夏かな?と思ったわけ。53年の世界戦後だと秋だから、周りも含めて、もう少し暖かそうな服装じゃないかと読んだわけ。

ちょっとその他はまたあらためて。
2012.03.19 18:10
arturo
おっ案の定(!?)アップしましたね。
  2点補足しておきますと、コッピの写真、よくよく近づいてみると隅に何やらかいてあり、日付も入っていました。但し、年は読めませんでした。しかし11月9日となっており。(妙に遅いな。シーズン終わってんじゃん!?。それとも撮影者の名前が入ってるから、これを当時作った人物の日付かも!?。いずれにしても、、、)53年の可能性が高そうです。(54年の11月だと時既に、アルカンシェルはフランスに行っている。しかし前述の要因だと、54年の物を11月に作った可能性もゼロとは言い切れないけど、、でも53年と見るのがまあ、より自然か!?)

  ジャージの写真、一番手前のジャージ、これもジャージの上に着る奴(元祖ボンディング!?)だけど。こんなのもあったのね、状態。
  それとジャージの方に、何やら青いジャージが覗いてますが、これは、バスク一周レースの物です。(と書いてある。)
   するとやっぱりこれも、69年、現役終盤の物、と言う事になる!?。
  とすると、彼が獲った、最後の勝利(細かい物は覗く。まあ、今で言うワールドツアー!?クラス!?。)では?と思われます。
  以前投稿したっけ?!、この勝利で、ジェミニアーニは前言をひるがえし、「もはや議論の余地は無い。この勝利が示すとおり、次のツール、我らがBICチームは、ジャックの為に選手枠を一人リザーブしておく。」と。もし実現してたら、メルクスとアンクティルがツールの舞台で顔を合わせていた事になった!?。
 しかし、ジャック本人が、「バスクに勝ったと言う事と、ツールを走ると言う事とは、もう全く別次元の問題だ。ツールを走ると言う事は、全く別の用意を強いられる。等号で繋がる訳が無い。」とこれを辞退(却下!?)夢の顔合わせは実現しなかった!?。まあ、69年のメルクスのツールデヴューは尋常じゃあなかったから、走らなくて正解とも言えるか!?。(アンクティル引き立て役にされていた!?。)
  69年のメルクスの勝利は単純に鮮烈過ぎるだけじゃなく(ジャージ独占、と言うニュアンスだけじゃあなくて、)メルクス本人がいつかFr2の番組の中で、もっともいい思い出、として1番に上げてる位だからなあ、、、。(ちなみに最悪の記憶もやはり69年(但し、ジロの失格事件ではない)。いつか投稿したかぁ、、、。これも、確か、、、。プレゼンターに「じゃあ、あなたは69年に最高と最悪、両方経験した訳ですね?。」となる。)

  しかし一体何の話だ!?。(笑)
2012.03.19 17:58
CYPRESS
素晴らしい!
シャルパンティエの『三声のマニフィカート』と並ぶ秀逸な記事。
アメリカのホートン夫妻がこの記事見たらアンクティル家へ買い付けに来る!
その前にここのブログ主殿が買いに行きなさい。
でも、マイヨージョーヌが無いのが残念。
写ってないけど、1枚位残ってないんでしょうか?
それにマリアロッサも。
個人的にはコッピと並んで写ってるパネルだけでいいや(笑)。

アンクティルと言えば…
アンドーラの休息日にバーベキューに行って二日酔いになり翌日ヘロヘロになりながらも、監督のジェミニアーニに「プリドールにカッコ悪いとこ見せていいのか、ジャック?」とか言われ、
突然自尊心の火が点き濃霧のアンバリーラ峠の下りで前を行く車のテイルライトを手掛かりにブレーキを掛けずにかっ飛ばした…
この話、かなり好きです。
ま、この手の「紙の中のロードレース」はブログ主殿にお任せしましょう。
2012.03.19 15:46

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プロフィール

アンコウ

アンコウ
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あんけ・たつや。欧州ロードレースに興味を持ってすでに30年以上。主にドイツ人選手を応援。特に青田刈りにいそしむ。歳にも関わらず、あらゆる点ですごいミーハー。そのほか好きなものは、読書、音楽はバッハと友川カズキ、北方ルネサンス絵画、映画、阪神タイガース(村山、江夏以来ですが、強すぎないこと希望、弱すぎはもっと困るが)。北欧の社会民主主義に対する憧れ強し。家族構成は連れ合いと娘三人。

* 時々コメントが迷惑コメントとしてゴミ箱に入れられることがあるようです。承認待ちが表示されない場合は、ご面倒でも書き直しをお願いします。2017年8月3日記す(22年3月2日更新)

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