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トゥーラォって知ってますか?

2010.04.13.07:17

昨夜、Radsport-new.com を眺めていたら、Thurau の文字が目に飛び込んできました。トゥーラォ。そんなにない名前なので、間違いなく一世を風靡した選手ディートリヒ(ディディ)・トゥーラォ の息子だろうと思ったら、その通りでした。ビェルン・トゥーラォ。23歳。父のディートリヒは、当時の雑誌などを読むとチュラウとかチューロー、あるいはスロウなどと表記されています。

去年の冬にプロ・ツールチームのフートン・セルヴェットと契約直前でご破算になったそうで、その後これまで宙ぶらりん状態でモチヴェーション低下状態だったのが、アマチュアのU23チームに入り、再帰を期すというニュース。

1977年のツールでステージ5勝、初日から15ステージまでマイヨ・ジョーヌを着続けるという衝撃的なデビューを飾った父親のほうは、その後世界戦二位とかLBLに優勝などしますが、80年代に入ると期待されたほどパッとせず、チームを転々としたあげくドーピングで出場停止になったりして忘れられていきました。当時の自転車競技マガジンなどでは「わがまま」とか「性格が悪い」とか言われていましたね。

77年のツールについてはサイクルツーリング関係の老舗サイト「サイクルツーリングへのお誘い」で紹介されてます。

    1977年ツール、アサヒグラフ

名選手の息子たちって、最近はあまりぱっとしません。クリケリオン の息子マチュウも引退しちゃったし。。。さて、トゥーラォの息子、一度はプロ・ツールチームと契約直前までいったわけで、今後はどうなることでしょう。


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comment

こばやし
73年の件については真相は闇の中だけど、カンパ対シマノって構図があったことは確かだね。それが結果に影響したかどうかはまた別のはなしだと私は思っているけど。メルクスとマルテンスの力関係や、いろいろな回りの状況がああいった結果になったんだろうけど。
2010.04.15 12:58
ヴァルデマール
ぼくも昔の雑誌インタヴューで、マルテンスが早起きして150キロ走り、お昼に戻って食事して昼寝したらまた午後150キロ走るなんて言っているのを読んだことがある。

一方で自転車のポジションを教えてくれという質問に対し、それは自分のメカニックに聞いてくれ、おれはそういう数字には全く関心がない、なんて答えていたっけ。

自分のサドルの高さに異常なほど神経質で、走りながらアーレンキーで高さを調節していたようなメルクスとは好対照だったね。

73年の世界戦については、マルテンス自身がインタヴューのたびに違うことを言っているような印象があるけど、やっぱりカンパ対シマノというのがホントなんだろうなぁ。
2010.04.15 08:04
こばやし
マルテンスは引退後の生活はあまり恵まれていないようだったなぁ。
その仕事もファンの1人が世話したんじゃなかろうか?
とてもきれいな娘さんがいたが、もういい歳になっているはず。
現役時代はだれよりも(もちろんメルクスより)練習したとか。
まあこれは彼のファンの言葉だから、どっちが多いのかはわからんが。
でも、「早朝練習は昼間の倍効果がある」って言葉は、競輪選手からも聞いたけど、
同じこと言っていたのが興味深かった。電信柱を数えながらダッシュしていたらしいよ。
世界選でカンパ対シマノとなって、メルクスが絡んだ話しは興味深いね。
2010.04.15 01:03
CYPRESS
1977年で印象的なのはやはりフレディ マールテンス。
ジロで落車し手首を骨折してから選手としては、1981年に世界選で勝つけど、やはり下り坂。メルクスが1975年のツールのピュイ ド ドームで殴られたみたいに。
しかしケチの付け始めはフランドルでしょう。自転車交換を違法とされ失格。偉大なクラシックレースの最初の勝利になるはずがねぇ(しかもアルカンシェルを着てだよ)…
そのマールテンス、現在は例のフランドル博物館でガイドをやっている(はず)。本人曰く、自分目当てで来館者が倍になったとか。

「ベルギーの若獅子フレディ マールテンスもマビックのブルーリムを使ってます」
(注:ブルーリム=SSCのこと)
、というコピーと格好良いマールテンスの写真が付いた日直商会の広告を知ってる者にとって、最近の老いぼれたマールテンスの写真を見ると…(溜息)
今でも女の子を口説いてそうなビットリオ アドルニやマリーノ バッソ(現役時代はどう見てもイタリアのチンピラ)とエラく違う。

そう言えば青山の嶋田洋書で買ったツールの歴史書(というか写真の方がはるかに多い)の写真は1977年の写真が中心でした。
(青山には『ゲーテ書房』なんてドイツ書籍専門店があった様な気が…)
2010.04.14 19:39
こばやし
CYPRESSさま

→「この名前の子に付いて行くのよ」
なんてレース前に指示するそうな。

わはは、これはありそうだね(^^) スタート前には名簿を見てゼッケンを教えていそうだけど、こういう話しは現実味がある気がするなぁ。

しかし、サイスポに・・・なんて、良く覚えているなぁ。すごい!
2010.04.14 17:49
CYPRESS
>息子たちもおやじの評価を背負う形になるから大変だろうね

→ジュニアの下、小学生レベルのレースから大変。
このブログに書き込む人々の様に詳しくなくても、子供にロードレースをやらせるヨーロッパの親は昔の選手の名前位知ってるから、
「この名前の子に付いて行くのよ」
なんてレース前に指示するそうな。

→エリック バンデラールデン(たしか二男坊がロードレースをやってる)が何年か前のインタビューで言ってました。
2010.04.13 20:13
CYPRESS
チューラオ?
知ってますよ、ディディ。
1977年のツールって言ったら三宅さんが取材に行って初めてサイスポ誌がフルカラーのツールのレポートをやったツール。解説は千葉洋三大先生。

>ツールでドーピングをやった人数は?
>全員

なんて事が書いてありロードレースの醜さが仄かに分かった年でもありました。

こんな訳で日本のロードレース界にとってはかなり重要な年。

チューラオが世界選プロロードでモゼールに負け2位になったのも1977年、ベネズエラのサンクリストバル。
そしてこの年中野浩一が世界選プロスプリント初優勝。10連覇への第一歩。
イノーがリエージェ~バストーニュ~リエージェに勝ち頭角を表し始めた年。
カンパが47mmのスモールサイズのブレーキを出したのもこの頃。
2010.04.13 12:54
こばやし
チューラオの息子が走っているんだ?この時代の選手の息子たちはいて当然だけど、この時代に知っている名前はほとんどが実力者だから、息子たちもおやじの評価を背負う形になるから大変だろうね。メルクスの息子だってそこそこ活躍したのに、評価としてはあまりよくなさそうだし。
2010.04.13 10:42

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アンコウ

アンコウ
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あんけ・たつや。欧州ロードレースに興味を持ってすでに30年以上。主にドイツ人選手を応援。特に青田刈りにいそしむ。歳にも関わらず、あらゆる点ですごいミーハー。そのほか好きなものは、読書、音楽はバッハと友川カズキ、北方ルネサンス絵画、映画、阪神タイガース(村山、江夏以来ですが、強すぎないこと希望、弱すぎはもっと困るが)。北欧の社会民主主義に対する憧れ強し。家族構成は連れ合いと娘三人。

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