人々が密かにもつ差別的な感情を口に出して、人々から喝采されることで、知名度、人気度を上げていく、そういう政治家がいる。たとえば石原慎太郎がそうだ。人々が心の底に密かに隠し持っている差別意識を、石原慎太郎が口にすることで、密かに思っていたことを口に出してもらえたとばかりに、溜飲をさげる人々もたくさんいるんだろう。前にも何度も書いているけど(関心のある人は右のプラグインの一番下の検索フォームで探してください)、石原の発言には常に少数者に対する「ざまあみろ」という意識が見え隠れしている。
むろん、それは逆のことも言える。芥川賞の田中慎弥が石原慎太郎の悪口を言ったことで、もっと言わせたいとばかりにマスコミが殺到したのを、田中は東京新聞で皮肉っていた。まあ、ようするに、自分が言いたいことを誰かに仮託するようなことって、卑劣だってことだ。そういう意味では昨今のマスコミは無茶苦茶卑劣な手合いだな。
ところで、石原はどうでもいい(いや、ホントはどうでもよくないよ)。今破竹の勢いの橋下徹にも、同じような構造がみられる。教員や公務員に対するバッシングで同じように溜飲を下げる人がたくさんいるんだろう。でも、
あのアンケートはアブナイ。マスコミでたいして問題になっていないようなのもアブナイ。ひとびとが問題視していないようなのもアブナイ。
ようするに、これは密告の奨励だ。
今から60年前にアメリカで吹き荒れたマッカーシズムの赤狩りだ。東ドイツの国家秘密警察だ。つまり魔女狩りだ。アメリカの赤狩りでは、そのときの密告した者とされた者のほとんどは、ついに和解することないままだった。東ドイツでは子が親を密告することまであったそうだ。中世の魔女狩りについては、あの女は美人だ、魔女に違いないって火あぶりになった女性も多かったそうだ。このアンケートでは具体的な名前までは書かなくても良い(そのくせ書く欄はある 笑)と言っているから大丈夫、って思っているなら、かなりおめでたい。人々の心の中にある、人前では口にできない負の感情(つまりは「ざまあみろ」)に訴えかけてくるのが、こうしたやり方の常道なんだと思う。
いまの日本ではホントにアブナイことがいっぱい起きていると思う。先日書いたニーメラー牧師の詩を思い出してほしい。いまの日本、この○○に入る言葉がいくつも思い浮かぶのではないか?
やつらが○○たちを連行したとき
わたしは黙っていた
だってわたしは○○ではなかったから
そして、最終節もくりかえしておきましょう。
奴らがわたしを連行したとき
抗議してくれる人は
もうだれもいなかった
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