ウルリッヒ自身のサイトでの発表ですが、rsnにもまんま転載されてます。全文ご紹介しますが、ウルリッヒから文句が来たら削除しますので、そのつもりでお読みください 笑)
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ヤン・ウルリッヒのCAS判決に対する説明。過去に終止符。
CASはぼくについに二年間の出場停止を言い渡した。この裁定でほぼ3年続いた裁判が終わった。この裁定は関係者にも僕にも、また一般の人々にとっても期待はずれだった。なぜぼくたちがこんなに長い間裁定を待たなければならなかったのか、理解できない。
ぼくはこの裁定を受け入れ、もうこれ以上争うことはしない。それはこの判決理由のすべての点を認めたからではなく、この問題をもうおしまいにしたいからだ。ぼくは個人的にはすでに2007年にプロの世界から引退することで責任を取った。たしかに僕はフエンテスと接触を持った。これが大きな間違いだったことは認めるし、後悔している。この行為に、ぼくはすべての人に本当にお詫びしたい。本当に申し訳ない。今から考えれば、ぼくは選手の間にいくつかの状況で、別の行動をとれたはずだった。
ぼくは2006年ツールに向けて、それまでの失敗を何とか挽回したかった。1997年にツールに勝ったあと5回2位になって、世論やスポンサーのプレッシャーと、僕自身の勝ちたい気持ちが非常に大きかった。みんなが二度目のツールの優勝を願っていた。特にアームストロングが引退した後だったから。
2006年ツールの直前、あれは大打撃だった。チームからの解雇、新聞の大見出し、競技からの追放、家宅捜査、訴訟、起訴。ぼくは見捨てられた気分だった。世界中が僕を追い詰め、僕は本能的に身を隠し、引きこもった。いわれのないことだなんて文句を言うつもりはない。すでに当時、僕が解雇になった直後に、僕は自分の犯した過ちをみんなの前で告白したかった。でもそうするわけにはいかなかった。弁護士のアドバイスに従い、そしてそうしたケースでは一般的なように、ぼくは非難に対して沈黙した。とうとう何年にもわたってこのことが重荷になり、ぼくは病気になり、バーンアウトしてしまった。
ついに判決が下ったことをうれしく思っている。これで僕のプロ自転車選手としてキャリアが最終的に決着が付いたわけで、僕にとっても家族にとっても、何年にもわたる苦しい時間が終わりになるんだ。今日の裁定で僕と僕の将来の計画は何も変わることはない。僕はなんらかの影響力を持ってプロ自転車界へ戻ることなど全く考えてない。以上の説明で僕の立場からはすべてを話した。この問題について、もう公式には何らかの発言や立場表明をするつもりはない。これについてはご理解願いたい。これでぼくはこの問題に終止符を打ちたい。
ぼくは自転車競技にとても大きな恩義を感じているし、このスポーツの喜びや情熱を他の人たちにもつたえていきたい。だから将来は一般参加のサイクルマラソンに関わっていきたい。ぼくは自分の自転車競技者としてのキャリアと成績を、誇りを持って思い出すとともに、この新しい関わりを楽しみにしている。
ヤン・ウルリッヒ
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まあ、ちょっと煮え切らないかなぁ。でも、これが精一杯でしょう。つまり、2006年のツール前にフエンテスのところでドーピングしたことは認めるけど、2005年までさかのぼって、成績をすべて取り上げると言うことは認めるつもりはない、ということでしょうか。
これからのウルリッヒの人生にこれまで以上の幸あれと祈りましょう。
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