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バルタリ(つづき)

2012.01.29.14:35

昨日、バルタリのことを書いたら、さっそくにコッホさんからコメントをつけてもらったので、図に乗ってカルトネタを続けます。

バルタリというと、こういう晩年の写真のほうがよく出てくるようです。

ハ#12441;ルタリ_convert_20120129134748
©Walter Rottiers, Die großen Radsportstars. 1991

はげ上がった頭と額に刻まれた深いしわ。だいぶ年寄りじみて見えますが、この写真は1948年のツールのもののようで、30代半ばです。

以前にも書いたようにバルタリは1938年と48年、第二次大戦を挟んで10年の間隔を置いてツールに優勝しています。ツール初出場は1937年。それまで36年、37年とジロを連覇していたんですが、ジロの余勢を駆ってツールに初参戦し、アルプスのステージでマイヨ・ジョーヌを獲得して鮮烈のデビューを飾りました。ところが、翌日のステージでアルプスを下る途中、雪解け水の流れる小川へ転落して、風邪を引き、その後こじらせてリタイアしてしまいます。当時のことですからサポート体制もあまりととのっていなかったのかもしれません。雪解け水で濡れたマイヨのまま長い下りを下るのって、考えるだに恐ろしい。。。

いずれにしても、もしこの転落がなければ、史上初のダブルツールは間違いなかったと言われています。ところで、またまた、ヴィキペディアの記事にいちゃもんつけますが、ヴィキには落車して大けがを負ってリタイアしたとなってますが、結果を見れば明らかなんですが、バルタリが落車したのは第8ステージ、リタイアしたのは第12ステージと、落車したステージからだいぶ後です。むろん大けがなどしてません。少し前に書きましたが、オカーニャも崖から転落したことになっているし、妻の不倫に心を痛めて自殺したはずのルネ・ポッティエが妻と心中になっているし、どうもヴィキの昔の自転車選手記事は、いまひとつ信用しきれません。

ほかにも、ヴィキには昨日の記事に書いたバルタリのユダヤ人を助けた話もかなりのスペースで載っていますが、カトリック教会が積極的にユダヤ人をかくまったかどうかは、結構異論があります。当時の教皇ピウス12世は、自転車が好きでバルタリをひいきにしていた人ですが、戦後ナチの残党が南米へ逃げるのに手を貸したという話もあります。カトリック教会からの依頼でバルタリが昨日の記事のような運び屋をやったのかなぁ?ちょっとにわかには信じがたい気持ちもありますが。。。

さて、その鮮烈のデビューの1937年の写真がこちら。
DSCF6712_convert_20120129134833.jpg
©Peter Leissl, Die legendären Anstiege der Tour de France. 2004

これだとイメージがだいぶ違いますね。さわやかだし、なかなか格好良いです。

バルタリって非常に信心深い人で、しかも人当たりもあまり良くなかったみたいで、オジャンドルという人なんかは、「メモワール」という本の中で、確か、気持ちの良い人だったコッピと対照的に、何考えているかわかんない人だった、なんて言っていた記憶がありますが、このにこやかな写真だとイメージもずいぶん変わるような気がしますね。
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comment

アンコウ
Arturo さん、

いや、オジャンドルの件は覚えてますけど、まあ、あれは知らない人への、ブログ主としてのサービスですよ 笑) これだけ深い内容が延々と書かれているコメント、発掘したら宝物の宝庫なんだけど、普通発掘まではしないでしょう。だから、以前収めたことがある宝物だとしても、ときどきひっくり返して、日に当ててみるのが良いかと思います 笑)

しかしジロの方は確かに予告通りになってしまいそうですね。一番応援していたオージーも大きく遅れた上に膝が痛いらしいからねぇ。個人的にはゲシュケの山岳賞とステージ優勝だけが楽しみだけど、両方ともちょっと無理かなぁ。
2015.05.24 17:30
Arturo
アンコウ様。
  いや、オージャンドルの件は、新ネタ(ついでにバルタリも、、、)のつもりで書いた訳でもなかったので、例外的に、こっちに投稿しておきます。「何だ、以前、やってんじゃん。」状態を味わって貰う為にも、、、!?。下の投稿群、根性で読み返して貰えば出てきますが、、。時間が掛かるので、省略したい場合は、下から読んだ方が時間節約にはなるかとは思われます。

  でも、ジロは目下の所、ポッジャーりの”予告”に準じた展開になってしまってますね、、、。(アンコウ様にはウケそうにない、、、)そのポッジャーりもこのコーナー読み返すと、こっちにも出てきますけど、、、。
2015.05.24 04:00
CYPRESS
話が濃過ぎて割り込めないねぇ…
ロードレースのカッコいい面、美しい面しか興味がない人が90%なんでしょう。
ドロだらけになってクロワ・ド・フェール峠を上るボベなんかどう見てもカッコよくないし美しくない。
イタリア人として初めてツールに優勝したボテッキアは、ブサイク系イタリア人で写真写りの悪い事、この上なし。
史上初めてマイヨージョーヌを着たクリストフは雪のミラノ~サンレモで凍死しそうになったなんて、今じゃ想像不可能。
こういうカッコ悪いところに興味を持つとロードレースの深み、フランス語の"Geants de la Route"の意味が分かってくるんです。

日本ではロードレースが好きな人は一杯いるけど、カッコ悪いところや醜いところを含めて愛してる人は殆どいないんでしょう。
2012.02.25 23:02
arturo
  そう、イギリス1周だか、響きとしては、何やら一寸マイナーな感じで、そんなレースの中継なんて(まあ、録画!?なんだろうけど、、、)わざわざ、そんな番組やんの?!と違った意味で驚いた記憶があります。(メインネタじゃあなかったけど、それも一寸話になったような、、、)だってCSとか、オタク番組も扱う、て言う感じのチャンネルじゃあなかったしで、、、。
 個人的には、どの道関心なかったので、一体何のレースだろう?と理解出来るまで見て、(10分位!?)理解出来た時点でチャンネルかえちゃったからねえ。
  大体、ジャパンカップだって、僕は、モーりに頼み事の用事が出来ちゃったから、宇都宮まで足を運んだけど(近年複数回)、この前だって、市内のクリテリウムの最中はホテルのフロントに居座って、見物もせず、彼の戻り待ち、用事が済んだら、即退散、翌日の”本番”レースも見に行かない男だからねえ。関心が切れた時点でチャンネル変えるのが当然の事だと思ってる訳。
 でも、モーりは、あの時別れ際、「じゃあ、又明日、チルクイートで会おう?」とは僕に言ったけど、「いや、それはない。今回、この用事がなかったら、もはやここ宇都宮にも来なかった。」と言ったら、「ああ、そう言えば、そうだったな。」と言ってましたけどね。(別に驚くそぶりなし。)
2012.02.25 02:08
アンコウ
イギリス一周??そんな話したっけ?覚えてない。。。まあ、たぶん僕にとってはあまり関心のない話だったのでしょう 笑)

うん、たしかに膨大な量のなかで埋もれてしまう可能性は高いかもね。

でも、データにしておくことは悪いことではないでしょう。

しかし、ホント昨日の午後はこのFC2ブログ、つながらなくなり、FC2ブログと不具合で検索すると、過去の記事が消えたなんて話が出ていたりして、ちょっとびびりました。無事で良かった。
2012.02.25 00:39
arturo
   ふっふつふっ、、、。しかし告知してしまった以上、もはやウラの狙いを見抜かれるのは、容易な事!?と言うより、もはやウラの狙いとは言えない!?。このまま、引っ張りに引っ張って、一気に100回投稿達成まで持ち込むしかない?!。でも、ネタバラシしちゃった以上、タダでさえ少ない投稿が、「そんな”強力”出来るか!・」といよいよなくなっちゃうんだよねえ、、、。
  仕方が無いので、ウラのウラの狙いも告知しちゃうと、コンだけ、投稿数が多くなると、アンコウ様が言うように、後で、誰かが検索してケッセルなりでヒットしても、当該投稿まで辿り着くのに、エライ時間が掛かって、結局諦める、と言う展開も密かに狙っている訳!?。ハテ!?。
 ここまでやると、さすがにブログオーナーも愛想をつかして、投稿コメントもくんない!。
  でも、解説者の件は、(さすがにこれはアンコウ様も覚えているだろう、Hさんに僕の正体を尋ねられて、それを教えてやった、話を最後の高田馬場でしてくれたじゃあない。この人と同一人物と思われる人が、ある日テレビ付けたら、イギリス1周レースだかで、解説もやっていた、と言う話を、その時にした、と言う話。ついては前述のこばやし様のセリフが登場する、と言う展開でした。会話全部覚えていなくても、正体バラシをしたのはアンコウ様なので、こっちはなんぼなんでも覚えているでしょう!?。でないともはやこれ以上、説明しようがない!?。

  確かに、フランスTVに絡まれた話は人にした事なかったですね。まあ、この件、知っているのは日本国内には居ないですしね。(だから「ついては、全部作り話だろう。」もアリでしょう。)又日本人だと、当時プレスルームに居た、各先生方だけだろうし、(彼らの気持ちを代弁するなら、どちらかと言うと、話にして盛り上げたいんじゃあなくて、さっさと忘れたい方ではないでしょうか?。実際、彼らの尽力もあり、僕の存在は日本ではまず知られていないし、事実、アンコウ様も全く、僕の存在を知らなかった訳だし、、、。そう言えば、当時現地で、日本人(見物人系)に声を掛けられてもたった一回も、正確に僕を言い当てた人に会った事ないですね。そう言えば、、。「A野さんですか?。」「S田さんですか?」「いや違います。」は何回もやったけど、、、。)
 勿論、フランスでは(当時)しましたけどね。まあ、視聴者は”目撃者”になってしまうので、、、。
  絡まれた話は、そう言えば前年97年のラルプでもあった、様な気がしてきました。又気が向いたら投稿します。(100回投稿の切り札!?。)

  それとブログに載せても、未だ”安心”出来ない場合は、やっぱ、これはアンコウ様に本にして貰うしかない!?。やっぱ、”僕のブログの投稿集”発行決定!?。この本は絶対100年後に価値が出る!!。
  でも、解説に使えない!と言うのは全く同感ですね。これも、僕じゃあ、解説は出来ない!の一因ですからね。間違って、解説始めても、番組終わる前に、局から叩き出されている!?状態。結局、気がついてみれば、実際にやっておられる方は適任者、となる!?。
2012.02.24 19:30
アンコウ
Arturoさん、

コメント数を稼いでますね 笑) さて、民放BSの解説者??だれ? 高田馬場で出た?? 記憶になし。ま、こんな楽屋落ちみたいな話が多いから、だれも加われない? 笑)

なんと言いましょうかぁ  爆弾発言多すぎ  濃すぎに加えて怖すぎで 日本じゃ解説に使えまへん きっと 笑)

しかしフランスTVの話は初めて聴きましたよ。そういうことはネズミに喰われないようにしっかり保管しておきましょう。ただ、このFC2ブログ、今日の午後もそうだったけど、ときどきつながらなくなったりすることがあるし、他にも訪問者数も一度数字が消えちゃったことあるから、過去ログ、バックアップ取ってないと、消えちゃう可能性が全くないわけではないかもね。しかし、消えてなくてよかったぁ。
2012.02.23 19:18
arturo
”解説”で又脱線ネタ思い出しました。(こうして書いておけばネズミに食われない!?。)
 あれは97年までだっけかな?あれはツール、あるステージ(ゴールはカルパントラス!?。イヤ、あの時は98年か!?。ドーピングの騒動の時だったから、何かギャグネタを探していた!?。)、スタート地点にボケッとたっていたら、FR-TVのクルーに絡まれて、要は詰まる所、「”解説”(インタヴュー)をやらないか?。」と勧誘されてしまった事がありました。
  何でそんな事、オレに聞いてくるのか?さてはこっちが外人だから、何かトロい事喋らせて、恥をかかせようって訳だな。」(=逆に番組内ではギャグネタに使う)と瞬間的に察知、で、早速「何言ってんだ!。冗談じゃあない。そっちの魂胆をお見通しだ!。大体オレが何か爆笑ネタ、喋ると期待してんだろ!。」「とにかく、FR-TVと言えば、かつてのデルガト”マイヨーヨーン”じゃないけど、何回アレをギャグネタに使ったんだ!。物笑いのタネは御免だ!。」とやった所、「いやそうじゃあない!。」と四方八方弁解してきた。(殆ど、「ホントだ!。ウソじゃなあい!。そんな事(=使い方)しない。オレを信じろ。状態。)仕方が無いから、「じゃあ、実際問題、一体何を言わせたいんだ?。」とやった所が、「いや、話はそんな込み入った話じゃあない。今日のステージの展望を話してくれれば、それで良いんだ。」と言うので、しゃあねえなあ、一回だけだぞ(なんか喪黒福造みたいな!?)と請け負ったのがマチガイの始まりで、少々リップサービスして”解説”してやったら、(但し、”解説”の趣旨と実際のレース展開とでの差異はない。)案の定、連中は、その映像を元選手の各種インタヴューの後に流し(つまり、最後の締め、が僕と言う編集。)しかも、編集VTR放送直後レポーターのコメントが振るっていて「彼は(つまり僕)”解説”を固辞していたが、しかし一回喋りだすと、この通り止まらない。」等と言っており、しかも、当然ながら、プレスルームで見ていた多くのプレスの見る所となり、当然、それなりの視線を浴びる事になる。
  しかも、性懲りも無いのが、この後連中とは執拗な攻撃(催促)に遭う事になったのを思い出した次第です。「なんだと、またかよ~!。」「大体、なんだよ、あのインタヴューの流し方はよ~!。話と違うじゃんかよ!。又臆面も無く又やってくれとは?どういう了見だ!」状態。

  でも、そうした悪い話ばかりじゃなくて、これ以降、このクルーの連中とは仲良くなって、スタッフがたむろしてるキャンピングカーに”招待”してくれたりとか、(毎日、何か食い物をルンペンの如く漁っていた!?。)そうやってスタッフと話をしてると結構ざっくばらんな話をしてくれたりとか、まあこっちはポジティブな記憶かな!?。 
 ざっくばらんな1例を書いておくと、こっちが日本人と言う事で、I中先生の話題になったりした時も、こっちも(ヘンに持ち上げ、愛国心的、同胞的に思われたくないしで)「まあ、彼はツールを走ったけど、言うなれば、動物園の動物と同じだ。」とこっちからやったところ、「率直な所我々も(報道に関わっている者として)そう言う扱いをした。」と言ってくれたしで、、。(このセリフを聞いて、社交辞令と思う日本人は多分居ない!?。)
2012.02.23 01:21
arturo
追加の補足の訂正ですが、悪戦苦闘の末、アマゾンの読者レヴュー辿り着きました。(メモワール、と言う本ですね。)むじな丸と言う人ともう一人しめて確かに2名のレヴューが載っていました。
 訂正します。(勘違いで無い場合、リンクはもはや不要と言う事で、、、。)
2012.02.23 00:10
arturo
それと追加補足ですが、アマゾンの読者レヴュー2名(オージャンドル)読んでみたいと思ったけど、しかし、見つからないので、(探し方知らない!?。)出来たら、又リンク貼って下さい。よろしくお願いします。
 しかし、「全国で5人」と言う言葉を連発する男からすれば、確かに2人も乗ってると言うのは”脅威”ですね。
2012.02.22 23:37
arturo
そうかあ~。じゃあ、一寸補足しないとまずいかなぁ!?。(一つだけ補足しておくと、先日の高田馬場のアンコウ様の話で、僕の正体を聞いた人と言うのは、民放BSのなんとか言う番組でレースの解説もやっていた人だったと言う曖昧な記憶があったと言う事です。かつこの件も、その時、高田馬場で出した覚えがあります。かつあの時、こばやし様も「へぇ~そうなんだぁ~。知らなかった。凄いなぁ~。まあウチにはテレビないからなぁ~。」と言うセリフも出ていたのを思い出した。と言う事。で、この下地があったので、解説者の話に”脱線”した次第。)

 それと濃すぎて誰も割り込まない、と言うのは、なんとなく解るけど、でもねぇ、100回じゃあ効かない位投稿した訳だから、中には”そう言う事”があっても良いと思う訳(とにかく”外部”登場者ゼロだからねえ、これは弁解すべきじゃあない!?)。これって不自然?!。過去の全投稿、全てが全て濃すぎる!?。そんな事無いでしょう?。どうでしょう?。
 でも、副音声の件、笑って貰えて幸いです!。(初期目的達成!?。)
 それと生まれる前の話(大半の人)は関心沸かない、と言うのは全く同感だけど、これは100年後にはもっと言えるんじゃない?。
 いずれにしても、ここに投稿した事だけは、電子信号的に保管されると思うから、コード1、2本喰い切った位じゃあ、ネズミも手が出ない!?。(ネズミはハードディスクまで切らないだろう、、、!?笑。)

   フィニョンの解説の件了解しました。まあ、k原さんの件と同様、余り濃い話が出来る訳じゃないですが、、、。まあ、以前話に出たバカロレアの件じゃあないですが、やっぱ、頭の回転が速い人なので、スパスパッと言う感じで、視聴者を飽きさせない。その前任のテブネは無難な物言いしかしないから、聞いてて退屈する、それの反動かも!?。
  レースが単調で退屈な時の話題も豊富だし。
   逆に展開が速い時には視聴者への着眼ポイントを速攻で教える、みたいに、偉そうでないのは、逆にポイントのカウントのマチガイとか、間違っても悪びれず、ああ間違っちまった。今の発言取り消し、みたいに悪びれない。(聞いてて、余り悪意的な感情は持たない。少なくとも僕は、、。でも押しなべて、聞く印象は悪くなかったような、、、。でも最後の年は、一寸、かすれ声(手術したと思われる)と相まって、痛々しくて違った意味で感心持てなかったですが、まあFR2も意地で起用したに違いない!?。さて、12年は誰?!。ジャラベールがやる!?。果たして印象はどうか?。
  脱線するなら、RAIの解説のカッサーニと言うのは、彼も面白いけど、彼の場合はちょっと話術に帰するウエイトが高いですね。勿論、中身なしとは思わないですが、、。(但し、僕の知人のトスカーナの連中は「アイツはイタリア語を喋れない。どうしょうもない。」と評判が悪い。(笑)トスカーナの連中はイタリア語はつまりトスカーナ語であると言うプライドがあからさまに高い。ハテ!?。)
2012.02.22 23:28
アンコウ
Arturo さん、

なんか、途中、ほとんど意味がよーわからんけど 笑) この間のあまりに濃すぎるやりとりに割り込めねーよ、関心あっても、普通の人は。

まあ、僕なんかは実際に見た記憶がほとんどない杉浦の日本シリーズ4連投4連勝とか、あるいは中西太の160メートルHRとか、リアルタイムで見たことなくても話を聞くだけでワクワクするけど、実際にはそういう人はあまり多くないでしょうね。ましてや地球の裏側で自分が生まれる前の話なんて実感ないしね。

副音声(これは笑った)で、そういう話をして、知らない人を啓蒙するっていうのも一つの手だけど、そんなことしなくたって興味を持つ人はどの時代にもいることでしょう。それがたとえ5人だろうと3人だろうと、まああまり関係ない。人類の文化って言うのはそうやって残っていくもんさ 笑) おお、なんと希有壮大! 最初のオジャンドルの本だって、未知谷さん、いったいどれぐらい売れたんだろう。でも、アマゾンには読者レビュが載ってるからね。それも二つも。ちなみに私じゃありませんぜ 笑) だから、Arturo さんも、ネズミに喰われないようにちゃんと保管しておきましょうね、ってことです。

フィニョンの解説、そのうち機会があれば教えてください。
2012.02.22 22:46
arturo
 そうかあ、言っていたかあ、、。じゃあ、投稿ネタとしては、その価値は半減、いや四分の三減ですね、、、、。
 いずれにしても、それならそれで、開き直るなら、まあ、N野君と、アンコウ様、の主張とでは、キーワード、「モッタイナーイ」で繋がるかも知れないですが、(双方の口から出た出たセリフ)しかし、彼の場合は、いつかのK原さんではないですが、100年スパンの話ではなく、もっと近視眼的なニュアンスで言っていた、そんな意味ではありましたが、(今、「その知識、主張を使うべきだ。ついてはネットがある。」、的に解釈。)

 いずれしても、アンコウ様がN野君と”ほぼ”同意権とするなら、ここで、先の「僕の概念を覆す事は起こらなかった。」で、僕の主張は成立してしまうか?!。(論より証拠状態。しかし、以前から投稿やったのは積算すると多分100回じゃあ効かないですが、身内、常連以外の、投稿、って一回も見た記憶ないんだよなぁ~。ここまでとは思わなかった。(事実上の反響効果ゼロ!。100年スパンのアンコウ様に対してはともかく、N野君に対する物的証拠になる!?。)それにしても、、、。例の僕の正体を聞いた人も、別件では投稿してるのに、こっちでは、まあ、パッタリですからね。まあ、こっちはつい先の投稿とかぶるので、ホドホドにしようとは思いますが、、、。
  でもね、テレビで解説やるレベルの人だったら、もっとウンチクの披露があっても良いとは思うんですけどね、、、。もっとも、それを言ったら、今の僕じゃあ、仮に「解説やれ」、と言われても、最新の知識が欠落してるから、務まんないですけどね、、、、。そう言う意味では、本当に解説やるのに必要な知識をお持ちの人は、これもやはり論より証拠状態と言うべきか?!。
 そうそう、N野君にもそう言えばやはり同じ頃に「解説やれ。」旨言われた事あったっけなあ、、、。そんな事も思い出しました。勿論、僕の答えは「出来る訳無い。」(たった今書いたのとと同じ理由」しかし彼は、あっさり引き下がらず、食い下がっていたっけ~。そこで、「例えば、今の時代の視聴者に、(調度いつか、手前の投稿で調度書いた、アンクティルのミステリーの)ボべとのとのバラッキの話を”中継解説模写”を彼にやってみせて(ちなみにNHKの前あった番組、「挑戦者たち」のノリでやった。)、「な~んて事を、今の視聴者にこんな話したら皆どう思う?。解りきってるだろう。」と”かませ”たら、彼は更に食い下がり、しかも食い下がり方が振るっていて、「いや副音声でやればいい!。」しかし、そこまで言うか!状態に陥った事を思い出しました。(笑!?。)しかし、「僕は最新の事知らないよ。」と言いたかっただけなんだけどねぇ、、、。
  ついでなので、解説者を目指してる若者達に一言!?。「同じやるなら、故、フィニョンの解説を目指せ!。」です。{あれが一番面白かった。視聴者を飽きさせない!。)しかし一体何の事だ!?。(笑)

  一方、100年スパンの話は、今回は岩手の農家の蔵、が出ましたが、(しかし、これは高田馬場で、一番最初に出た形容か!?。直前に僕が、「ゴッホのひまわり」、と言った訳ですが、、、。)ケルンの大聖堂、k原さん、そしてサグラダファミリア、となっているので、ここでの”再燃”は止めにしときます。
2012.02.22 19:13
アンコウ
Nさんはお会いしたことがないのですが、まあ、私もほぼ同意見ですね。そういえばArturoさん、最初の頃から僕の「モッタイナーイ」にNさんの話をよく出してたっけ。

いや、5人とかは関係ないんですよ。世代を超えて残ることが大切 笑)いまもきっと岩手のどこかの農家の蔵の中には江戸時代の貴重な資料が、いつの日か日の目を見ることを夢見て眠っているかもしれません。まあ、日の目を見る前に、ネズミに喰われて消滅の可能性もなきにしもあらずだけどね。

いずれにしても、僕の知っていることなんてみんな本からの知識ですからね。いわば2次3次資料。そんなものは時間がたてば、貴重でも何でもなくなります。大切なのはやっぱり1次資料で、それは残しておけば、いつの日か。。。。ふふふ。
2012.02.22 08:22
arturo
。この件、54回目の投稿で晴れて完結、と思いきや、思い出した事があったので、又投稿したくなってしまいました。
 今回のこの54回投稿の中で、なんでアンコウ様のブログに投稿するのか?と言う事を”おさらい”した格好にもなっていますが、かつて、今度は前にも別件で登場したN野君とのやりとり、彼の主張を思い出した次第です。
 まあ、彼の主張は詰まる所、「ARTUROのような人こそ、ネットをもっと活用(ネット内で自分の考えの主張をすべきだ。)」と言うこのセリフに尽きる訳ですが、これに補足すると、「そうすれば、やがて自分の意見に同調(反論も含む)一つの輪になっていく。」と言う趣旨になっていった。と言う感じですが。
 この彼の主張に対する、僕の主張は、結論部分だけを抜き出すなら「言いたい事は駆るが、『ネット、ネット』と言っている内はダメだろう。」と双方の主張は平行線だった訳ですが。
 しかし、今回、先に『僕の概念を覆す事は起こらない。」旨、書きましたが、このセリフは、彼、N野君の主張に対する当てはまるかと、、。
  勿論、広い意味、客観的な意味では、昨今の北アフリカ、アラブの顛末などが示すとおり、ネットには威力が有る事を認識してはいるつもりですが、、、。まあ、速い話、この世界にはちょっとマイナー過ぎて当てはまらず、、、と云った所でしょうか、、、。(全国にで5人!?と云った事で説明が可能!?。)
2012.02.22 01:48
arturo
まあ、でも、先日のデローザのWボトル台の話じゃないけど、過去(今回以前の投稿)も含めて、どこまで、それで見に来た人が居るかは、少なくても、現時点ではかなり疑問ですね、。まあ、悲観論のその根拠の、ほんの一端でしかないですけど、、、。
  余り書くと、又この話題に戻りそうなので、この辺に止めにしますが、、、。でも、まあ、こうして文字にしてアンコウ様のブログに残したので、後は、アンコウ様の意のままに出来ようかと!?。各投稿の著作権は本ブログオーナーに帰します!?。
  (いつか、”僕のブログの投稿集”、と言う事で本にする!?。売れる!?。)

  と書いていたら、これを投稿クリックすると、見事、54回目の投稿達成!?。やったね!?。
2012.02.14 21:37
アンコウ
まあ、こうして文字にして残しておけば、ひょっとしたらいつの日か検索で引っかかる人がでてくる、やもしれません 笑)
2012.02.14 11:17
arturo
ヤレヤレ、今度ばかりは、これで一区切り、と言う雰囲気になってしまいましたね、、、、。
  今まで黙っていましたが、バルタリ以降、アンクティルだったり、ケッセルだったり、果てはk原さんまで登場して投稿してきましたが、密かに投稿回数の記録の更新を狙っていたのですが、、、。しかしラストのアンコウ様の投稿で51回!。あと僅かで,先の記録の更新かと思ったのですが、更新を目前にして、、、、、、。
2012.02.14 05:53
アンコウ
挙げてもらったサイトを見ました。

BCは創刊号から持っていたけど、94年に引っ越すに当たって、宇都宮の世界戦の号だけを残してすべて棄ててしまいました。残念。NCも85年前後に1,2年ほど定期購読してましたが、そのうち何冊かが手元に残っているだけ。

一台の自転車の由来が一つの物語になっているようで、現在のプロチームに供給されている自転車にまつわる物語が全く違いそうです。
2012.02.13 21:45
arturo
http://cyclotourist.web.fc2.com/classicroad_kajiwara.html

 k原さんについて補足して置きますと、氏のエヴェレストと言うと、やはり88年の11月号だかのBC誌にも登場する物が、代表的で巣ので、同じ見るなら、こっちも参照して貰えますと幸いです。(但し、文中の記載内容はデタラメなので、注意が必要。特に、後述の経緯説明の通り、あれは東京オリンピック、日本チームのの代車ではない。)
  又、同じ物が上記リンクにても、見る事が出来ますので、(どっちを見ても、当然ながら、同じフレームなので、フレームの仕事は変わらない。但し、上記リンクの物は、現オーナーのU野さんの手、好み(特にトリプルチェーンホイール化について)によって構成が改変されており、一部関心しませんが、、。)一応申し添えます。
  そもそも、これはT橋プレスのM尾さんと言う方の為に組まれた物で、(勿論、この時点で未だ入社はしておらず、選手業の方だったと推測される。)それを後世、Y双輪館経由で、現オーナーの手に渡った、と言う経緯が有る物と思われます。

  上記リンク上の中で、ニューサイ記述も少しありますが、但し、このニューサイ本体内の文章には、これも注意が必要です。いかにK原さんと言えども、この時期(この文章は23歳の時に書いたものだそうですが、、、。本人段。)の文章にはマチガイが見られ、こっちまで参照した場合は、混乱をきたさないように配慮が必要です。
  専門家からすれば、(以前カンパのパンタの強度計算の件で登場。)あの文章では2元2次で、曲線美の根拠を説明しようとしていますが、これをキチンと説明しようとすると、どうしても三次が必要になってくる、との事です。さすがのK原さんも、これに関しては、若気の至りで書いたと言う事か、、、、。
  これには後日談!?もあり、確か90年代前半、当該人物に、この記事を読んで貰い、内容を吟味して貰いました。ついては上記の指摘を受けた訳ですが、「ああ、あれは完全に間違ってますね。」状態。その時の”会場”が何か催しをやっていた(まあ催しを見るのも、そこに足を運んだ目的でもあった。)、赤坂の当時の自転車文化センターの3階、資料室でした。読んで居る所に、調度、やはり催し絡みで、会場に居た(但し、見物側でなく、運営側で、)K原さんが通りがかり、後ろから開口一番、「そんなの読んでいるとバカになるよ。」と言われました。このセリフの意図は!?、つまりはK原さん本人も、今となっては若気の至りで書いた、と言う事を理解していた!?。(今更、消しゴムで消せない。)と言う事か!?、この人とはこの時点で、もはやK原さんとは面識を僕が作ってしまっていたので、K原さんにしてみれは、これはあっさり見抜かれる。ついては,前記のセリフに繋がったのではないか!?。等と二人で顔を見合わせた次第です。
  まあ、K原さんが、もう1つのキャラを見せた瞬間だった!?(笑)。
2012.02.13 00:09
アンコウ
横尾さんのHPみました。どうもありがとう。横尾さんのHPはこれまでも何度か見ていたけど、他の所ばかり見てました 笑)

レジェンド・オブ・ツール・ド・フランスのアンクティルとイノー編をみると、イノーの話がたくさん出てきます。まあ、本心を語っているかどうかはわかりませんが。繰り返し言われるアタックしない選手だというのは、当時からイノーが感じていたのか、それとも89年の8秒差でよく言われたことを繰り返しているかどうかは、うーん。ただ、だから駄目だとはイノーは言ってません。
2012.02.12 22:02
CYPRESS
梶原製フレームは横尾双輪館のHPに写真(完成車2台)が有ります。
また、おそらく日本に入った最初のデローザ(1972年製)の写真も有り。
沼氏+メルクス+ケッセル(→人間(笑))の写真も有ります。

イノーはレモンのことをどう思ってたんだろう?

1985年か1986年のクアーズの休息日の事、レモンを除くラ・ヴィ・クレールは練習に行き途中で道に迷い50kmの予定が90km走ったとか。
一行がホテルに戻りテレビを点けると、何と、実況中継の番組でレモンがゴルフをしていた。
またレモンが七面鳥猟で撃たれた時も、イノーは「シーズン中の4月に猟に行くなんて信じられない」と言っとりました。
レモンの方はヨーロッパの連中を彼らの禁欲的な生活から「自転車の乗った坊さん」と言ってました。

モテはインタビューで「自転車選手が肉を食べてる時、赤ワインを飲みたいと思った時には選手を止めた方がいい」と言ってました。

イノーの記事やインタビューでレモンのことをどう思っていたのか読んだことないで分かりませんが、実力は認めていても実は心構えの悪さをバカにしたり、残念に思っていたのでは?
そうだとすると、86年ツールの山岳区間のイノーの攻撃は、プロの厳しさを手酷く教えてやったとも考えられし、単なる虐めとも考えられます。
後で文句を言われても、「ツィンママンを疲れさせるため」という完璧な言い訳が有ります。

ところで、ゴッホ、好きです(笑)。
ただフジTVが主催したNY近代美術館展でゴッホの代表作のひとつ『星月夜』を見たんだけど、目が点になる程驚いた。
その時まで『白樺』以外(笑)の画集でしか見たことなかったから知らなかったんだけど、絵の中に何箇所かある薄い褐色が、何と、塗り残されたキャンバスの地肌だった(゜o゜)。
どう見ても効果を考えて塗り残してるんじゃなかった。単に急いで描いたからなんだね、あの塗り残し…
その『星月夜』の隣に有ったのがアンリ・ルソーのこれまた代表作のひとつ『眠れるジプシー女』。
あの趣味人のじぃさん、『星月夜』と同じ夜の絵を普通に丁寧に描いてるもんだから『星月夜』のショボさが目立ち、目立ち、ガッカリしたのをよ~く覚えております。
逆に『眠れるジプシー女』は絵の大きさもあり、静謐さと怪しい雰囲気に溢れ画集で見るよりもはるかに素晴らしかった。
2012.02.12 15:24
arturo
なるほど、確かに、あまり、(現代ではともかく、、、。)これはスタンダートな入り方でない気がしますね。と、同時に、なぜ、他の方と思考過程が異なるのか?その一端の理解の一助になった気がしました。アンコウ様は50周年デローザをネットで買ってレストア、、と言うイメージもあったので、スタートが後なだけで、ハードな意味での自転車好きな人とも思っていました。
  先の投稿で、こんな投稿がもしあったら、アンコウ様も、「それみた事か!。」どうこう、、、と書いたばかりですが、あれは、いままでのやり取り、過去の発言から、ヘンな例えですが、もう一人、ブログオーナーとは別の、投稿者のアンコウ様(それはあたかもアンコウNo,2,みたいに)が居たとしたら、(双子みたいにもう一人)ひょっとして書くんじゃないか?と言う架空のコメントのシュミレーション版でもあったんですけどね。
  何が言いたいかと言うと、あのような考えをする人は業界内では居ない、と言いたかったのは、勿論ですが、反面なぜ、逆にアンコウ様はそう考えるのか?と言う疑問も持っていました。(客観的に、自転車の外に出れば、或いはあるでしょうが、、、、。)自転車界らしくない!?。(ひいてはあの種の投稿等有り得ない、と言う確信の根源でもある。)

 いびつな自転車ファン、と言う事ですが、これがが逆に、そう言う業界発想を持たない、その根源なのかな?と。(何度も言うとおり、業界の人はつまり、僕の概念上、先のアンコウ様の引用下りで言う、「人間の質の問題でね。」に当該する人物ばかり、、となってしまいますので、、。
  そう言えば、アンコウ様ほどしつこく何回も、ではなく一回きりですけど、先のK原さんにも、「過去の事をまとめておいたら?。」と言われた事もあり、この二人のヘンな奇遇とも感じています。

  かく言う僕も、ご多分に漏れず、ハードは自転車に関心を持ったのがスタートの始まりで、サイクリング小僧もやりましたし(以前書いたとおり、三点調整法の時代。)、そう言う意味では、”スタンダート”ですね。

  まあ、DVD持ってらっしゃるなら尚更で、また86年ツール、確認されて、続編投稿いずれお願いします。
2012.02.12 05:14
アンコウ
むろん86年のツールはビデオをDVDにダビングしたのを持ってますから、そのうち見直してみます。

いやいや、もう馬脚を現してしまいましたが、実は僕はフレームのこと、なんにも分かってないからねぇ。ビルダーの話になると???の状態。ハード面は僕のかなりの弱点であります。

ロードレースが好きになった経緯も、たいていの人は自転車やサイクリング好きが高じてヨーロッパのレースに関心が及ぶってケースが多いんじゃないかと思いますが(最近はイケメンが多いスポーツっていうのに引かれる女性ファンも増えたみたいだけど)、ぼくは、どこかに書いたか、もう話したかもしれないけど、1984年だったと思うんだけど、池袋西武の地下にあったスポーツ用品売り場のテレビでエンドレスで5分ぐらいのツール(だったんだと思う)のビデオを流していて、そこでただただボーゼンと30分ぐらい、繰り返されるビデオを見続けて、こんな自転車がほしいって思って、それから一月たたないぐらいでロードレーサーを買っちゃったんですよ。それまでサイクリングの経験はないし、メカマニアでもなかったから、ちょっといびつな自転車ファンなんだと思ってますけどね。
2012.02.11 17:41
arturo
そうですかぁ、、、。
  確かに85年のNHKは、スポーツ、ドラマ(もち、ドキュメンタリーの前提ですが、、)と言うより、社会、遠い異国での社会現象(その昔、ニューサイでもツールの事を、スポーツに留まらない、”社会現象だ!”旨記載していた人がいましたが、、、。これよりもっと前、)として作ってあった。と言う印象があります。勿論、85年の方が客観的に見て、インパクト強いですね。これは僕も異論ありません。
 それに対して、86年は競技としての側面を強く強調した内容になっていた印象があります。しかし、ここでの論点はタピーとレモンの絡みですので、その”舞台”上、86年に特化してコメントせざるを得ない、と言うのはありました。投稿者としては、、、。
 まあ、機会があったら、(今はDVDがある!?。)その”視点”で見直して貰えますと幸いです。

  K原さんの件了解しました。と言っても何度も書くとおり、完全に理解している訳ではないので、能書き言う資格があるか?ですが、、、。
  まあ、これをやりだすと、最後は、当該場所を訪問して、直接話し聞いてくれ、ともなっちゃいますけどね、、、。
 しかし、何度も書く通り、過去振り返って、自転車の業界を見渡して、既に書いたとおり、幻滅と言う言葉が似合う人物には数え切れないほど遭遇した訳ですが、その中にあって、もっとも(ポジティヴ)なインパクトを与えた人物であろう事だけは間違いないです。

  まあ、何者かは最近登場しない、こばやしさんも知っている筈だし、例えば、高田馬場に行って、I泉さん辺りに誰?と聞いても、返事が帰ってくると想像します。やはりK林K三さんとももう大昔からの付き合いと思われます。(k林さんの著書の中で唯一登場する日本人)
  頭脳明晰なのは、いつか登場させた、なぜ(70年代までの)カンパは美しいのか?の開設でもう充分認識出来るかと思います。
  また、最近A出版から出た、クロモリフレームのなんとかNO,2でも、伝説のフレームビルダーとして、本人が登場しています。倅K野の筆で登場しています。(但し、じゃあ、フレームビルダー?となってしまいますが、。あの人の歴史に中では、手がけていた時代もあった、に過ぎないとも思われえるので、そう短絡的に考えるのはリスクが高いと思われますが、、、。でもフレームに関しても、かなりの足跡を残したのも事実ではあります。72年だっけ、ミラーノに渡った、N沢さんも、その前、日大時代とかに、本郷のT製作所に出入りしていた時代のチーフだったのもK原さんだし。(間接的にN沢さんに影響を及ぼした人物なのも間違いない。)沼さん経由で、最初のカプリゾンネ仕様で、ツール也を走ったのも、それもK原製フレームだし、実際とんでもない事色々やってるんですよね、フレームに限定しても、、、。20年以上前、AマンダのC葉さんの所に行った時(但し、ついに2回行く事なかったですが、、、)K原さんについて「永遠の先生。」と形容していたのを覚えています。)

  これだけ書いときゃあ、取り敢えず、何者かは解って貰える!?。
  何度も言いますが、興味がある場合は、僕に聞くより直接行って話聞いた方が早いでしょうが、、、。業界で総スカンの僕が行って相手にしてくれる(不思議な)人だから、アンコウ様が行っても間違いなく相手にしてくれると思います。

  「ところでウルリッヒは?」状態!?。
  
2012.02.11 01:08
アンコウ
うーん、ごめん、86年のNHKツールはあまり覚えていない。正直に言って、85年はものすごいインパクトがあったけど、86年はそれに比べると、なんかもうひとつって感じでした。何度もみた85年やその後の衛星放送に比べると、あまり見直していないかもしれないなぁ。。。

K原さんについてはこんどお会いしたら詳しく教えてください。

ところでウルリッヒのほうはコンタドールに比べるとあまり大きな扱いではない??
2012.02.10 23:22
arturo
なるほど、了解しました。次回はキーワード、サグラダ・ファミリアと言う事で、(ゴッホーケルンーそして”次回”はバルセローナとなった。)
  ただ、派生してK原さんの事だけは補足しておくと、誰もやらないから、仕方ない、、、と言うのはこれに関しては本当な気がしてるんで、実際に話を聞いた物としては、、、。
 じゃあ、何故かと言うと、それをキチンと説明しろ、と言われると実は僕にも出来ない。と言うか、未だ持って話を聞いても僕にはあの人の言う事は理解に至っていない。(多分僕は何年かけても、相対性理論等、理解出来ないだろう!?。K原さんにある日、読んだ事ありますか?と尋ねたら、「無い。」と返事されちゃったけど、、。)ただ、あの人の説明を聞いていると、例えば、「罪滅ぼしのつもり、、。」とか(だから一体なんの罪滅ぼし!?。この辺ももろ理解していない、イヤ、出来ない状態!?。この人は一体、何の十字架を背負っているのか!?。)とか、そう言う話になってきちゃう、とか、そう言う事は二次的には言えるけど、、、。
  まあ、完全に理解出来ない以上、大口叩く事はしちゃあいけないんですけどね、、、。いずれにしても、こっちは派生の余談と言う事で、、、。

  イノーのアタックはつまりラルプの方ね。理解が進みました。
  ライバルを疲弊させると言うのは、ダブルエースではアリな戦略、この場合、イノーが動けば、確かにスイス人の動揺を誘う事が出来る訳だし(自身の2位を脅かしえる得る、かつ実際にそうなった。)この場合、イノーはその主張する資格はアリと思います。(全くこじつけ不可能とは言い難い、、、。)
  アンコウ様も言うとおり、当時のNHKの放送は、揚げ足取りやろうと思えば、確かにツッコミ所がありますが、ここに関しては、当時のスタッフはかなりいい仕事(ここでは特にストーリ展開)したと思います。(もっとも、その後のフジがひどすぎただけ!?)「最後の敵、ツィメルマンを潰すのです。」このフレーズを覚えていますが、、、。
  ついでに言うなら、あの時のスタッフの中にはイノー、タピーの絡みを理解している人物が関わっていた居ただろうとも、想像しています。最後は、「イノーのこの恐ろしいほどの”鍛え方”、、、、」と美化して終わらせては居るものの、、、。
  その一端を感じさせた一つが、他の年と違ったエンディングでした。セーヌ川に浮かぶ、あのマンハッタンにある自由の女神像の20分の1だかのミニチュアー(確か、後に東京に来た事もあった。ご丁寧にフジテレビの近所!?)あれを、最後の映像に使っていましたが、、、。印象に残っています。(他の年は、勝者がシャンゼリーゼに凱旋して終わる)単にレモンというUSAの人物の絡みと取るか?それ以外にも取るかは?個人の自由でしょうが?。ちょっと絡ませたな、、、と言う締めくくりでした。まあ、そこまで行くと、勘ぐりの可能性も否定しないですけど、、、。
  
2012.02.10 18:44
アンコウ
うん、わかった。ただね、レモン側から見ると、あのイノーのアタックは、イノーが待ったわけではなく、怒ったレモンが本気で追って追いついたってことになっているよね。何度か出したレジェンド・オブ・ツールのイノーのインタビューでは、俺はライバル達を疲れさせるためにアタックした、あれがなければレモンは勝てなかった、たぶん優勝はツィンマーマンだっただろうって言っていた。日本に入ってくる情報はレモンびいきかも。そういうヨーロッパ的(イノーのアタックあたりまえ)な見方はあまり知られていないかもしれないね。

スプレンドールについてはいずれ記事にします。

いやいや、100年たてば人間が少しはましになっているなんていう保証は全くない。歴史がそれを証明してます。100年後の人のために、なんていうのは自己満足。でもね、なんかすがる思いで未来(自分の死後)を信じたいっていうことですよ。誰もやらないから自分がやるって言うのも、ほんとうのところは嘘で、楽しいんだと思うなぁ。理由付けはなんとでもなる。Arturoさんも楽しいからやってる(ここに書いている)でいいんじゃない?と言ったら身も蓋もないね。ケルンの大聖堂はどこいった??になっちゃうか 笑)ま、この話はこの程度で、またそのうち思い出したように、こんどはサクラダ・ファミリアで行きますか。
2012.02.10 09:26
arturo
イノーのアタック、の件は、そこまで細部まで行くと一寸わからないですね。(レモンの心の中の事になる。「ひょっとして、オプションは付けて貰ったけど、土壇場に来て騙されるんじゃあないか?と心の中で思った、猜疑心を持ったとしても、まさに心の中の問題だしね!?。でも当時のNHKもそう言うニュアンスを前に出した放送内容でしたね、、、確かに、、、。)ここで言うアタックとはピレネーのアタック(NHKでも当時出た、デルガドと組んだやつ、バイヨンヌーポーでしたっけ!?。)だと解釈しています。
 但し、あれは、まずは危険人物の(フィニョン)が消滅(仮に誰か居るなら、そっちを叩くのが先決事項でしょうが、、、)している中にあって、獲り合えず、一回はジャージをイノーに着て貰う、と言う思惑もあったと想像します。
  実際、あの後、イノーは”片足走行”をやって、レモンにジャージを譲っていますからね。(以前ネタになった時、「あれは茶番だ!」ネタも出した記憶がありますが、、、。
  それと、アルプスでも、例のラルプドゥエーズ、イノーは一度はアタックしておきながら、レモンを待ったケースもあった訳で、(チーム方針として)イノーに勝たせるつもりだったなら、、、、と言うのもやはり以前書いた記憶があります。
 これ以上繰り返しになってしまう議論をしてもしゃあない!?。

 ケッセルのマシンの件は、確かに69年(から、ケッセルが絡む事になると想像。68年まではファエーマチームは、先のモルテーニのように、フレームには、FAEMAと入っていた。これの実物が今も1台、岡山にある筈だけど、この仕様もあきらかなマジーフレームでした。但し、ハンガー下の刻印は通常マジーはアルファベット一つとフレームサイスを示す二桁の数字(当然、通常5で始まる。極小、極大以外は、、、)しか打刻を売ってないけど、これは用途を識別するためか、FAの刻印も追加されていました。)からのマシンは得体の知れないフレーム使っていますが、これはケッセル自前では?とも想像しています。しかし写真上で見ても、今ひとつヤボいと言うかセンスがイマイチなフレームですね。フォークの曲げ一つ取っても、、。エンドの爪、鞘の攻め方なんかは、中々写真じゃあわかりにくいけど、その他見ててもなんかウザイですよね。
 これから憶測すると、ケッセルとしてはムリに自前に固執するより、イタリア也に下請けさせた方がコスト面も含めて、(ここでは地理的にも、、、イタリアとか南で使う場合は地産地消になるわけだし、、、そんな事も踏まえて、、)理に叶う、実態はイタリア製でも、ケッセルにフレームはセンスが良い、と”誤認”させる手もありかとは或いは考えたかもしれない。(それがコルナゴとの決裂を招く!?。まあ、ケッセルにしてみれば、{カネ払ってるのは、こっちだ!。何様のつもりだ!このイタ公ども!。」と思ったかも!?。)
  じゃあ、モルテーニ移籍にコルナゴになったのは、これは単純な話、メルクス移籍以前から、コルナゴはモルテーニの仕事してたから、その顔を単純に立てただけかも知れない、それで説明は付くかも!?。

  しかしすみません、スプレンドールの方は、全く知識がありません。ベルギーローカルな知識はかなり殆ど欠落しています、、、、。(誰かベルギーのスペシャリストの投稿待ち!?。)

  ムゼーウの件は、それで宜しいかと!?。但し、先にも書きましたが、これに追加するなら、ムゼーウの場合は、単純に序列とは別に、彼をして、チーム内で、ワールドカップを狙わせる、と言うのはあったでしょう。(これはつまり、シーズンインの段階で、スポンサー側の提示、了承を済ませている、と考えられるので、、「今年は、これで行きます。」「よし、宜しく頑張って、結果を出してくれ。」状態は当然済ませた後!?。

  しかし、今度はケルンの大聖堂!。(あれは確かにゴッホのひまわりより、ビジュアル上のインパクトも強い!!)と来ましたか、、。物理的にもスケールがいよいよゴッホより輪をかけて違ってきましたね。
  まあ、ああ言う物は、スタートの段階で、志、と言うモンがあって、かつ、それを言うなら、スペインはバルセロナに行けば、当に進行形の物(日本人も参加してる!?)もある訳だし。
 そんな話と比較されるといよいよ三つ葉葵の紋所の印籠どころよりも、恐れ多くなってきちゃいますよね!。
  たった、今書きましたが、僕の場合、この”志”と言う時点で、既に脱落ですからね、、、。無い上に大聖堂立てようったって、立つ通りが無い!?。
  僕の良く出す登場人物にK原名人が居ますが、この人も、所謂一般社会で言う所の、変人には違いないけど(但し、頭脳は恐ろしく明晰だと断定じている。日本の自転車業界内で見てきた中では、過去ダントツの1位ではなかろうかと思うほど、、、)この人も、僕のような凡人からするとおよそ理解し難い、意味不明な研究を各種やっている。「そんな事、昔の膨大な資料を当たって調べて一体どうするのか!?。」と言う気になるような、、、。
 しかし、本人の弁では、「仕方が無いから僕がやっているんだよ。」「誰もやらないからね。」「僕だって本当はこんな事やりたくないんだよ。(じゃあ止めれば良いじゃん!?。)」本読んでるのが一番良いんだ。」と、では?と言う当然の疑問になりますが、、、。「人間には名誉欲と言うものがあってね。」(例えば癌の研究であるとか、成功した暁には、それと引き換えに多くの富、名声を手にする事の出来るジャンルには、それに比例して多くの研究者が群がる。しかし、何も得られない所には誰も居ない。)「しかし、こう言った物は、それが間違いだった。もっと速く気づくべきだった。」と人類が気が付く時と言うのは、全て、(もう開始するには)遅いんだよね。」(=僕は、そうなる事が解っているから、だから今からやっている。となる!?)
  この人の、ものの考え方はアンコウ様の言う100年後(明らかにこの人は自分の死後100年、いやもっと向こうのスパンを視野に入れた行動としか思えない!?。)と相似化していいんじゃないかと思ってる訳?。

  ただね、先に観測が違いすぎ、意見の一致は永遠に見ないだろう旨、書いたけど、(しかし、この件は高田馬場でやったので、深追いしない筈が、いつの間にか、、、、だけど。)問題は自転車の業界の現状を見て、(かれこれ40年弱を見た計算になるけど、、、。40年間のスパンで、向こう100年をシュミレーションしてみても、、、)今のk原さんの話が成立するか?と言う疑問、これはどう見ても考えても、僕にはシュミレーション出来ない、悲観的にならざるを得ないんだよね。

  例えば、この前、アンコウ様に高田馬場で聞いたけど、ある人に僕の正体のネタばらしをしたら、正体を知った瞬間の話しがあったじゃあない。ああ言う感じ。(アンコウ様に聞いてくる、つまり何者かは知りたい気持ちがあったとなる。しかし、、、。)
  更に言うなら、これはアンコウ様の私通メールの下りだから、公の場で引用するにはどうか?とも思うけど、キーフレーズだけ抜き出すと。
 「確かに、ARTUROさんのOXOXOを見て、妬みを覚えたとしても、それは人間として、当然の感情だと思います。但し、そこで嫌がらせを始めるかどうかは人間としての質の問題でね。」
  これを引用したのは、今こう言う人が居る、と言いたいんじゃあなくて、この辺のレベルは40年前と見比べても恐らく質的には代わってない気がする。つまりは、100年後変わってないんじゃないか?と言う疑念が物凄く強い訳。
  この疑念が払拭される事が無い限り、ここでの意見の一致を見る事は難しい、とそう補足すべきだったかも!?。
 勿論、これは僕の所管であって、アンコウ様をこっち側に引き寄せよう、て訳じゃあないですよ、、、。

 せめてね、「今までのやり取り、ずっと注目して来ましたけど、第三者として言わして貰うなら、これらの過去登場した情報は、明らかに既成の自転車メディアじゃあ手に入らない情報が満載じゃあないですか、これを封印、廃棄するなんてのは感心出来ないですよ。僕もアンコウ様側に”投票”しますね。」な~んて事、言うみたいな投稿が過去一回でもあったら、もっと、アンコウ様は「それ見たことか!。」と言う顔すべきかもしれませんが、先に書いたよう、僕の概念を覆す事は今のところゼロですからね。
  (やっぱ、全国で5人の世界!?。)

 いや、しかしこれもなんの話だ!?。
 ケルンの大聖堂に触発されてこうなっちゃったよ、、、。(結局、高田馬場状態じゃん!?。)
 しかしあの大聖堂、何回見てもインパクトあるよな~。ケルンの人たちはその恩恵に感謝すべき。これは姫路の人の姫路城どころの騒ぎじゃあない!?。
 
  
2012.02.10 05:07
アンコウ
なるほどねぇ。選手と使用自転車の関係ってぼくの目にはほとんど入っていない分野だったんだけど、つまり有名選手の名称を自転車につける、いわばネーミングライツを持っている所と実際に自転車を造っているところの感覚が僕にはあまりぴんと来なかったんだわ。いや、これホントに勉強になるわ。そういう切り口なんて僕の頭の片隅にもなかったもん。確かに有名選手はイノーなんて書いてある銀の自転車に乗っていたけど、単にシールを貼るだけの話かと思っていた。そりゃそうだ、名称を使うっていうことはそれだけで金が動くわけだわ。ケッセル自身は自分の所の自転車をメルクスに提供することはしなかったの?つまり、すでにもう40年たつと、メルクスの自転車って行ってケッセルという名前が出てくる人ってあまりいないと思うんだけど。。。

あと、もうひとつ思い出したんだけど、ベルギーヒタチはスプレンドールっていう青い自転車に乗っていたけど、あのスプレンドールっていう自転車のメーカーって実在するの??

うん、レモンとの密約、わかったけど、というか、Arturoさんの話を踏まえてのつもりだったんだけど、実際に86年にレモンはイノーのアタックでパニックになったわけでしょ?関係者はあれをイノーの(観客に対する)サービス精神だと知っていたり、あるいは想像できたとして、当のレモン本人はそうじゃなかったってこと?

うん、マペイのワンツースリーの話はミュセーウはエースだからっていう考え方。ダーネンスがPDMではデヴォルフより上っていう意味で当たり前かなと思ったわけ。

しかし、話題をそらしてしまうかもしれないけど、タピーってその後サッカーで買収疑惑で逮捕されたんだよね??自転車での買収まで話が行き着く可能性はないのかなぁ?

ケルンの大聖堂は600年かけて造られました。最初に造り始めた職人達は自分が生きているうちに完成することは絶対ないのを知りながら、自分の孫子に仕事を託していったわけ。知識や経験は次の世代に託していかないと「もったいない」(出た!!)って思わない?? 次の世代が「おれ、やーめた」「しらねぇよ、関心ねえもん」って言って建築をやめちゃう可能性だってあるけど、事実、ケルンの大聖堂は何百年だか、建築作業が中断して、完成しないまま放置されるんだけど、また再び再開されて現在の姿になったというわけ。んん??なんの話だ??
2012.02.09 09:22
arturo
いや、そうじゃあなくて、これはいつかの投稿ネタの復習になっちゃうけど、84年、新生チームラヴィクレールはスタートしたけど、ツールではフィニョンに破れ、イノーは2位、この際、85年を見据えて、チーム補強の際に、フィニョンの傍らで、ルノーチームにあったレモンを、ラヴィクレに引き抜いた。この時点での”密約”つまりサラリー以外の提示外にも、ウチのチームに来れば、来年はイノーの為にツールを走って欲しいが、その翌年は見返りに、イノーに君のアシストをさせる。と言うオプションを付けた事かと考えます。(いつかのこのネタ、思い出してきた!?。僕としては旧ネタを引用すれば、”復習”の手間が省けると思い、引用したんだけど、これに関しては再度の説明になり、(それも、JFBの登場まで、アンコウ様は覚えておられるのにも拘らず、、、。)逆効果かな!?と今,反省しています。(もはや泥酔の理由は成立しない!?。)それどころかマペイネタは別の説明を要する羽目になった。
  勿論、宇都宮の件が出ていますが、これも、全く過去に非スプリントのゴールが全く無かった、と言いたい訳じゃあなく、スポンサーの絡みで、レースがスポイルされた一例として言いたかった訳です。
  それを言うと、シドニーオリンピックだって、スプリント回避だった訳だし。あれも、同時ゴールじゃあ、いかんせんミエミエだと言う訳で、順番に”アタック”してますよね。それでも物議をかもしたけど、、、、。

  ケッセルのウマみ(金を払う見返り)と言うのは、言うまで無く、地元ベルギーではEDDY MERCKXのロゴを入れた自転車を合法的に販売する権利を得た、と言う事、又、自身がカバーしていない、他の国では、希望する自転車メーカーに商標権を販売(=つまりは、それはそれで利益)する事じゃないでしょうか?。日本ではミヤタがこれをやった訳で、ちゃんとケッセルにロイヤリティー払って、日本で販売した訳で、当時のミヤタの広告にも隅っこに英語で、ケッセル社のライセンスの元、製造販売してます表記が出てましたよね。(アンコウ様が見たケッセル、ってこれの事だったりして!?。)
  フィオレッりと言うのは、北イタリアはNOVI LIGUREという町にあった、自転車の製造会社です。88年くらいに店仕舞して、このコッピの商標権は、マシャーギと言う会社が購入して今に至っている!?。
  59年のツール優勝者、バーモンテスのマシン、”COPPI"はここの製造による物、となります。勿論、カルパーノ、コッピと言うチームの名前も、これから来る。同じようにアンドレ、ジュネはフランスの会社。アンクティルだけでなく、ジェミニアーニも商標として持っていた。当時の仏、自転車雑誌には二つ並べて広告を載せていますね。更に言うと、66年のツール優勝(エマー)車両は、ここの会社の物、と言う事になります。実際に作っていたアトリエはCARREというアトリエと思われる。又同じように、BIC時代、それも68-69年は、マジーが作っていた。
 マジーはそれこそ、先に登場したフエンテも乗っていましたが、この頃メルクス、アンクティルにも乗られていた訳ですが、今話題になっているコルナゴと違い、律儀と言うか、余り物議を醸した記憶、印象が無いですね。(69年のツールの写真等見ていると、マジー仕様ファエマーは、山岳で特に使っているイメージがあり、後のモルテーニ時代と違って、マジー一色と言う感じでは無かったですね。ここで脱線すると、前にちょっと言った、デローザ、ファエーマと言うのは、どこまでホントか?ですが、あの当時、ある日マジーが店にやってきて、「こっちは忙しくて手一杯だから、お前らのフレーム回してくれ(=仕事のおこぼれ回してやる)と用途は?のままフレームを持っていった。そのまま、客に流れたのかと思いきや、しばらくして、ある日、フィエラで、メルクスの使用車として展示してあった車両を見たら、これはウチにフレームじゃあねえか!と言う事があった。と言うもの。まあ、ナベックスのラグで組んで、かつ、肩もあの肩のままだと、デローザとマジー(それも69年の頃のマジースペシャルだと、尚更)は良く似てるけど、、、。チェーンステーも、そのころだと、デローザはひょうたん断面、マジーは小判型断面とやはり似ているのオマケ付き!?。
  でも話戻すけど、M宅先生の本、確かに類似した本は当時無かったと思うけど、でも、あれも「本は売る本ばかりじゃあないですからね。」ではなく、あれはまさに「売った」本ですよね。それだけに見所満載、てんこ盛り!?。あれが市場に載せられた時代でもあった!?。

  後、ゴッホのひまわりだけど、ここは時間が経過すれば価値が出てくる事もある、と言う主張されている、と言う解釈(で正しい?!)してるけど、かつ、その発想そのものは否定しないんですがね。やっぱ高田馬場に戻っちゃうけど、僕個人は100年スパンで見ても、これは自転車界には当てはまらない、そう言う(希望的)観測を持つ事が出来ない。と、ここに尽きるんじゃないかと思っている訳です。勿論、ここに関しては多分永久にアンコウ様とは意見(観測)の一致を見る事は出来ない、とも考えている訳で、かつ「じゃあ(そんなに主張されるなら、験しに気が向いたら、アンコウ様のブログに書き込んでみましょう。となってる訳だし。ついては、アンコウ様の主張の片鱗となるような反響、反応、投稿が出現するか?とも期待している訳ですが、、、)少なくとも、今のところは、僕の概念を覆すような出来事があったとは、考えにくい!?。
  勿論、100年後どうなっているかは?神のみぞ知る世界な訳で、ここで議論しても結論は出ないでしょうけど、但し、何度も書く通り、僕とアンコウ様では”観測”が余りに異なっている、と言う事だけは言えようかと!?。(最近登場しないですけど、この辺、こばやし様なんかはどう感じるか?聞いてみたい気もする!。)
  ちなみに僕個人はゴッホのひまわり見ても、そもそも絵心がないのか?!何であんなモンが億単位の値段な訳!?と思っちゃってる体たらくではあります。まあ、インドゥラインのマイヨジョーヌが三百万しても、説明付かない訳ですが、、、。
2012.02.09 06:24
CYPRESS
ケッセル製のメルクスは宮田に有るはず。
写真はバイシクルクラブ1985年6月号p.72の下。その他色々。

コルナゴの商売っ気ね、スポンサー契約してないのにメルクスの自転車にコルナゴの刻印を入れた部品を付けまくってたんだから、ある意味あくどい。
それにコルナゴはテレビや写真をかなり意識してロゴを考えてるに違いない。
1970年代からシートチューブのロゴを縦書きにして自転車を前から撮った時、分かりやすくしてます。実際にはエルネスト本人に聞かなきゃ分かんないけど、文字数が多いコルナゴだから縦書きの方が分かりやすい、かな?!
さらに白帯に黒ロゴにして、より分かりやすくしたんじゃないかとも勘繰れます(→サローニの自転車)。

それに比べればデローザのクラウンなんか殆ど映らないんだからかわいいもんです。
2012.02.08 23:31
アンコウ
なるほど、では、イノーはタピーから言い含められていたが、レモンは知らなかった、もしくは言われていたけど疑心暗鬼になった、ということでしょうか。

まあ、宇都宮の世界戦だってダーネンスとデヴォルフはスプリントしなかったし、そういう意味ではあのパリ~ルーベはミュゼーウが勝ったのは当たり前なのかなぁ、と思っていましたが。あの頃はたしかフレッシュ・ヴァロンヌでもマペイのワンツースリーじゃなかったっけ?あとになって、エポの効果みたいなことがよく言われるようになりましたっけ。イタリアのチームだけが良い薬を見つけたみたいな。。。たしかブーニョがエポをもっと本気で取り締まれ!と言いながら、自分は興奮剤かなんか、つまんない薬のドーピングで陽性になっていたような。。。。

ゴッホのひまわりは描かれてから十年以上たってからでしょ? 拙ブログにも、だいぶ前にCYPRESSさんが書いたコメントの中の、デローザとダブルボトルで検索して、見に来た方もいますからね。ちなみに、私、ゴッホってちっともスキじゃない。印象派って下手っていう気持ちが強いんだけどね 笑)

ふと、ケッセルって80年代にカーボンモノコックのフレームが日本でも出てたっけ?と思ったけど、あれはケストレルだっけ??ケッセルってなにかで聞いているけど、思い出せない。で、ちょっとわからないんだけど、メルクスが実際に乗っていた自転車はコルナゴとデ・ローザだったわけでしょ?ケッセルのうまみはどこにあったわけなの?

コッピがFiorelli??これもわかんない。Fiorelli ってなに?コッピってビアンキじゃないの? アンクティルのAndre Jeunetも知らない。メルシエはさすがに知ってるけど、ボベが何に乗っていたかっていうのは、だめだぁ。ぼくはライトにいるんだからね。サードライナーは取りに行けません。しかも飛んできたのが野球のボールじゃなくてバスケットボールだよ。どうすればいいのさ?? レフトを守っているCYPRESSさん、なんとかしてよ 笑)
2012.02.08 22:58
arturo
まあ、イノーの件と言うのは、アンコウ様も言う、JFへBの質問の件です。行動、(その時のアクションと言う感じでない、、、)と言う表記はイマイチですが、あの時の話題で即して言い直すのなら、イノーは86年ツール、その6勝目は予めスタートの時点で、もはや事実上、視野に入っていなかった。(レモンに勝たせるためのツール。)
  しかし、見物人、レースを楽しみたい側からすれば、ツィメルマンを退けた時点で、どっちかが、勝利、勝者なのだから、この二人、あくまで力量が(ここではアスリート上)上なのか白黒をつけて順番を決めるべき、かつ、それを見たい、が満たされない。と言う事になります。
 これに関し、Dの言い分はイノーの”行動”は至極当然だ。と言う展開です。
  スポンサーの圧力で、レースを楽しむのが、がスポイルされた、と言う例で行くなら、いつだったか(99年!?いや、もっと前!?)、スポンサー、マペイの圧力で、ゴールスプリントを回避させた、ルーべの一件がありましたが、これの方がより明白で象徴的だったかも知れません。この件は、マペイがメディアでも叩かれた記憶がありますが、、、。それからすると、タピーの方が、”巧妙”な感じがしますね。
  マペイの件だと、当時マペイの人物(ここでは、チームのマペイではなく、スポンサーのマペイ社)と話をした事がありますが、脱線ついでに、彼の主張は「マスコミの言い分はチト事実と違う。」「オレが本当の事を教えてやる。」「確かに、あのレース、カタが付いた時点(3人独走が確定)で、パトロンから、スプリントをやめろ、ショーとして盛り上げろ。と言う”命令”が出たとこまでは確かに本当だ。」「ただ、マスコミが言うように、3人の”序列”まで介入はしていない。それはそっちで決めろ。」とにかくスプリントだけはするな。」と言うのが本当だ。」「考えても見ろ。こっちは企業のCMが目的だから、どの順番で入れようが、場面ビジュアル上の違いなど無いに等しい。」だから、後はその後のチーム戦略に基づいて決めろ。となる。」「事実、レースを獲らせたのは、ムゼーウだ。」「これは当然だろう。彼は、この年も、ワールドカップが視野に入っている。ここはポイントの為にも、ムゼーウを獲らせたのは説明が付くだろう。」後の二人は特にもめているようだが(確か、タッフィとボルトラーミ)、これは、同じ理由で、我々マペイ社としては管轄外(=こっちに文句を言われるのは心外!?)だ。」と言ってましたが、、、。まあ、スポンサーの為に、、、、と言うのには、一定の説明にはなるのではないでしょうか?。これでの反例で行くのなら、確か93年辺りのロンバルディア、この日も、当時のアリオステアの二人によって、トップ2のゴールとなったのですが、この時は、チャンと(!?)スプリントしましたからね。マペイの件の当時、比較対照にもされましたよね。(観衆が見たいのは、こっち、、、。)しかし、ま、マズイ、、、、!?。バルタリから、今度はついに90年代、マペイ迄来てしまった!。いよいよ、非難の矢面はこっちに来る、、、。

  しかし、メルクスのプジョー(66年、67年、67年の方がより、マジーのイメージあり。エンドにカンパが付いてる手前、変速機もカンパが付いていたりする。同じ理由で、ステム周りもチネリの鉄ステムが付いていたりする!?イタリアのフレームに、うかつに仏ステム入れるとガタッちゃうからね、、、。)の話だったり、しないといけない!?。

  でもね、ゴッホのひまわりに戻ると、今回だって、だれも援軍は来なかった訳だし(”常連”を除く。)と言うか、いつかのセンターフォワードの件の時と言い、援軍、て実は全く記憶にないんですよね、、、。(仮に前項で5人居たとしても、、、、。の世界!?。)
  それにもう少し基本から、、、、と言われても、実際問題、どう書いて良いのやら!?と言うのが実感ですよね。言われる側としては、、、。あんまり込み入った事書いた記憶はないんですけどね、、、(ストーリーは込み入ってますけど、、、。)なんて言うか、動詞HAVENの変化始める前に、いきなり格変化の話しちゃった、みたいな、意識は持っていないんですよね、こっちとしては、、、。しかし格変化、って一体何なんだ!?。僕にはあれはチト理解出来ない、、。しまった、これだと、バルタリどころか、自転車枠の外にはみ出してしまう!?。
  これで一回投稿する事にします。
  ちなみに、ケッセルはベルギー、海の側の町にあった、自転車の会社です。この時代までは、有力選手の名前を商標権として自転車の販売に繋げる、と言うのが結構一般的でした。そのまま、チームの機材スポンサー。ここでは特にフレーム。(考え方によっては今でも有る!?。BUGNOと書いたMTBも見た事があるけど、、。)当時の例で行くと、コッピ(FIORELLI)ボベ(MERCIER)アンクティル(ANDRE JEUNET)そしてメルクスはKESSELと言う説明なら馴染みが良い!?。
2012.02.08 20:59
アンコウ
フラストレーションには申し訳ない。でもね、この話題、振っておいて今更だけど、ちょっとぼくにはレベル高すぎだわ 笑)誰か援軍が来てくれるんじゃないかとか、こういう話題って僕のブログではあまり出てこない話題だけど、ハード面に対する関心が高い人もいるかと思ったので、振ってみたわけ。だって、ケッセルって言われても、名前聞いたことあるけど、イメージあんまりわかないもん。僕が持ってるメルクスの本にも出てこないしねぇ。もう少し基本のところから説明してよ 笑)

ただね、こういう風に振っているのも、僕とArturoさんの間だけでなく、こういうことって、いますぐにかはともかく、どこかで検索して引っかかっておもしろがる人がきっといるとおもうんだよね(ゴッホのひまわり 笑)。

メルクスと言えば、単純にマジー、コルナゴ、デ・ローザだと思っていたから。あれ?最初のプジョー時代はプジョーじゃなかったの? ちょっと僕の理解では、追いつかないので、年代順に整理する必要があります。でも、これは本文にした方が、興味を持っている人の目に触れやすいかなぁ??

というわけで、そうそう、三宅さんの「ツールを追いかけて」って本、どういうわけか本箱からすぐ見つかったので、いまぱらぱらと見てみたら、ありました。これが僕の知識の出所だな 笑) ただね。あの時代、80年代にツールなんてみんな知らなかった?NHKの放送はすでに始まっていたかな? いずれにしてもNHKの放送だって今見ると、レースの戦術についての解説はでたらめだったよね。そんな時代に出た本ですからね。しかも大手の出版社で。類書なしの状態で。そういう意味では、たたき台になるっていう貴重な本だったんだと思います。当時はこの本を読んで、実際に映像で見ることはほとんどないに等しかったヨーロッパのレースに思いをはせたものでした。

イノーとレモンの話は、D氏が言った当然のイノーの行動というのは、具体的にどのこと? 86年のイノーのアタック? ただ、前に出したレジェンド・オブ・ツールのDVDのなかでも、現在のイノーへの質問は延々とあのときの確執のことばかり。まあ、イノーがそれに対して真実を、そして本心を語っているかは、かなり怪しいけどね。むろんスポンサーのために走るんだろうけど、天下のイノーと伝統破壊のアメリカ人ですからね 笑)

当時のフランス人は、タピーはアメリカ進出のためにレモンをひいきにしている、けしからん!!っていう反応はなかったんだろうか?以前Arturoさんが話題にしたJFBの話も、ひょっとして箝口令がしかれているなんてことは?

うーん、バルタリの話から、思えば遠くへ来たもんだ 笑)
2012.02.08 10:10
arturo
なるほど、これでコメントがオワリとはちとフラストレーション状態です!!!。(今度ばかりは、脱線して書いたと言うより、「教えてよ。」に呼応して書いたと言う意識アリにつき、、、。)

  でも、コルナゴのの商売っ気と、メルクスが嫌気が差したに違いない、旨の記載は僕も読んだ記憶があります。しかし、これを読んだ時点で、前述の知識がかなりインプットされていたので、「ホントかよ。この人の勝手な思い込みだろ!?。」位に思った記憶もあります。

  確か、”大御所”S田フォトジャーナリストの”先代”のM宅カメラマンの本、もはやここまで行くと記憶が曖昧な「ツールドフランスを追いかけて。」と言う本の中だったような、、、、。

  しかしねえ、この人の記載は、S田先生同様、どこまで、ホントかよ?当時はネットとかでウラを取る、と言う時代じゃあないから、それに乗じて書きたい事を書いていたような、、、。オイ、ホントかよ!?な記載を見たのも、一回2回じゃあなかったような、、、。
  一例だけ書いておくと、86年のツール、ついこの前も含めて、タピー、イノー、レモンの話は、ここでも話題にしましたよね。あの人のツールレポートでは、この二人が戦った事になっていて、しかも、タピーが説得に当たるが、まるで効果がなかった、みたいな事が平気で書いてあって、当時の時点でエライ驚いた記憶があります。
  まあ、コルナゴの件は、又目を通す機会があったら確認されれば、、、。とも思います。

  ケッセルのメルクスへの影響、と言うのもヘンな感じ(違和感)がしました。この業界、イタリアでも良く聞くセリフですが、CHI PAGA?(カネを払っているのは誰だ?。と言うセリフに象徴されていると思います。
  カネを払っているのはスポンサーである以上、力関係で言ったら、須ポンサーが一番、と言うのは明白な話。
  ケッセルの場合は、カネを払う見返りに、EDDY MERCKXと言う商標権を手にした訳で、(その前、ファエミーノからモルテーニとの移籍にあたっても、既にケッセルと契約している以上、これはモルテーニとしては、メルクスの獲得に当たっては、順守せざるを得ない。(メルクス移籍以前のモルテーニのマシンは全く同じカラーリングで、ダウンチューブには、MOLTENIと書いてあった。まあ、以前も書いたとおり、あれはメルクスオレンジ、じゃあなくて、モルテーニオレンジですから、、。)

  以前クネットマンの件で登場させたDと言う男(78年、世界選の”真相”を語った話。)は、先のイノー&タピーの件の時も、こう言ってました。「オマエ、なんか勘違いしてんじゃないのか?。(イノーの行動。)それが、何かおかしい事なのか?。イノーの行動は、プロ選手として、至極当然の事じゃないのか?。不思議に思うオマエがオレには理解出来ない。いいか、プロ選手は、誰の為でもない、サラリーをくれる、スポンサーの為に走るんだ。個人的な事は二の次だ。仮にスポンサーが負けて欲しい場合ば、そうするのが当たり前だ。(勿論、通常は有り得ない。自社のCMの為にも勝って欲しい、のがノーマル)言わば、給料貰っている者が、その会社の為に働くのと同じ事だ。」この話と先のM宅先生の話と正面切って矛盾しているとは、ガッテンして貰えるでしょうか?。
どんどんライト守備から離れる一方!?。
2012.02.08 02:10
アンコウ
どこで読んだのか、はっきりおぼえてないんだけど、コルナゴは商売っ気が強く、それを嫌ったのだろうという説を読んだことがあるなぁ。そうなのかぁ、メルクスにケッセルの影響力がそんなに強かったの? 知らないことばかり。ぼくの守っているライトからはずいぶんあっちのほうにころがっていきました。

ちょっと、いま、忙しいので、とりあえずこれだけで出します。
2012.02.07 19:44
CYPRESS
シャニーの"La fabuleuse hisitoire du cyclisme"1995年版p.501のメルクスの写真。
見出しだと1972年のグランプリ・ド・ナシオンになってますが、おそらく1973年の間違い。
この本持ってる人はギア板に注目。
ハートのマークの中に"D"の刻印入り。
誰が見てもデローザだぜ、この自転車。
ジロではクラウンのハートマークをローで埋めたのにフランスじゃなんでデローザ刻印入りのギア板を使えたんでしょう?
クラウンなんか殆ど写真や映像に写らないけど、ギア板はこの写真みたいにハッキリ分かるのに、なぜ?フランスだから?時期の問題?

ん~、またバルタリから離れていく(笑)。
2012.02.06 22:55
arturo
で、コメント、補足の件ですが、あれじゃあ終われない、尻切れトンボ、と言う訳で、順番!?に補足して見ます。
 まず、この件、この神話を昔の時点で読むたび(大昔の沼さんまで遡る!?。)になんかこう、釈然としない感じを持っていました。
 以前登場したK原名人の言葉を借りるなら、「デローザのフレームの何処が良いのか?解らない。」(メルクスが乗ったのは)「何でも言う事聞いたからじゃないの?。」で、実際、70年代前半のデローザフレーム見ていると、確かに信じられないような凄い事やってあったりして、(何これ?状態。エピソードアリだけど、ここでは省略。)さもありなん?!。状態に陥っていました。
 しかしコルナゴとの比較論上ある程度は、想定出来ます。つまり、当時72年のニューサイ読んでも、S野の当時の社長(故人)のレポートなんか出てきますが、あのデローザの工房、ろくな設備もない。一方、この時点で、コルナゴの方はレーサーフレームで既に商業的に成功しており、つまりは、それなりの生産、工作設備が揃っていたであろう個とはフレームを見ても想像出来ます。質の安定、と言う点では明白ですね。やはり、ニューサイ上、N沢さんの話でも、未だレーサーのみでは食っていけなかった、ついてはグラッツィエーラと言う、折り畳み自転車のロー付けの下請けの仕事をやらざるを得なかった、と言う話も出てきたりしてますよね。

  すると、60年代のツール(アンクティル)の件ではありませんが、なんでまたメルクスが惚れ込むのか?と言う当然の疑問に辿り着いた、かなり速い段階で、?と言うのはまず、ガッテンしてもらえる!?。
  で、調査開始?!ではありませんが、まずメルクスにもろ、この質問を浴びせた所、帰ってきた返事が(まず、ここで、「ガ~ン!」状態。)「デローザに変えたのはオレじゃあない。」「モルテーニが決めた。」となり。いきなり”惚れ込み”を否定されてしまいました。瞬時にして、神話はあっさり”崩壊”。かつ、これは、後述の通りに、、当時のディレクターだったアルバーニによってやはり、デローザは(コルナゴに変わる)後釜だった。デローザになったのは、単純に、モルテーニのような大チーム(モルテーニより上は確かにないからね。)との経験が向こうになかっただけの事だ。」旨言われました。(=つまりは好条件で契約できる。)
  じゃあ、なぜ、コルナゴが消滅しなければならなかったのか?と言う、本来の疑問!?に辿り着きます。しかし、この件になると、一転して皆口をつぐみます。と言う事は何かあり?状態!?。
  その中にあって、当時メルクスのマネージャーだった、ロベール・ルラング、(質問の時点でASOに居て、JMルブランのクルマのドライバー。脱線するなら彼の息子、ジョンは今のマイヨ、ジョーヌのチームのマネージャーをやっぱ今やっている。)が同様の質問に対し、」「それはレゾン、ポリティック、政策上の理由による。」とやはり”理由”があった事を匂わせるセリフを僕に残しました。
  他にも、コルナゴ側のセリフ、そして、自身は口をつぐむもの(仮にアルバーニの話の通りならデローザは「後釜だった。」とは言いたくない。よって、あっさりここは説明可能。)、の、「モッタに聞け。」と言ったデローザの次男。ちなみにモッタは「この手の質問には答えたくない。何故なら、どっちも良く知っている。(コルナゴ&デローザ)。この手の説明は、必ずどっちかにマイナスになる事を言わないといけない。だから。」(前述の、僕の”推理”通りなら、どっちかどころか、両方と共にプラスにならない。)

  ここで、いくつかケッセルのコルナゴとデローザの扱いの違いに着目してみると、
  1、ほんの一瞬にせよ、ケッセルはコルナゴに対し、メルクスブランドの商標権を与えた形跡がある。やっぱ,当時のニューサイにも紹介されていましたが、コルナゴのカタログには堂々とメルクスの自転車、写真入りで、市販仕様を紹介している。(デローザには全くその形跡がない。)
  ここでやや脱線すると、この市販仕様、コルナゴーメルクスは、殆ど目にする機会が無いですが、(逆算すると、多分おおっぴらになる前にボツになった。ケッセルからストップがかかった、と言う、推理も出来る。)僕は貴重な1本を目にした事があります。このフレームは事故り状態で、自転車屋の天井で、眠っていたのを目撃したのですが、(今、このフレームは岡山に有る筈!?。)事故った事で、”を回収”を免れたのか?!。このフレーム、マーク類ほプロ仕様と同じ意匠ですが、唯一違うのはコルナゴ自前らしく、貼りマークではなく、転写式でした。フレーム体は、全く、ノーマルコルナゴと同じ。しかし驚いた事に、立てパイプの鉢巻マークには、堂々とコルナゴ製と書かれていました。或いは、これがトラぶった一因足りえる!?。(メルクスのマシン及び、メルクスブランドの自転車はケッセル製でないといけない、と言う建前がある。まあ、日本のミヤタはさておくにしても、、、。)
  2、例のフォーク肩のハートマーク事件、これは当時のニューサイにも、N沢さんの談話で、登場している。しかし、デローザ個人にしてみれば、ナットクの行かない言い掛かりじゃあないか?と言う気持ちになるだろうとも推察可能。と言うのも、コルナゴは、クローバーマークや、スペードマーク(スペードマークは当時コルナゴは、下位グレードのCOLNERブランドに”流用”仕様されていた。これも”悪用”!?。)を入れたい放題に入れていた。「何で、オレだけ絡まれないといけないんだ!。」状態に陥っても不思議はない。何処にもデローザなんて書いてないじゃん!。状態!?。これは、フレームのアイデンティティーにまつわる物に関し、ケッセルガナーバスになっていた事を示すエピソードと言えるでしょう。
 僕の憶測では、これはケッセル側の示威行動だったのではないか?と推測しています。つまり、「いいか、お前らは、下請け,裏方だ!。ヘンなマネをして、”表側”に出ようとすると、もう容赦しないぞ。」と言うメッセージを送った。なんとなれば、代理人でも弁護士でも、、、高くつくぞ!」と言わんばかり!?。
  3、フォークの肩刻印に関して、一寸脱線すると、この件、コルナゴ自身は、「皆がメルクスのマシンはコルナゴ製だと認知しているのに、コルナゴのマークを入れることが出来ない。これには納得がいかない。」(=ついては”自発的にモルテーニを飛び出した!?と言う主張!?。)と言ってましたが。この後、75年位から、コルナゴはフォークの肩に、クローバーマークだけでなく、堂々とCOLNAGOの刻印も入れるようになる。(デローザはこれより遅れる。79年の時点で、ハートマークのみ。)
 4、そして74年はやはり、アルバーニも言ってましたが、コルナゴは、ケッセルとの決裂の後、SCICに行く。そこには期待の新星バロンケッりが居た。そしてこのバロンケッりにCOLNAGOを乗せて、74年ジロ、これは代理戦争となる。結果は12秒だかの僅差で、メルクスがバロンケッりを下す。(アルバーニも、「あのタイム差だから、一歩違っていたら、勝負はどうなっていたか解らない。」と述懐していました。(ここでの代理戦争とは、デローザとコルナゴではなく、あくまで、ケッセルとコルナゴ。)
 5、そしてデローザーメルクスの”初登場”は、これもやっぱ、73年のパリーブリュッセル(つまりシーズン後半。例のバルセロナの件、あの時点では未だコルナゴ!?。)だった、と言うのは当時のニューサイのS社のN村さんのレポートでも出てきますが(デローザもこれを否定しておらず、かつ当時のニューサイのN沢さんのエピソードとも整合。)この中途半端な登場の仕方、年単位で区切る契約が,こんなハンパな初登場、この辺の説明は?。
  (そう言えばメルクス=デローザの初登場は実は、ファエーマ時代と言う”別枠”、もありますが、まあ、これは、省略。こう書くと、又「教えて下さいよ。」状態になる!?。)

   未だ、他にも証言、エピソードが有った気がしました、これで一区切りとして、一回投稿、僕の”調査”報告として、これらの事を類推すると、冒頭の結論に至らざるを得ない、と言う事です。別の解釈が可能か?検証をお願い出来ますと幸いです。
(又気が向いたら追加します。)
2012.02.06 20:06
arturo
しかし、確かにあの辺は登りが一番ヒドイところです。瞬間勾配22%位の話だったような、、、、。アンギリりウは数値上はともかく、後に登場したゾンコランよりも、心理的には、こっちの方がキツイイメージがあります。選手も(双方走った)「これは甲乙つけがたい。」と言うのが意見の大半と思います。(数値上はゾンコランの勝ち。しかもRCS-SPORTもそれをウリにしていた!?。)でも、アンギリりウはフラット部分が2回あるからねぇ、、、。それらを差し引いたらどうなるか!?。
  勿論、後ろの連中は、サポートカー”押し”なんてのも大アリでした。観衆はアクセスが悪く、そんなに居なかったような、、、、。

  しかしそっちが書く気する、と書いたら、又、こっちをリクエストされてしまった!?。まんまと又してもアンコウ様の術中!?。しかしうかつな事書くと、「そう書いたのはオマエだろう!。」となりそうな気がする!?。
  とにかく、メルクスのコルナゴーデローザの件は、どう考えても、結論から書くと、あれは、コルナゴがそもそも、メルクスと予め契約している、ケッセルと(それも、商標絡みのニュアンスで、)トラブったとしか考えられない。更に言うと、コルナゴはケッセルによって、モルテーニの仕事を切られた、と言うのが一番妥当な推理、と言う訳です。こう考えると、各種(紹介してないですけど、、、)の発言とのつじつまを合わせる事が出来る。と言う訳です。
 勿論、これは誰もこんな露骨は物言いをした人物は居らず、「オマエの憶測だろが!」も成り立ちえる話ではありますが、、。
 これで一回投稿してみます。(時間があれば、後で又補足。)
 でもマジーの皇居の話は逆に僕には新ネタでした。そう言えばメルクス自身は、69年当時のファエーマ、マジー(もち本人仕様)に思い入れがあるらしく、探している!?と言う文章をどこかで読んだのを思い出しました。皇居の話もうなずける!?。
2012.02.06 17:37
アンコウ
アングリル2キロ手前って、一番坂の勾配がひどいところ?? 実況では写らなかったけど、翌日の朝のBSのスペインのニュースでは、ブレイレーヴェンスが足ついて止まっているシーンが映し出されていましたけど、上位の連中はともかく、後ろの方のスペイン人選手なんて、観客がやっぱり押しまくりだったんじゃない??

メルクスとフレームの話も聞かせてよ。ハード面は僕はホント詳しく知らないので。CYPRESSさんが書いたフォークのメッキも、以前話題になりましたっけね??

昔(1985,6年頃か?)、メルクスが初来日して皇居のまわりとファンと走ったとき(僕はそこに残念ながらいませんでした 涙)、知り合いの乗っていたマジーを見て、これはホントのマジーか?としげしげと懐かしそうに見ていたという話を聞きました。
2012.02.06 09:56
arturo
アンギリりウのリクエストされてしまいました。
  しかし、何を語れば良いのやら?!。(それよりも未だ、、モルテーニの、デローザ、コルナゴ、そしてケッセルの確執の方が書く気になりますね。なぜフォークフルメッキの流行を招くのか?。その前の確執!?と言った感じ!?。日本の自転車メディアは今でも、つい最近のサイスポだったか、未だ、メルクスがデローザのウデに惚れ込んで、自転車を換えた、な~んて言う”神話”が平気で語られ続けている現状が笑える。まあ、その方が都合が良い方が業界内に居られるからなのでしょうか?!、、、。)当時、冗談みたいなとんでもない登りを用意したもんだ!。と感心!?した位で。かつ余りに過激だったので、それが論争の元になった位ですかね!?。逆に現地に居た場合レース展開の事は解らないもんで、僕が居た所は、ゴール前2km位の所で、未だトンコフがトップだったのを覚えている位です。それくらい、逆にレース展開の事は解らない!?。全然関係ないですが、”本命”の連中が過ぎ去ってしばらくして、先にも登場したモーりが、登ってきて、「オイ、この登りのオワリは未だか?。」「いや、もう一寸だ、ゴール前1kmののぼりを過ぎたら、あとはむしろ下りだ。」な~んて言うやりとりをやった、みたいな取るに足らない事しか覚えてないですね。

  でも、あの登りは確かに、当時、グランツールで、もっとも登りの難易度が低いとされていたヴエルタが、その”汚名”を返上するべく用意したような記憶があります。その後、ジロは対抗措置!?としてゾンコランを用意,アンコウ様が言うような、過激登り競争を招いたような記憶がありますが、やりすぎは確かに感心しないですね。こう言う事がエスカレートすると、他のステージの”密度”が下がってしまう。(さりとて、難易度を片っ端から上げような物なら、78年のツールのようなストライキを招く事になる。どっかで帳尻を合わせる為には、他の密度を落とさざるを得ない。事実、積算登坂標高差を増やさない為に、ノコギリの歯のようなステージは減少の傾向と言わざるを得ない!?。)結果、レースを楽しむ、と言う観点からすると一極集中を招く、と言う負の図式。(ドーピングの騒動で、全体の難易度を下げるべき、と言う方向とも逆行する!?。)
  と言う訳で、激坂のオンパレードの件、僕もアンコウ様に賛成です。
2012.02.06 05:34
CYPRESS
バルタリから離れ続けてるんで1973年の事。

フォークをクロームメッキにしたのは、この年のジロ。メルクスの自転車。
メルクスがやったから皆真似し始めた。フレーム屋にとってはフォークを全色、全サイズ同じ「色」で済ませられるから手間が省け大歓迎。
メルクスがやった理由はクラウンにD社のマーク入りで契約上許されないんでローで埋めたけどフレームの色と合わせる手間を省きメッキにした。

この年のツールでオカーニャが史上初めてチタンフレームを使用。
カラー写真だとくすんだクロームフレームに見えますが、写真が劣化したり印刷が悪いんではなくチタンの地色。

1973年のジロといえばコロンビア人のコチセ・ロドリゲスがビアンキで初出場、完走。
コチセと言えば日本人には何をやっても敵いません。
略歴
1942年生まれ
1970年:アマチュアアワレコード達成 低地で47.553km
1971年:世界選 アマチュア個人追い抜き優勝
1973年:ジモンディと共にバラッキトロフィ優勝

サンチャゴ・ボテロの先輩に当たります。

二十歳でヨーロッパに来てればインデュラインみたいな選手になったと言われた逸材。
コチセの事を知ったのはイギリスの雑誌を読んだ時(→コロンビア選手の本の紹介記事)。直ぐにシュドレの自転車事典を引くと載ってる、載ってる。
イギリス人記者が日本人の100倍勉強してると痛感したのは、このコチセの記事。
2012.02.05 12:38
アンコウ
うん、パソコンの件、一安心です。

アングリルの話も聞きたいよぉ。ただ、あのアングリル以後、ジロでも20%越えの激坂が登場し始めたんですよねぇ。僕は個人的には激坂のオンパレードには賛成できないんですけど。。。

アングリルはブエルタのためにわざわざ道を舗装したと聞いています。それまでは家畜の放牧地で、当時も道の脇には家畜の糞がたくさん落ちていたと聞いたけど。。。でもオービスク峠もツールの黎明期に、ツールのために車が通れるようにしたと言われてますね。
2012.02.05 10:53
arturo
パソコンは再起動したら、何故か、何事も無かった状態になりました。
 で、オカーニャの名前を出したのは、スペインのヒルクライマー、他にも居たな、に呼応しての物でした。するとヴァンインプはベルギー人なので、ここでは概念に入っていませんでした。
   それとピュイドドームの軍事要因の件は、あくまで聞いた話なので、真偽のほどは一寸確約出来かねる話ではあります。(いずれ解る!?。)
  まあ、確かにあの一回目アンギリりウには行きました。僕があそこに行ったのは、結局、その翌年とで、都合2回。恐らく3回目はないでしょう、、、。今
  回は時間が一寸無いので、これで失礼します。
  (又後で追加するかも?。)
2012.02.05 07:40
アンコウ
わんわん! 苦笑&汗) 

そういえば、ピュイ・ド・ドーム復活か、みたいな記事をちらっと見たような気がしてきた。。。でも軍事施設がネックなのかぁ。古い話なんかを読んでると、アルプスのあたりは対イタリアという意味で軍事施設が多く、使えない峠が結構あったということだそうだけどね。たしかツール史上最高峰のレストフォン峠がそうだったなんて聞いたような。。。むにゃむにゃ。

オカーニャが出てきた。それじゃあファン・インプは?? 僕の本や写真から得た印象だと、ゴォルがパンターニで、ヴィランクがバーモンテスっていうくくりかなぁ。ファン・インプももちろん後者。山岳賞狙いって言うだけでなく、なにかもっと衝撃的な度合いの違いっていう、はなはだ漠然とした感覚的な奴ですけどね。で、ルーチョ・エレラは前者かなぁ、と思ったんだけどね。ちょうど僕がロードレースに興味を持ちだしたころの、なんか手足が長くて、胴体が短い変な体型の、だけどむちゃくちゃ格好良いって感じでした。

ああ、あのヒメネスがトンコフをゴール直前で逆転した霧と小雨のアングリル、現地にいたんですか。あれはスカパーのスペイン語チャンネルを契約して見てましたが、凄いレースでしたね。Arturo さん、まだまだ引き出しがたくさんありそうですね。

パソコンは急いでなおしましょうね。
2012.02.04 12:40
arturo
  いや、なんぼなんでも、全ての事を僕がぜんぶ知っている訳じゃあないですからね。関心があった、沸いた事は調べようと思うけど、引っ掛からなかった事は、当然知らない訳だし、極論を言えば、1012年シーズンは、昔と違って、本来進行形の筈ですが、以前にも書きましたが、全く関心がなく、よって、全く殆ど知識がありません。
   近年はバクゼンとツールの中継見ても(つまりは、この時点で7月、とっくの昔にシーズンインしている)、「何だ、この選手、このジャージ来てるって事は、今、このチームなんだ。」なんて思う事もザラでしたし、多分遠からず、「今、こういうチームに、こう言う選手が居るんだ。」と思うようになると思われます。(まあ、全くのド素人状態!?。)
  と言う訳で、この件は日本と言う国で、しかもこんな雑誌に、こんな記事を書いて、これはマメな事だと思い、関心した、ついては、ついでにこのA家さんにも感謝の念を表したいと思った次第。

  レジャン(神話)のピュイドドーム、記事にするかもと言う事で、期待しております。じゃあ、その時までのお楽しみで(=「書いちゃダメよ。」状態!?)コメントは割愛すべきでしょうか!?。只、プラトードベイユ(98年だっけ?)を”新開発”した時も、これ自身、夜のニュースネタになっていた気がしますが、スペースは何とかしつらえた(あっちは、エコロジーな理由で問題になった!?。)記憶があります。
  しかしピュイドドーム、これをASOは、復活させるべく画策している、と言う話も聞いた事があります。(結構最近、5年以内スパンの話。この噂を聞いたのは、、、。)その時聞いたのは、意外にも一番の問題は、国防、。軍事上の理由を挙げていたのを聞きました。つまり、あのエリアには、普天間基地ではありませんが、現在、何やら軍事施設があって、その辺がネック1番、みたいな、、、。多分、その気になれば、ASOは近未来にお披露目する事になるでしょう!?。2013年のツール!?いや、やるなら、2014年の方がゴロが良い!?。(この投稿が、再評価されるかも知れない!?。笑)

  でも60年ツール欠場の件、やっぱ話ししてたんですよね?高田馬場で、、、。結論からすると、改めて書く必然性はなかった!?。(それとも、これは第三者に話が通じるようにと、アンコウ様の演出だった!?。)
  勿論彼女はアンクティルより年上と思われます。アンクティルが生きていたら、未だ80には届いていない訳で、、、。しかし略奪婚かどうかはちょっと解りません。(只、その前の時点でアンクティル本人は結婚してないと思いますが、、、。)

  スペインのヒルクライマー足すなら、やっぱ、オカーニャでしょうか?。これは71年のツールに尽きる!?。(勝った73年より、こっちのインパクトが強い人は、多分他にも居る。この選手も、その悲劇性でインパクトがありますね。これもまた、先の”ジャックのミステリー”と同じ流れで作った(恐らく同じ製作スタッフではないか?と思えるくらい)、”メルクスとオカーニャ”、と言うドキュメンタリー番組を見た事があり、これもインパクトがありました。どう言う訳か、勝った73年より、71年の方に時間が割かれていました。

  それと、バーモンテスのフォーム,確かに異様ですよね。個人的には、こう言う人が居たので、昔の日本のサイクリングの入門書では、”三点調整法”等と言うバカげた事が本気で書いてあった、その遠因じゃあなかろうか?等と個人的には思っています。(もっとも現代で、今の人に三点調整法、等と言うと、「何それ?。」となってしまう!?。これを考案したT山さん、未だ存命らしいですが、果たして、どう思われるものやら!?。

 いずれにしても、パンターニに、この二人を比肩させたのは、僕じゃあなく、イタリアのビチスポルト誌のインタヴュー記事に登場したアントニオ サルティーニと言う男の見解ですから、当然意見は他にもあるでしょう?!。只、考え方かもしれないですが、エレーラはなんか、賞味期間が今ひとつ短かった、と言うイメージがあり、これが、一寸マイナスなのか?等とは、想像します。(まあ、短いと言うのも語弊はアリですが、、、。)他の三人からすると、なんか爆発的なイメージが、イマイチ、そんな感じがします。100点に対し、85点みたいな。50点と言うつもりは全くありません。
  こう書くと違和感を持つ人が大量に出ると想像しますが、いつかのキオッチョリーの件がありましたが、登坂力という点では、個人的には全盛期のインドゥラインのイメージがかなり強いです。

  エレガントと言う点で思い出すのは、このセリフは複数回聞いた事があるのは、アンコウ様も想像して頂けるかと思いますが、意外、と言う点では、99年だったか、ヴエルタ、(それも、なぜかアンギリりウに向かうバスの中。あそこもピュイドドームではないですが、狭い所、やっぱ、エコロジー上の理由。車両制限により、多くの関係者が主催者の用意したマイクロバスに分乗してゴールに向かった。その時の事をなぜか思い出した。)に行った時に、ウニプブリックのスタッフからも聞いた時でした。彼が知っているアンクティルは現役時代とは一寸考えられず、にも関わらず、、、と思った次第です。

  一寸パソコンがイカレてきた懸念があるので、これで一回投稿する事にします。(うまく書けない。これは困った!?。)
2012.02.04 06:31
アンコウ
あーのね 苦笑&脂汗) まあ、あの末期のアンクティルの台詞ってドイツ語や英語の本、あるいは前述のレジェンド・オブ・ツール・ド・フランスのアンクティルとイノー編でも出てきます。まあ、出所は一緒なんでしょうけど。フランスではあまり話題にならない??

ジャニーヌは最初に名前を見たのはプリドールのインタビューで、現役時代、ジャックと直接はなしをすることは避けていたけど、どうしても必要なときはジャニーヌが仲介した、と注釈なしで出てきて、だれだ?これ??って思ったのでした。あっちでは注釈なしでも伝わる有名人なんでしょう。ただ、アンクティルが20代前半で結婚したとして、ジャニーヌは連れ子がいたわけですね?ジャニーヌのほうが年上??ちょっとコッピのダーマ・ビアンカとも似てる略奪婚??

うん、ジャニーヌの解説、思い出した。Arturoさんから聞いてます。ピュイ・ド・ドームは先行したヒメネスとバーモンテス、さらにゴール前でアンクティルを抜くアドルニの三人は、全く蚊帳の外でした。レキップが出したCols Mythiques du Tour de Franceという大判の本にはこのときの様子がゴール6キロ前からゴールまで順番に写真にして30枚以上で、12ページにわたって出てます。そのうち写真とともに本文に書いてみましょう。

ピュイ・ド・ドームは頂上が狭いし、逃げ道になる脇道がないので、現代のツールキャラバンは入りきれないから、もう登場することはないだろうという話ですがね。

ふうん、エレガント。じゃあ僕が読んだジェミニァニのインタビューでのボベはちょうどその逆かなぁ。ボベって顔も男前だし、外見や振る舞いがいかにもエレガント(紳士)ぽいんだけど、ときどきボロをあらわすって話で、ある祝賀パーティーでの食事中に隣の淑女から職業上の困難について聞かれたボベは上品(!)に股ズレの話をしたって話。

ホセ・マヌエル・フエンテ、CYPRESSさんも書いてますね。いや、KASの小柄な選手。ジロで山岳賞を4,5回取ってるんじゃない??バーモンテス、フエンテ、あと、他にもいたなぁ、スペインの山岳スペシャリストでむちゃくちゃ突っ立ったフォームの選手。あれってスペインの伝統だったのかなぁ?最近あまりアップライトなフォームの選手ってなくなっちゃったけど。バーモンテスなんか、記録映像で見るとひとりだけ買い物自転車乗ってません??っていうぐらい身体が棒立ちフォーム。むちゃくちゃトップサイズが短くハンドルが近い自転車だったんじゃない??あれじゃあ下れないよねぇ。

パンターニに対抗するのはゴォルとフエンテ。。。うーん、個人的にはエレラも入れてほしいなぁ。
2012.02.03 09:17
CYPRESS
アンクティルは自転車に乗る「闘争心と自尊心」ですな、英語の本から得た知識では。謙遜の美徳が未だに残る日本からはこんなスポーツ選手は生まれてこないでしょう。
英語の記事で私が読んだ限りでは、人柄に関して「良い」の方に傾いた(?)記事は読んだことなし。

ジャニーヌの写真はニューサイ誌の”Le peloton du cyclisme"の「国際グランプリ」(→グランプリ・ド・ナシオンの事)の記事に載りました。

ホセ・マニュエル・フエンテ!
これは懐かしい名前が出てきました(^^)。バーコンを使ってた小柄なスペイン人!
イギリスのケネディ兄弟社から毎年出てたジロの本でフエンテは上りで54X18を使ってたと書いてあったけど、本当かなぁ?

マルセル・ビドとかラファエル・ジェミニアーニの記事を読みたいと思ってるのは私だけ?
2012.02.02 23:40
arturo
なるほど、そう来ますか!?。自説を変えるつもりは全く無い、と言う事ですね(”売れない本”の話)。先に書きましたが、これは高田馬場でやった経緯があるので、深入りするつもりはなかったのですが、これはブログ上でも同じ議論をやれ!?という事でしょうか?。アンコウさまの”主張”に対し、『ゴッホのひまわり。と言う事ですか?。」と答え、かつ、「いや、必ずしもそうじゃあないけど、そう取って貰っても構わない。」と言うセリフを聞いた記憶も残っています。(=よって、これを続けると堂々巡りとなる!?。理想的なのは、ブログ上と言う事を鑑みると、全くニュートラルな第三者の投稿、主張があれば良いんですけどね。勿論サクラは無効ですよ。さて、この第三者はこっちにつくか?それともアンコウ様に付くか?!。)

  確かに、ご指摘の通り、ジャニーヌのコメント欠落してますね。書いた気で居ましたが、、、、。書きながら、どんどん先に頭が進んでしまった!?。あんだけ長く書いて、コメントが欠落!。どうもすみません。アンコウ様以外、ここを読んだ人は、多分片手に足りないと想像しますが(それこそ、全国で5人の世界!?。)、この欠落をして、「なんだこれは?」と思われたものと想像します。
  で、肝心の彼女のコメントですが、「そうね。あの時確かに、ジャックは悩んでいたわ。でも確かに、最後は不参加、と言う結論になったわ。それは誰でもなく、ジャックが自分で決めたの。その理由だけど、最後は彼、フランスに伝わる古い伝説(ジンクス)を信じたの。つまり、3と言う数字が持つ、ジンクス。これをあの時の彼に置き換えると、前年3位だった(ツール)者が、その直近の次回大会で、再トライをすると、この挑戦者は勝てないどころか、二度と勝利を手にする事はない。」(アンクティルはこれを尊首した。勿論、それだけで理由にしたとはとても思えず、フィジカルコンディションを始め、不確定要素を抱えた上での、この”ジンクス”となった事は想像に難くない。)只、僕個人は、別ルートで、この”ジンクス”と言うのを(自転車レース以前に一般論として、)耳にした記憶はありませんが、、唯一引っ掛かる事ではあります。あの、オート、ノルマンディ限定なのかも知れない!?。誰かの投稿を待つしかない!?。
   しかし、先に書いたDEFIを身上とする男にしては、妙に気弱とも取れるエピソードではありますが、反面、このエピソード(既に書いた”悲劇”の通りに)をして、彼をDEFIにエスカレートさせたエピソードとも言えるかもしれません。(アンコウ様、さあ、これでガッテンして戴けたでしょうか?。)
   でもジャニーヌ、現代にあってはもう、80歳オーバーの老婆ですが、しかし、かつてはものすごい美人だったんだな、と言うのは、今でも類推出来る。そんな風貌の人でしたね。現行同士で比較したら、ホンモノのバルドーには勝つんじゃあないか?!。(この時の新聞記事送りましょうか?。)
   それとサナダムシの件は、覚えています。(これはメールじゃあなかったかな!?。)62年なぜ、ジロを走らなかったか?の件です。僕の意見は単純にヴエルタを走ったから。でしたが、、、。

   64年のツールも、先のドキュメンタリーでもかなりスペースを割いていました。ピュイドドームも言うまで無く、(「あれはフランスの自転車界にあっては、もはや”神話”だ。」と異口同音に、、、。あんなイメージは確かに後世のイメージでも、相似化出来るのは一寸思いつかない、、、。先の、大火傷で登場したビヴィール、彼はカメラマン以前に元プロ選手で、メルシェチームでプりドールのアシストをしていた経歴もありますが、(アンクティルの家で本人と撮ったふざけている写真もある。)プレスルームで見た、彼のパソコンの起動画像も、この画像でしたね。それも、もろ肩がぶつかった瞬間の奴。
   とにかく他のどのツールよりも、もっとも時間を割いていた記憶アリ!?。

  それと、癌闘病中プりドールに向かって「今度もオレが先だ。」の件、これも日本のそれもサイスポで読んだような記憶があります。確かA家さんという人の記事だったような、、。毎月誰か歴史上の選手を扱っていた記事で、1ページそこいらとは言え、日本の雑誌にこんな記事を毎月載せるとは!とどこか奇異に感じた記憶があります。
  アンクティルに関して、センスュエッルな側面で言うと、彼を形容する多くの言葉が良くも悪くもありますが、その中で、もう一つの側面で、人によっては、非常にエレガンな男だった。と言うのがあります。記者のその意地悪な質問にさらりと受け返すのもその片鱗では?。
  ここで言うエレガン、とは、単に身なりがエレガントと言う事ではなく、立ち居振る舞いに、日本風、古典風に言うと、雅さがある、と言う事でしょうか?。女の人で、「もうジャックの側に近づいただけで、もう気が気でなかった、、、。」と言う話を聞いた事があります。(複数回)。

  これは息子クリストファーにも、どうやら当てはまるようで、見ていて、血は争えない、と感じる次第です。さて、本当に結婚するのか?。でも、本当なんだろうなあ?。とにかく、彼の周りには、どう言う訳かいつも女の子ばかり(勿論,男がゼロってわけじゃあないですよ。)ご丁寧にこれがフランス人形みたいな可愛い小娘ばかり?!。どうなってんの?状態。恋人か?と尋ねると、「いや、只の友達、」「それにしちゃあ、一寸多いんじゃないのか?。そうか、全員、恋人の候補、オーディション状態?」と茶化して言うと。「まあ、そんなところ。」(!?)ハテ?。勿論、親父が有名だから、と言うのは当てはまってないようで、その内の一人が言うには、「いつか家で両親に、『なんでも彼のお父さんは自転車の選手だったみたい。』って言ったら、両親とも、名前はひょっとして、と聞かれ、フルネームを言ったら、両親共にもう驚いて、『それはあのアンクティルじゃあないか!!!』と驚かれちゃった。」状態。(なんで、そんなに驚くのか、今ひとつピンと来ない。未だに、、、、状態。能天気とも取れますが、まあ自転車レースに関心がない場合、それはアリかぁ!?。)

  さすがにネンチーニとは接点なしです。(事実上不可能。それを言うとアンクティル本人も、、、。一回も会った事が無い!。彼が死去した翌日、僕はなぜかあの時ローマに居て、RAIのニュースで、これを知って驚いたのを覚えています。僕が初めてルーアンに行ったのは、この翌年となる。)例によって、以前書いたとおり、郵便局員の息子とはそれも偶然に有りますけど、、、。
  それと、ゴォルも、バルタリも接点は無いですね。勿論、目撃した事はありますが、何かエピソード、と言うと、全く心当たりが無い。(かなりプノー状態。そう言えば仏ウィキを見ると、オージャンドルもプノーもちゃんと出てきますね。)
  ゴォルで印象的なのは(よほど突出していたのか!登坂力が!と言うエピソードで行くと、)、以前書いた気もしますが、98年、あの頃(パンターニの全盛期)当時のチポッリーニ(サエコ)の監督だったサルティーニのインタビュー記事の中で、この当時、監督業としてはかなり長老クラスだった彼をして、パンターニの登坂能力に匹敵する選手は、過去二人しか心当たりが無い、と言う話でした。その二人の一人が、このゴォル、と言う訳です。じゃあ、よほど、、、、と言うのは想像出来ますが。(ちなみに、もう一人はJMフエンテだった。しかし。彼に関しては弱点ありで、つまり調子にムラが有りすぎる、、、となりますが、、。グランツールを獲るには、安定度ナンバー1である必要がありますが、これに全く逆行している。)
  個人的にはゴォルとアンクティル(ツール58年或いはジロ59年)と、パンターニ&ウルリッヒ。(いつか書いた98年ツール、そして97年ツールは後述のメルクス。)そしてメルクスとフエンテ(73年ジロ)で思わず相似化させちゃいますね。(但し、論理的根拠なし。よってこれには異論が噴出しても不思議なし。)

  さてこれで、誰も読まない本の2ページ位追加が完成!?。
  
2012.02.02 18:15
アンコウ
ふふふ、本は別に売る本とは限りませんからね 笑)100年後にまだ人類が生きていて、まだ自転車競技が続いていれば、そのときに意味があるってことですよ。100年たって時代が追いつくこともあるでしょう 笑)

うん、僕の印象ではアンクティル対プリドール、フランス人100人に聞きました、みたいなアンケート調査をしたら48人が一番好きなフランス人にプリドールの名前を挙げた、というのを読んだことがあります(人数は嘘ですが、つまり48%ってこと)。

んで、ジャニーヌが語った真相も書いてよ。ぼく、どっかでサナダムシが原因って言うのを読んだような記憶があるけど。。。あれ?これってお会いしたときに話したっけ?どうもArturoさんと会うときは常に泥酔状態だからなぁ。。。ただでさえ記憶が白濁しつつあるって言うのに。。。

僕は一ファンに過ぎないので本での知識しかないけど、アンクティルの逸話で笑ったのはある怪しげな新聞のインタビュー。

記者(意地悪げに)「アンクティルさん、女性が自転車に乗るのは、それによってある種の快感を感じるからだという説がありますが、いかがお考えで?」
アンクティル(すました顔で)「ああ、そうかもしれないね。その種の快感は僕もよく感じたからね」

なんかガンになったアンクティルが見舞いに来たプリドールに対して、「わるいな、レイモン、またキミより先にフィニッシュだ」ってすまして言ったっていうエピソードも含め、なんていうのかなぁ、良い意味でのノンシャランな感じがするんだけどね。その後、フィニョンがあとを継いだけど、アンクティルの時って、自分がガンで余命半年だと公表する時代に、完全にはまだなってなかったんじゃない??

64年のツールもプリドールと55秒だっけ?どっかのステージでゴールの競技場で周回数を間違えたプリドールがボーナスタイム1分を取り損なったというのがあったり、有名な14ステージ前日の大酒とか、まあ、エピソードに事欠かない破天荒な人だったんでしょうね。

ネンチーニも早死にしたけど、どんな人だったんだろう?それからこの時代となると外せないゴォルは会ってない?隠居生活見たな余生を送ったなんて物の本にはかいてあったけど。まあ、薬漬けだったという説もあるけど、それでもあの大爆発は感動的だよね。

バルタリとコッピは、日本の昔の雑誌なんかでは洗練された立派なコッピに対して、悪辣な狂信者のバルタリという図式で書かれたものなんかを読んだことがあります。でもバルタリは2000年頃になくなりましたっけ?その前まではジロのスタートには必ず姿を現していたというけど、Arturo さん、面識は?
2012.02.02 08:30
arturo
インターバルを取りましたが、で、先の続き、ポッジャーり&ホセミゲールの話済ませておくと、この後、しばらくして、次にポッジャーりに会った時に、パンプローナの、このバナナの話をした所が、妙に(気持ちワルイ)ニヤニヤして、「そうか?。」と言ってました。これはこれで印象に残っています。(もっとも、この後、この二人は93年のジロで再会を果たす事になる。いやティレーノだっけ!?。)
 それと、この並びで行くと、いつかⅠ川先生の件で登場した、Tと言う男(もちろんイタリア人ですよ。マニフレックス関係の男だと、あの時説明しましたが、、、。)にも、ここでも登場して貰うべきか?彼も、アンクティルに「UNICO」唯一の男(他の誰にも相似化出来ない。)と言ってましたが、まあ、こっちはサボる事にします。

 で、それはさておき、アンクティルの家系の件ですが,ご存知の通りこれは複雑です。しかし家系図は、文字通り図なので、文字で書くのは大変、と言う事でサボる事にします。
(又JPEGで送る!?。)
  一つ言えるのは、アンクティル家にあって、ソフィーとクリストファーはジャックの子供、異母兄弟と言う事で。(和物ウイキペデリアではいつか見たら、子供なしとなっていた。ヤレヤレ、、、)
  最初のカミさんはジャニーヌ。彼女は当時、単にブロンドの美人と言うだけでなく、自転車界のブリジット・バルドー(勿論現在のバルドーではなく当時の)と呼ばれていたようです。(勿論風貌もですよ。)ご指摘の通り、彼女は60年には既にジャックの奥さんだったようで、60年と言うと、もろ、60年、と言うエピソードがあるので、紹介します。
  (「書いちゃダメよ。」にはもはや、抵触しない、お墨付きが得られた、と言う事で、”封印”をも解除します。)
  僕にとっては、60年と言うと一つ氷解しないナゾがありました。(ひいては以下、唯一、彼女がもろ、このナゾに解答をくれた。となる訳ですが、、、。)
  07年、例の、彼の没後20年の集まりの際、彼女と話すチャンスがありました。この機を逃さず、質問をした訳ですが、で、その僕の感じていたナゾですが、なぜアンクティルは60年のツールを不参加にしたのか?。です。これが簡単な決断でなかったのは想像が付きます。特に前年59年、初めてジロ&ツールの両方を走った訳で、かつ、その結果はジロ2位、ツール3位、とどちらも勝てなかった。(ちょっと91年のブーニョの状態と相似化出来るかも?!。ブーニョの場合、この後、完全に、もはやダブルツールと言う物は不可能だ。と言い切り、事実二度とダブルの挑戦はしなかったですよね。それどころか、インドゥライン・コンプレックスに陥った彼は、グランツールそのものを狙う事そのものを放棄した。とも言えますが、、、。)しかし、今回は違う。ネンチーニを下した後だった。ここでの参加もアリだったんじゃあ、、、と言う疑問もついて回りました。勿論、歴史は不参加の決断。そしてこれが彼に悲劇を招く。とまあ、この辺は書物で読んだ経緯があります。と同時に、やはり書物でも、『ジロを獲ったはいいが、ここで彼は難しい決断をディレクターである、ビドーに伝えなければならなかった、、、。と言う下りも読んだ記憶もありました。しかし最終的な結論の根源、と言うのを読んだ事が無かった。とまあ、この時点で、かなりフラストレーション状態。走っていたら、、、、と言う疑問は誰より彼自身が持っていたのでは!?。このツールを獲ったのは、先のジロで20何秒だかで、アンクティルが下した筈のネンチーニだった!。しかも、このトスカーナの男に、彼はフランスにあっては大将軍足る、ドゴール大統領の”謁見”のオマケまでつけられてしまった!。(この”謁見”はこの後、ミッテラン、シラク、そしてサルコジに至るまで、”踏襲”される事になる。あまり個人的に感心しませんけど、、。)一歩違っていたら、あそこで謁見されたのは彼だったのかも知れない!?。これは悲劇と言う言葉が形容される!?。(しかも、ドゴールは自身がアンクティルのファンだと公言してはばからなかった。彼が例のボルドーパリの時、ニームからボルドーへの移動で、専用機を貸したのはやはり、先のドキュメンタリーでも登場。しかも面白い演出で、名前をあえて視聴者にも言わず(勿論ミエミエ状態ですが、、。)、、、で。それはそれで、ドゴールに対する敬意を込めての演出!?。)。
  極東の果ての人間に『性格が悪い」と形容されても、それは殆どカウントされるに足りないでしょうが、当時のフランスにあって、この大将軍、ドゴールにそう公言されると言う事がどういう意味を持つか?これは恐らくフランス人でなければ解らないかも!?。現代でも世代を超えて、『サルコジなんてのは、ドゴールの前では、全く比較対照にならない。勿論、シラクもミッテランもだ。」と言うセリフを何度も聞きましたが、、、。彼は大統領に就任後も畏敬の念を込めて、プレジダンではなく、General、de Gaulle(ドゴール将軍)と呼ばれていました。現代でも。通りの名前でも”Rue General de Gaulle”と書いてありますけど、、、。President De Gaulleと言うのは・見た記憶がない!?。
  アンクティルがここで覚えた”コンプレックス”はレジョンドヌールをこのドゴールの手から受け取るまでは、消えなかったんじゃあ、等と勝手に想像しています。

  で、この質問を彼女に伝えた訳です。しかも、この日はジャックの実兄も降り、やはり、同様の質問をしたが答えは得られなかった、と言う経緯もありました。しかしジャニーヌは僕に完全にナットクさせる答えを始めて僕に提示、これに驚かされた記憶があります。彼女こそは、ジャックの最後の生き証人ではないか?。と僕に思わしめました。
  この答えを聞いて、次の瞬間、矢継ぎ早に各種質問ラッシュをしたい衝動に駆られましたが、例の彼女の娘、(ソフィーの母と考えられる。)に「彼女はもう高齢、疲れているから、これ以上疲れさせないで下さい。」とたった一つの質問でさえぎられてしまいました。と言う訳で、彼女が死去してしまう前に一回コルシカに行ってみたい、等と思っていますが、未だに未遂のままです。これが又近未来に悔恨を生む事になるか?!状態。99年の時点で未だ死んでいなかった、アンブロージョ モルテーニも06年に死去してしまった訳で、、、。

  でも、先の補足ですが、パブリック、と言う点では明らかにアンクティルよりプりドールの方が、当時人気が高かった、と想像します。
  それと、ボベとアンクティルの不仲と言うのは、これ(バラッキ)が発端とも思いますが、当然、続編もあったろうと推察します。
  とにかく、僕の概念上では、ボベ(そしてプりドールもこっち側)は努力型の極致。そしてアンクティルは天才型(ペダリングする為に生まれてきた。)。そしてその双方も具備しているのがメルクス。と言う”構造”になっています。少しずれますが、インドゥラインが”優等生”(ここでは私生活を含む。)と言った感じです。勿論、だからと言って、アンクティルは天才なのを良い事に全く努力とは無縁だった。とまで言うつもりもないですけど、、、、。

   しかし、確かになんでいつの間にかアンクティルの事書いてんだろうねぇ、、、。いつのまにか、アンコウ様の術中に嵌っている!?。本来やっぱ、バルタリの事書いてないと、つじつまが合わないと言うのには異論なし!?。「確かに本来はコッピに対して、バルタリの印象は薄いですよね。但し、数年前、バルタリを主人公にしたドラマが、イタリアRAI、で作られて、かつ放映されて、これはアスリートと言う側面よりむしろ、非ナチス、ユダヤ救済、と言う側面で描かれた物だったから、これに関しては、コッピの印象を薄くさせる事に繋がった、と言う事はあるかも!?。もっと、15年以上前に、やはりそっちはコッピを主役にしたドラマが作られたのを聞いた記憶がありますけど、こっちは本人を実情以上に美化しすぎ(ダーマ ビアンカの件だとか。当時のカトリック的にも、、、)評判はイマイチだった。と言う話を聞いた事があるから、このバルタリバージョンドラマには反省を込めて作ったのかも!?。かつ、それがバルタリの”名誉回復”に繋がった!?。でも、個人的には、この”バルタリ”が乗っていたレニャーノ、シーンは戦中だっちゅうに、なんで50年代以降の量産型、カンパのグランスポルトのセットが付いてんだよ。この自転車、年代考証、全然合ってねえじゃんかよ!。と言う風に気になりました。(笑)」こんな風に書いておいていたら、あまり違和感なかったか!?。

  あ~あ、又長くなっちゃった、、、。同じ理由で、これで又投稿します。しかし、このままの状態が続くと、確かに誰も読まない本の出来上がりとなる!?。
2012.02.02 06:06
arturo
   本が出来るって、そんな本誰も買わないでしょう!!!。(いつかのアンコウ様のメールの下りで絡めると、「例え、全国で5人居たとしても、これは居ない、となります、、、。」状態かぁ、、、。)
   こっち系の話題も、以前やっぱ高田馬場でサシで会った時にもやってるから、今回は余り深追いしないようにしますが、、。(ついては、アンコウ様にブログに気が向いたら投稿するようにします。と言う結論になった!?。何度も書きますが、今の日本の現状を診て、自分が見聞して来た事をまとめるつもりは全く無い、と言う話でしたが、、、。)

  そう、アンクティルの評価,人物像、と言うのは、これが摩訶不思議ですよね!?。このブログにも、ハッキリ、性格が悪い、と明言投稿された事もあったりしたしで、、、。
  僕個人は、エキセントリックだから、こういう人に憧れを持つ、と言う側面も否定しないつもりだし。先のツールのプりドールの倒し方と言い、これが災いして逆にパッシング対象にもなった訳で、、、。しかし、自転車に乗ったが最後、精密機械の如く正確で、しかし、自転車から降りると、破天荒なほどメチャクチャ、現代では一寸有り得ない話ですよね。この前話題の、ルクセンブルグ人のビール好きの比じゃあない!。(奇しくも、ブリュネールのレキップの記事ネタでしたが、、、あれは。)
  もう一つ不思議なイメージは、イタリアとか、”敵国”の元選手にも好かれている、不思議なイメージ。『彼をして紳士と言うのだ。」調。
  一例で行くと、トスカーナ、フィレンツェの郊外、スカンディッチと言う所に、歩ッジャッりと言う元選手が居る。彼は何年か前、ついに、それまでやっていた店を閉めて完全に”引退”してしまった。その彼が、78年末、引退する時に、一寸したパーティをやった。(彼は、リエージュとかスイス一周とか優勝経験もあり、地元じゃあ一寸名の知れた選手だった。勿論、いつも名前を出すモーりも知っており、それどころか、親父モーりとは、サルバラーニで一緒に走った事さえある。そう言うレベルの男)
  彼が、そのパーティにわざわざ、アンクティルに来て貰った、と言う。(ホントかよ?と驚いた状態。)呼んだ方も呼んだ方だけど、チャンと来た方も来た方だ!状態。ヘンな律儀な話。
  この男、本人が語ったけど、64年のジロ、序盤でマリアローザを手にしたけど、それは長くは続かず、「次のTTでいきなり脱がされた。でも、しゃあない。」「それはなぜ?。」「それは脱がした男がアンクティルだったからだ。」『悔しくなかったのか?」『いや、アンクティルは強すぎた。TROPPO FORTE!.]
  後年、アームストロングのツール7勝兼引退パーティにウルリッヒが招待されたけど、本人はこれを辞退、と言う事が有った気がするけど、これ(ポッジャーり)は一体何なんだ?。等と思った次第。こう言う事あってもわざわざパーティにフィレンツェくんだりまで呼ぶのか?。
 このポッジャーりと言う男も、もそれなりの男で、いつかスペインはパンプローナに当時バネストの監督だったエチャーヴァり氏の家を尋ねた時の事、食事にバナナが最後に出てきて、これをナイフで切って食べたら、息子のハビエル(当時12歳くらい)に「なんかおかしな食べ方をする。」と言われ、(実際そうなんだけど、)「いや、これはイタリアはトスカーナで、ポッジャーりと言う男のやり方を真似た。この方が礼を失していないと考えたから、、。」と説明したら、すると一転して、父、ホセミげールが、「ええ、ポッジャーりの家に、じゃあ行ったのか?最近顔を見たと言う事か?。彼は達者にしているか?。」等と矢継ぎ早に質問を浴びせられたのを思い出しました。
  未だアンクティル家系まで行ってないけど、散々書いて、後でドンと全部消滅したらつまんないので(前例あり)これで一回投稿します。
2012.02.02 03:12
CYPRESS
バルタリの話からなぜかアンクティルに変わってる(笑)。

イギリスの"CYCLE SPORT"誌のイタリア選手に写真は全てS田氏の写真。
でもアンリ・ベッソンみたいな凄い構図の写真は、見たことないなぁ。

アメリカで出てるアンクティルのDVDは1964年のツール、ピュイ・ド・ドームの例の上りの激戦が5分程入っていて(当時のTV中継、アナウンサーと解説者の声入り)観てて興奮します。
2012.02.02 00:06
アンコウ
アンクティルとボベの直接的な不仲のきっかけがトロフェ・バラッキとは知らなかったです。ただ、出場6度目だっけ??ようやくツールに勝ったボベに対して、アンクティルは初出場初優勝だからね。しかも、良い奴ならともかく、なんか変な人だったらしいじゃん、アンクティルって?? 残っている60年頃のインタビューでもエキセントリックな謎めいた人物だと言われていたみたいだし、プリドールのほうが圧倒的に人気者だったと言われているし。

ソフィ??クリストファ?? ちょっとアンクティル家の系図を書いてよ。 金髪グラマーの奥さんジャニーヌとアンクティルってかなり若い頃に結婚しているんじゃないの?1960年のインタビューっていうのをレジェンド・オブ・ツール・ド・フランスっていうDVDで見たことあるけど、ジャニーヌと一緒に写っているんだと思うけど。

ネンチーニ?書いちゃ駄目って言った? いや、いいですよ。それは冗談で言ったんだろうなぁ。

それと、Arturoさんとお会いするときは僕はいつも泥酔しているから、正直いって、覚えている事って、うーん、ひょっとしたら60%ですわ 笑) きっと忘れているから、繰り返してください。

しかし、オジャンドルの本は、プノーがオジャンドルにインタビューしているんだけどさ、 Arturoさんへのインタビューってので、本になりそうだね。
2012.02.01 22:35
arturo
そうです。三大(テノールじゃあなくて、)チャリ、ジャーナリストの一人です。高田馬場で何度も登場させていますから。敢えておさらいしとくと、もう一人はイタリア、ガゼッタのベルゴンズィ。そして最後の一人は、ベルギーでもスペインでもドイツでも、まあ欧州でも新大陸もなく、この日本!!!。我らが、S田フォトジャーナリストです。皮肉でもなんでもないんでしょう?。だって大体本人のサイトに書いてあったから、これはガセじゃあないでしょう?。(スゲェなあ~。だって、この自転車マイナー国から世界三大まで登りつめるんだから、普通有り得ないよね!?。)
  もっとも、こう言うのを”自称”大御所と言う!?。どうなんでしょう?。
   (とまあ、こんなやりとりでしたが、、。以前高田馬場で、、。)

  こういう人も日本には居るんだから、個人的には、絶対にツッコミが有り得ないとは断言出来ないとは思うんだけど、、、。(ハテ!?。)僕なんかホント、雑魚ですよね。

   ジャックのミステリーと言うのは、そっちじゃあありません。大体、放送は既に書いたように、97年。ソフィーが”暴露本”を出すのは、03年頃の話ですので、時代的にも未だ話題には成り得ていない。
   97年、あの時ソフィーの弟、クリストファーは未だ、子供だった。しかし、この前、高田馬場でも言いましたけど、彼もこの7月に結婚します。それだけ時間が経ちました。
   番組的には、アンクティルの生涯を扱った番組です。あれこそ、非常に濃い番組です。日本でもレースファンであれば、仮にアンクティルのファンでなくても、つい見入ってしまうのでは?と思わせる内容でした。僕はたまたまVHS録画してくれた人が居て、何度もこれを見てしまった印象があります。
  生い立ちに始まって、彼の最後の挑戦は闘病。この番組のキーワードは挑戦”DEFI"でした。常識に挑戦し続けた男。そして努力だけではどうにもならない、ジェネティック、転生の何かを持った男の物語。そう二つ目のキーワードがあるとすれば、このジェネティックでした。ジェミニアーニが番組中、何度も連呼していました。 
  53年、彼がネオプロ時、全盛期のボベと組んで、バラッキを走った、勿論この日のファヴォりに違いなかった。しかし終わってみれば、コッピ、フィリッピ組に負けて2位。この日を最後にボベはアンクティルと言う男を好まなくなった。それは何故か?何によるものか?。ジェミニアーニは言う。「それは天性の物だ。」彼、ボベが長年の切磋琢磨の上、ようやく手に入れたもの、それを、この目の前の19歳の小僧はあたかも当然の如く持っていた。彼はレースのスタートから、ゴールまで、ついに自分のリズムをつかむ事が出来なかった。そして敗戦。そんな”スタート”でした。でも、この話も高田馬場でもいつかしたような。
  他にも5回のツール、1回目のジロ、そしてアワーレコード、例のボルドーパリ、と伝説のオイシイ所を良いとこ取りの満載、てんこ盛り、1時間ほどの番組でした。
  特に57年の初優勝。そして64年のあのプりドールとの戦い。そっちは、高田馬場でもしましたよね。最終日、プりドールがパルクデプランスに暫定2位でゴール。、最後のTT,今度こそアンクティルをしとめた、と思いきや。最終走者、アンクティルが「なに!もう現れたのか!(もうゴール!)勿論区間もトップ。当然総合も。」と現れてしまう。その時のプりドールの表情の映像がチャンと残っている。そんな話も。この世界、真の王者が誰かを、満天下に見せ付けたかのような。そんなシーンでした。
  ちなみに、この時のアンクティルのマシン、ジターンは、アルベルトマジーが言うには、亡父、ファりエロ製の当にスペシャルだった。と言う話でした。ラグにはそれぞれトランプの4枚のマークが肉抜きがしてある。スペシャルなモノにしかしていなかった当にスペシャル!。『あのマシン、今は一体何処にあるのやら?。」といつか言ってました。(笑)

  ボルドーパリに関しても、もう勝ったつもりで走っていたシンプソン、そこへただならぬ雰囲気、(実際にはデルニのエンジン音で外部の音は聞こえにくい筈ですが、、。本人はピッタリ、デルニに張り付いて走らないといけないしで。)を感じて、くるっと頭を振り返ると、そこに考えられない筈のアンクティルの姿に驚く、この一瞬の表情の映像がちゃんと残っている!と言う話も。(映像はアンクティルの直ぐ後ろからのもの。じわりじわりとシンプソンとの距離が縮まってい映像。)しかも、アンクティルは追い越しの際、全く表情一つ変えない。これはシカトしているという感じより、むしろ、これはもう、完全にぺダリングと言う行為に完全に埋没してしまっている状態!?。後の事は全て余事、と言うそんな感じ、シンプソンを一物体以上には見ていないかのような、、、、。
  そしてゴール、「次回も、又、同じ”挑戦”をしますか・。」「NON..TROP DUR,,,.」と言う話も何度も高田馬場でしたような、、、。これらの根源の番組だったと言って良いかも、、、。
  
  あ~あ、、、、又長くなっちゃった、、、、。これで一回投稿します。
 (おことわり。以前提示されたように、ネンチーニ関連は「書いちゃダメよ。」に抵触の懸念があり、その前後の時代の事は割愛とさせて頂きました。笑)
2012.02.01 18:26
アンコウ
いやいや、だれもつっこめねぇって 笑)
2012.02.01 11:55
アンコウ
あ、いや、日本の自転車雑誌を丹念に読めば出てくるのかもしれませんが。。。そうか、大御所のひとりかぁ。。。

アンクティルのミステリーって以前話題になった、ジャニーヌの連れ子が絡むむちゃくちゃな話??

しかし、話が深い、深すぎ、汗)
2012.02.01 08:17
arturo
訂正です。
  良く考えたら、アレッサンドラ ディ ステーファノと言うブリュネールのカミさんは、もう、90年代には、レポーターの仕事してた気がしてきたから、この場合、サルコジとブルー二ほど、年が離れているとはやっぱ考えにくいですね。ひょっとして10そこいらしか離れていないかもしれない!?。
  誰かにツッコミの投稿される前(!?!?)に、予め訂正します。ハテ!?(笑)
2012.01.31 22:54
arturo
そうかあ、それはひょっとしてアリですね。
  僕は、そう言われてみると、確かに心当たりなしですね。S田カメラマンの言う、3大”大御所”で何度も登場させてますけど、逆を言うと、日本では他に全く記憶、心当たりがありません。確かに、、、。(誰かが投稿してくれるのを待ちましょう!?。)
  しかし、何年か前、いつかもK林さんとのやりとりで、「そうですか、ブリュネールも、もう50になりましたか、、、。」と言うセリフが出たのを記憶にありますから。
 しかし仏テレビでは、何度も見る、(よって僕の印象は異なってしまう。)ツールの中継時、ヴェロクラブと言う番組(ステージ終了後の時間調整番組)でも、コメントしてたりと、とりわけ印象に残っているのは、97年、ツールのスタート時に(あの年は、アンクティルの故郷ルーアンがスタート、グランデパールだった。)アンクティルの関連ドキュメンタリーの番組(ズバリ、番組のタイトルは、「ジャック(アンクティル)のミステリー」、と言う名前でした。)の中でも、通常、この番組には、ジャニーヌであるとか、あるいはジェミニアーニ、スタブリンスキー、そしてプりドール、と言ったコメンテイターが出てきましたが、なぜか、この中にあって、彼がコメンテイター(肩書きは勿論、ジャーナリスト)で出てきたのが非常に印象に残っています。先のオージャンドルなら未だ解りますが、、この時、彼は未だ40そこいらの筈。、
  で、今はもう、ブリュネールは50歳をとっくに超えてますからね。するとプノーよりもあからさまに年上でもある!?。
   でも、しかし外観は実年齢より若く見え、髪型もビートルズ調の長髪だし、極めつけは、サルコジばりに、いやサルコジより後に(年の差もサルコジ&カルラ並み!?。)イタリア人相手に最近結婚して、しかしサルコジと違うのは、やっぱ、相手は業界人だった!?。それもアレッサンドラと言う名前のイタリア国営TVのRAIで自転車レース番組のレポーター相手だから。これはやっぱ若いでしょう!?。(笑)
2012.01.31 22:47
アンコウ
思い出しましたよ、スイスの新聞。

プノーはシャニーのファブリューズの最新版の増補改訂を受けた人らしいです。63年生まれってことで、Arturoさんと同年代か、少し若い?? 

ぼくにとってはブリュネールの方が全く印象なし。だって日本で名前聞かないもん 笑)
2012.01.31 21:05
arturo
やっぱ、そうでしたか、思い出して貰えて幸いです。
 で、質問のプノー、と言う人物ですが、どう言う訳か僕は全く記憶にありません。個人的には、やはり、ブリュネールの印象が強いのですが、他にも何人か顔が今でも思い浮かぶのですが、しかし、、、。
  ブリュネールの方がTVも含めて、レキップの中では露出が多い感じを受けました。(勿論、自転車限定で、、、。サッカーとか他は別にもっと居るだろうと想像しますが、、、。)まま見かける。
  個人的にな120%な憶測では(全く根拠なし)、この人はレキップの人なんだろうけど、自転車に必ずしも特化したセクションの人じゃあないんじゃあないのか?等とも勝手に思っています。(何かセクションを横断する仕事!?。これが社員ジャーナリストじゃあなくて、社員カメラマンだったら、セクション横断なんてのはレキップでもザラなんでしょうが、、、。あいつらは皆そう言ってたかぁ、、、。08年で引退した、ヴィビールと言う男みたいに、ひたすら自転車、それもゴール写真のみを生業にしている人も居ましたが、、、。そう言えば、やはり同じタイミングで引退したバイクの運転手(ツールはメルクスが居た時代から毎年走っていたそうな、、。)きしくも彼の名前もジャックと言った。彼に去年会いましたが、彼によるとヴィビールは引退後、自宅で悠々自適の筈が、自宅の庭で、何か事故が有って、全身、大火傷で大変だそうな、、、、。ハテ!?。)

  でも本当は多分僕が知らないだけ!?。まあ、僕も年長者に好んで声を掛けた記憶がありますけど、、、。(=それだけ古い事を聞いても、答えが返ってくる確率が高い、、、、。さすがに、オージャンドルは65年の奇跡のボルドーパリにも随行した、と聞くと、感慨が深い物がありますけど、、、。確かあの時は、ドーフィネではなく、ボルドーパリに行った、と思いました。ボルドーで待機組)

  じゃあ、ついでにK林さんに聞いてみよう?とも思いましたが(プノー)、しかし、あの人も、どういう奇遇か、僕と同タイミングで、この世界、こっちのチャンネルからは完全に足を洗ったようなので、最新の事はあまりご存じないかも!?。
2012.01.31 17:20
アンコウ
Arturoさん、

ああ、わかった。わかりました 苦笑) すっかり忘れていたけど、あれは相手はASOでしたね。ぼくはただの一ファンにすぎないから、実際に体験していないので、知識のつながりが上滑りします。

あの本ではオジャンドルはものすごく熱く、誠実な印象を受けたし、一言質問されるといくらでも答えちゃうって言う印象でした。また、時間ができたら読んで、場合によっては本文に書くかもしれません。

ついでに聞いちゃうと、あの本の聞き手の方のプノーっていう人は? シャニーの後継者と言われているようだけど。。。
2012.01.31 08:27
arturo
いやいや、そうじゃあなくて、これは私的な理由ですよ。(超きっかけあり)
ここで書くのはどうかな?て、事ですけど。でも高田馬場でサシで会った時に話した気がしますが、、、、。まあ、キーワードは事故、訴訟、マフィア、、、と言った所でしょうか、、、、。
 勿論、ご指摘の通り、この世界を制覇しようしている感はアリアリ、かつ嫌悪の元でもありますけど、又、過去にも常々投稿してきた記憶もありますしで、でも、そんなのはある種、脇役です、僕にとっては、、、。

  そう、上記のオージャンドルのついでで、改めて記憶の糸をたぐり寄せると、一寸訂正が必要で、多分、今回のこの本だと思うのですが、「日本国内向けに出版する事になった。よって、インタヴュー絡みで付き合ってくれ。」みたいに声を掛けられたのが、先行エピソードでありました。(いきなり本ををポンと、僕に持って来た訳ではなかった。)でも、
  この時点で、既に、前述の嫌悪感状態だった僕は、ぞんざいにこれを辞退。「インタヴューたって、そんな仏語が出来る訳でないし、それは誰よりも、他にK林K三さんと言う大家が居るだろう。僕はその器じゃあない。」とか答えたような。で、前述のエピソードのように本を受け取った後、確かに前書きか後書きに、K林さんが登場しているので、これがくだんの本か、、、、等と思った覚えがあります。しかし、(それにしても、今頃は状況も改善していると思いたいですが、ツールの取材陣と言っても、僕に声を掛ける位だから、日本のプレス緒先生は仏語がロクに出来る奴も居なかった、と言う事でしょうか!?。あれで記事書いてたんですよね、、、、。まあでも当時、K林さんも言ってましたが、「まあ、自転車レースなんて仏語なんて出来なくたって取材なんか出来んじゃあない!?。」と。)
  僕が仏語出来る、出来ない以前に、誰も出来る者が居ない!?。よって消去法で僕に声を掛けて来た!?。状態!?。

  だからなんだ?な話ではありますが、一応訂正しておきます。
2012.01.30 23:32
アンコウ
Arturoさん、

久しぶりに長いコメントですね 笑)こういう長いのって、やっぱりフランスからでしょうか? そういえばシロッティの話は出たのに、オジャンドルは、これまで話題にしなかったのが不思議でしたね。この本はとてもおもしろいんですが、さすがに知らないエピソードも多くてね。オジャンドル氏、50年間、ツールのすべてのステージを見てきたということですね。

ASOに対する嫌悪感ってなにか具体的なきっかけとかってあるのでしょうか?ぼくもASOに対する直感的な感じは、すきくない、って感じなんですが、実際には詳しい情報なんかなく、ただ印象として、なにか帝国主義的(=世界制覇の野望 笑)な感じがするだけなんですけどね。
2012.01.30 22:33
アンコウ
コッホさん、

ありがとうございます。またよろしく。
2012.01.30 22:21
arturo
 ジャック オージャンドル、個人的には一寸懐かしい名前ですね。今頃は輪を掛けて、かなり高齢な筈。彼もASOで、歴史担当みたいなポジションでしたね。その彼も、JMルブランの引退と同時に、さすがに引退した記憶があります。プレスルームで、今時、皆、パソコン(最悪でもワープロ)使ってるご時世に、ペンで紙に記事を書いているのが印象に残っています。(第三者に彼を教わった時も、『そう言う事なら、オージャンドルに聞いた方が良い。』『で、何処にいいる?。』『あそこに居る。ペンで字を書いて記事を書いているから、識別は容易だ。』と言われた状態。)
  彼は最も印象に残った過去の選手で、コッピ、と言っていた記憶があるのえ、対比上、バルタリのイメージは弱いのかも?かつ、さすがの彼も、バルタリ本人のイメージとなると、或いは薄いのかも?。(さすがに世代が届かない!?。勿論人物の印象はあるのでしょうが、、、、。)
  もっとも、個人的には、同じ名前なので、アンクティルと言う名前が出ないか?と期待したのですが、これは裏切れたような!?。(確か、対比上、ボベの印象が強かったような曖昧な(言動の)記憶あり、、、、。)
  アンコウ様が載せている本、なぜかこの本(わざわざ日本語のこの本を)、彼本人が僕のとこに来て、『君にこれを上げよう。』となぜか、頼んだ訳でもないのに、(存在さえ知らなかった。)貰った記憶があります。しかし、当時既にASOに嫌悪感を持っていた状態だったので、あまりお礼も言わず、ぞんざいに扱った記憶があります。(彼にやつあたりする云われはないですけどね。)
  通常、このシチュエーションだったら、「これはありがたい。ぜひとも、ここにサインを入れてくれ。」状態となるべき所!?ですが、そのまま、「メルスィー」位で終わらせたような、、。すると期待外れの状況!?で彼はその後、立ち去りかけたのですが、しかしその後Uターンをして戻ってきて、『サインを入れてあげよう。』と”自発的”にサインを入れていた姿を、思い出しました。
 (但し、この時点で、彼の方にも、僕の”嫌悪感”に関する知識はあった。よって、こっちの心理状態をおもんばかっていたと言う可能性も排除出来ない?!いずれにしても、、、、)胸くそ悪い集団の中にあって、紳士的な振る舞いをする人だった、そんな印象が残りました。
  しかし、僕の方はそんな体たらくなので、一回ざっと目を通したきり、今は本が何処にあるのかさえ覚えていない状態ではありますが、、、。
  ただ、反面歴史を美化する印象を持った人物、と言う印象もどこか持っています。(辛辣という言葉とは反対。)ここは”大御所”ブリュネールとも対照的!?。
  一例で行くと、いつかレモン、イノー、タピーの話題、(ここでもネタになった記憶がありますが、、、)を出した所、この話題に全く乗ってこなかった、と言った所でしょうか?。
  それと彼をもってしても、アンクティルが乗っていたエリエスペシャルの出自の質問には答えられなかった、、、、。但し、ボベのメルシェはエルス製と言う知識はちゃんとあったですが、、、。

  今回の話題は、ライト守備のアンコウ様にも捕球可能であれば幸いです。
2012.01.30 15:50
コッホ
今日も読んじゃいました。
雑学好きの私にはたまらない、面白い記事でした。

いぜん、オランダの名門サッカークラブ「アヤックス」と、
戦中ユダヤ人との関係を描いた本を、読んだことがありますが、
内容は忘れちゃいました。

アヤックスはユダヤ人が作ったチーム・・・みたいな
内容だったっけかなぁ?

それでは。
2012.01.30 14:54
CYPRESS
バルタリの写真で印象的なのは1948年ツール、イゾアール峠を一人で逃げてる写真。レキップが出したツール100年の見開きに載ってる写真が版も大きく素晴らしい。
バルタリはユダヤ人に対し情けを掛けたけど、レースになると話は全く別で性格の悪い白人そのもの。
私の様なヲヤヂ世代より上だとニューサイ誌に連載された"Le peleton du cyclisme"に書かれた内容を知ってるはず。
バルタリはピエール・シャニーの目の前で水をくれと言ったヒューゴ・コブレに対し、ボトルの水を捨てた。
W杯の決勝でジダンを挑発し退場させたイタリアのマテラッツィを思い出して分かる通り白人のスポーツ選手は性格の悪いのが非常に多い。
敬虔な宗教信者とスポーツ選手の性格の良さは同期してない様です。
2012.01.29 16:46

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あんけ・たつや。欧州ロードレースに興味を持ってすでに30年以上。主にドイツ人選手を応援。特に青田刈りにいそしむ。歳にも関わらず、あらゆる点ですごいミーハー。そのほか好きなものは、読書、音楽はバッハと友川カズキ、北方ルネサンス絵画、映画、阪神タイガース(村山、江夏以来ですが、強すぎないこと希望、弱すぎはもっと困るが)。北欧の社会民主主義に対する憧れ強し。家族構成は連れ合いと娘三人。

* 時々コメントが迷惑コメントとしてゴミ箱に入れられることがあるようです。承認待ちが表示されない場合は、ご面倒でも書き直しをお願いします。2017年8月3日記す(22年3月2日更新)

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