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1973年の世界選手権

2011.12.27.11:28

今年はほんとうにいろいろなことがありました。いや、毎年いろんなことがあるんだけど、特に今年はひどいことが多かった。。。このところ忙しさにかまけて、rsn を中心に自転車選手のインタビューやランキングばかりアップしてきましたが、やはり最後は昔のレースでいきましょう。

YouTubeにエディ・メルクスのLa Course en Teteというビデオが8回に分けてアップされてます。その1の最初のところに表題の映像があります。これが古いロードレースファンなら皆さんご存じの曰く因縁付きの世界選手権です。おおよそ開始5分半ぐらいのところから最後まで、レース前からレース後までが写っています。



途中自転車に乗りながら、アーレンキーを使ってサドルの高さを調節するシーンなど、現代ではまず見られないものでしょう。むかし、佐藤稔(さとう・としみ)という日大の選手が修善寺だったか群馬だったか、レース中にBBのカップがゆるんで、カンパレンチを補給所で受け取り、走りながら自分で締めてたなんていう記事を読んだことがありましたっけ。

このビデオ、最初なんの効果音もないまま静かにレースが映し出されますが、ラスト近くなり、17世紀のプレトリウスという作曲家が作ったテルプシコーレという舞曲が唐突になり始めます。その後も、このビデオの音楽はこの舞曲集の曲が効果的に使われて、なかなか良い感じ。アメリカンなポップな自転車レースもいいけど、こういう17世紀ぐらいの村祭りや旅芸人の一団がやってくるようなイメージで自転車レースのもつハレの感じを出すのも、なかなか良いセンス。

さて、最後に残った4人はメルクス、まだ若かったフレディ・マルテンス、それに不運なスペイン人、ルイス・オカーニャ、そして現在はお城に住んでいるフェリッチェ・ジモンディという当時考えられる限りでトップ4の選手たちです。ジモンディは65年のツールの覇者で、パンターニがツールで優勝したときに表彰台でパンターニと一緒にいたダンディな初老の紳士です。オカーニャは73年のツールの覇者で、71年もメルクスに大差をつけてマイヨ・ジョーヌを着ていたけど落車してリタイアした選手です(ちなみにヴィキペディアにはオカーニャは落車したメルクスに乗り上げてそのまま崖から転落したと書いてありますが、これは全くの間違い。記録フィルムが残っています。落車したところへズーテメルクが突っ込んだんですね。ついでに言うと、ヴィキの昔の自転車選手の記事は間違いが多い 笑)。

結果は見ての通り、ゴールスプリントになり、ジモンディが優勝、マルテンスが2位、オカーニャ3位でメルクスは4位に終わりました。

しかし、誰が考えても、この結果は絶対におかしい。確かにレース中にさかんに膝を気にするメルクスですが、ホントに調子が悪ければこの4人に加われなかったでしょう。またデビューしたばかりとはいえ、後にブエルタで19ステージ中13勝とか、ジロで13ステージでリタイアするまでに8勝という現代では信じられないようなスーパースプリンターのマルテンスが負けるなんてありえないぞお。

というわけで、ゴールスプリントシーンを10分半ごろから見直してみると、ゴール300メートル前ではマルテンス、メルクス、ジモンディ、オカーニャの縦一列、しかもマルテンスが一度後ろを振り返ってスピードを落とします。

その後も200メートルでもう一度二番手のメルクスのほうを振り返ります。印象としてはメルクスが何か言って、マルテンスは振り向いたという印象です。さらにラストスプリントに入ってからも繰り返しメルクスを見ています。そのすきにメルクスの後ろにいたジモンディがスピードアップ、同時にメルクスが足を止めます。

マルテンスはジモンディを見ながらもう一度踏み直しますが、ジモンディに競り負けて、ゴール直後にもう一度振り向いてメルクスを探してます。

ごらんになった方はどう思うでしょう?マルテンスがメルクスのアシストをしようとして、しかし、メルクスは膝が痛くて駄目で、結局逡巡したマルテンスが追い抜かれた??

あるいはマルテンスがスプリントに入るのが早すぎて、最後息切れした??

どれも一見ありそうですし、当たり障りのないことを言えば、そういうことになるのでしょう。しかし拙ブログは当たり障りのあるブログですからね 爆笑)

まあ、これについては昔の競技マガジン誌でマルテンスのインタビュー記事が載っていましたが、メルクスがおまえは勝つな、その代わり後々いろいろ面倒見てやるから、と約束したとか。。。マルテンスはその後、なんにもメルクスから話がなかったと言って憤慨しているんですが。。。

あるいはメルクスがマルテンスの才能に嫉妬して勝たせなかったとか、もっと信憑性がありそうなのは、レーサーパンツをよく見ると分かりますが、マルテンスのレーサーパンツにはSHIMANOの文字が入ってます。シマノに勝たせるわけにはいかないというわけで、メルクスがマルテンスに「奴に勝たせろ」といったとかいう話も伝わっています。このうわさは結構広範囲に伝わっていたようで、その後引退したメルクスが自転車を作り始めたときに選んだパーツがシマノだったことで、この皮肉な巡り合わせが、たしか創刊間もないBCに載っていたような記憶があります。

その後の顛末等はきっとどなたかコメントをくださることでしょう 笑)

ではみなさん、良いお年をお迎えください。と書いておきましょう。


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comment

Arturo
アンコウ様
 (しかしよく考えると投稿は久しぶりだ!。等と一人で感動)
 017ですが、とにもかくにも、73年の017優勝についてはもう、石渡は当時ニューサイ等にもう堂々と1ページ広告載せてましたね。例のゴール写真も載せて。
「~当社の石渡017レコードブレーカーを使用して優勝しました。!」調だったような。(レコードブレーカーはパイプの名称。ちなみに僕ら世代がもっともお世話になった!?022はスピードギャランとか言ったような、、、015はアルファ!?)
 当時、この広告を見て、もうバカ正直に、フレーム用のパイプ(競技用)は現地でもレイノルズとかコロンブスとかだけじゃあなくて和モノも流通してるんだ。等と思ってしまった自分がいました、、、そうかヴィチュー、デュりホール、マンネスマンダルミーネ等と言った顔触れにイシワタと言うのも含まれているんだ。スゲえなあ、、、、状態!?(苦笑。もう73年と言えば、以前投稿のとおり、その017のすぐ横に初代DAが世界選デビューした年でもあり。勝ったのは石渡、負けたのはDA!?。とにかくメルクスは石渡からも感謝される理由がある!?。)
2021.03.23 21:59
CYPRESS
1973年世界戦、プロロードでジモンディが乗っていたビアンキに石渡の017を使っていた。
→これは、大昔に千葉洋三大先生が雑誌によく書いていました。
千葉さんによると、ビアンキの社員から直接聞いたとのこと。
2021.03.04 00:18
ヨナイ
アンコウ様

その種目はなんとプロロードですよ!
ジモンディがビアンキカラーの017でスプリントしてたかと思うと、アップされた映像も更に興味深くなりますね。

佐藤選手がクランク締めながら走ったレースですが、早々と集団から切れてリタイアしていたので完成楽しみました。
記憶が正しければ一緒に逃げていたのは、カタカナでブリヂストンと書かれた黄色と紺色のウールジャージ 着ていた鈴木選手でした。
2021.03.03 21:35
アンコウ
ヨナイさん、

奇遇です 笑) 佐藤選手の情報ありがとうございます。その場で見てたんですか。一緒に走ってなかった? 佐藤選手は卒業後自転車やめて養護学校の先生になったんじゃなかったでしたかね?

石綿を使ってたのはどの種目の選手なの? 017 じゃあ小柄な選手だったのかな。それともTTとか個抜きや団抜き?
2021.03.03 10:53
ヨナイ
73年世界戦覇者検索してたら、なんとここに辿り着きました。今から10年くらい前の記事なんですね。
ところで、佐藤選手が試合中に緩んだのはBBワンではなく、クランクです。
場所は群馬CSC。
ホーム裏で工具受け取りホームでスタッフに返却するという離れ業、私ホームストレートと裏ストレートの間にある狭い緑地帯で見てました。
あのシーンは一生忘れないだろうと思います。

そうそう、なんで73年の覇者を検索してたかと言うと、その試合の覇者が石渡017のチューブ使ってたからなんです☺️

お邪魔しました。
2021.03.02 22:39
arturo
しかし、ここは投稿11回を数えて、これは密かに、かつ久し振りに記録更新が期待出来る!?。中々良い12年のスタート!?。
  しかし、mortadelle allo stercoは、冗談で知人のイタリア人(但し79年生まれ。つまりスキャンダルの後生まれ。)にメールしたら、「しかし吐き気をもよおす言葉だ!。一体何処で、この言葉を仕入れたんだ!。」と言う返事を喰らってしまいました。(まあ、メールしたのは””確信犯”ではありますが、、、。メールした当事者は、自転車関連ではないですが、この当事者の親父は、自転車レース好き。知りそうな人を会えて回避。余談ですが、この親父の方はレース好きどころか、大昔ディレッタンテまで走った経緯があるレベル。過去、たまに話に出す、モーり、それの親父モーりと走った経緯あり。完全な脱線ですね。仮に親父に尋ねていたら、この言葉、直ぐ出所がバレていた!?。
 (さては少しずつトラウマから開放!?。)
2012.01.01 20:49
アンコウ
こばやしさん、

こちらこそ、よろしくお願いします。

マルテンスは89年時点ではまだ怒っていたわけ? いつ和解したんだろう? マルテンスって、現役時代の印象がスーでパーなスプリンターだったわけで、どうも恐そうな印象があるけどねぇ。そうでもなかったんでしょ? 
2012.01.01 16:52
こばやし
彼の自宅でマルテンスに会ったのは89年頃だったかな。この世界選の経緯は興味があったので聞きましたが、しっかり話してくれました。もっともメルクスには聞いたことがないので、一方通行ですが。事実は2人の間でしかわからないかもしれません。ただマルテンスの気持ちとしてはそうなんだなってのはわかりましたけど。

11月、12月はすっかり気持ちが自転車から離れてしまってほとんど乗らなかったので、今年は少し乗ろうと思い始めて来ました。まだ乗る気にはならないので、実際に乗り始めるのはまだ先になりそうだけど。とりあえず、今年もよろしくお願いいたします。
2012.01.01 15:08
CYPRESS
マールテンスのHPに1976年世界選優勝後のインタビューの映像が有るんですが、フラマン語が分かる人、どなたかいませんかねぇ?
2012.01.01 11:30
アンコウ
CYPRESSさん、

ふふふ、お待ちしてましたよ。

メルクスの下りは凄かったみたいですね。マルホランドの「アップヒルバトル」にもありましたっけ。

3:は心の中までは見えません、ってことで。。。競技マガジンのインタビューは80年頃のものだったと思うけど、そこではまだマルテンスは納得してなかったようです。

ことしもよろしく。
2012.01.01 10:38
CYPRESS
1:
メルクスはシートピンに5mmアーレンキを使う細いシートピンは使いません。
バイシクルクラブ1985年6月号p.77写真4に横尾双輪館にあるメルクスのシートラグとシートピンが写ってます。
因みにサローニもアーレンキを使うシートピンを使ってませんでしたな。

2:
ケネディブラザーズ社刊”Eddy Merckx and the 1970 Tour de France”p.26から、
「フェリックス・レビタンはこう言った『あれは気違い沙汰だった。ポルト峠の下りを飛ばしてる時にな、あの時は75kmhは出てたぞ。メルクスは落ち着いてジャージのポケットからスパナを取り出すとサドルの高さを調節して、スパナをポケットに戻すと慌てる様子もなくグルノーブル目指して飛ばして行った』」

3:
1976年の世界選ロードでマールテンスが優勝した後、メルクスがお祝いに行くと二人は抱き合って喜んでいました。
この時に写真は”The fabulous world of cycling”に載ってます。

4:
二人は和解してますが、引用元を確認するので次回に。
2011.12.31 23:56
アンコウ
Arturo さん、

mortadelle allo stercoって出てるのが、くだんのスキャンダルですね。ただ、詳細についてはよくわからない。なにしろグーグル翻訳頼みなので。

奥さんの死は足を滑らして、っていう風に訳がでたんだけど。。。いずれにしてもmortadelle allo stercoについては詳しい経緯がはっきりするような記事がないかなぁ。。。ただ、それがあったとしても、書けるかどうか。。。

こちらこそ来年もよろしくお願いします。
2011.12.31 19:28
arturo
う~む、、、。
  段々11年もオワリに近づいてきましたが、しかしこの懸案は年越しかぁ、、、!?。
  コメント(新ネタ)投稿するにしても、トラウマから、開放されない事には、未だモチヴェーションが完璧ではありません、、、。(時間が掛かる!?。)
   しかし唯一新規に書くとすれば、そんなもんかと思い、伊語バ-ジョンのウイキを見てみたら、ちゃんと(!?)スキャンダルにも
触れてました。(でも読むと、やっぱ、高田馬場ネタはどうも必ずしもガセじゃあないんじゃないのか!?。と言う気分にもなりますが、、、。火の無い所には煙立たず!?状態!?。)
 それと、夫人の悲劇的な死についても載ってました、、、。
  高田馬場ネタの仕入れ当時(99年ネタ)は「未だ死んでいない筈、そんな話は聞いていない。」、状態だったのが、05年死去、とも解りました。それと息子は、やっぱ精肉業やってる旨も。現在、アマチームのスポンサーをやってるとも(ちゃんと!?)ありました。
  12年も宜しく御願い申し上げます。(笑)
2011.12.31 18:12
アンコウ
Arturoさん、

うーん、僕にはまとめられない 笑) このコメント欄を使ってくださいよ。

しかし、モルテーニのこと、ネットで検索しても全く事件に触れていないみたいですね。イタリア語だと出てるのかな?ヴィキでも自転車チーム、1976年末でスポンサーをやめるという程度のことしか出てないようですね。
2011.12.30 17:18
arturo
なるほど、なんとなく了解しました。
しかし、モルテーニの方は残念です。でもN野君の方(あからさまな詐欺事件)とかはどうでしょう?。各種ネタバラしやったんで、どれかはアップしてくんないと浮かばれない!?。(笑)
  そう、エロイカとRCSーSportの確執、決裂の件なんかどうでしょう?。
  或いはモルテーニの件、本件は否決したにしても、その後の息子の件なら、なんとかまとめられない?!。
2011.12.30 15:50
アンコウ
モルテーニは書けません 笑) 締めくくりは、ま、arturo さんに限らず、あとはよろしくってやつです 笑)
2011.12.29 12:05
arturo
う~む、これは『オマエも投稿しろ!。』と言わんばかりの締めくくりなのか!?。
  確かに、オカーニャだとか、投稿ネタ満載!?とも思われなくもない。(!?。)
  しかし、実際の所、この前の高田馬場の件がトラウマになっていて、投稿するモティヴェーションが未だ不充分と思われます。何か解決策を見つけないと、、、。(ハテ!?)

  それより高田馬場でネタバラししたので、モルテーニの件だとか、N野君の件だとか、その他別枠で記事アップ期待しています。(笑!?)
2011.12.29 10:55

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アンコウ

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あんけ・たつや。欧州ロードレースに興味を持ってすでに30年以上。主にドイツ人選手を応援。特に青田刈りにいそしむ。歳にも関わらず、あらゆる点ですごいミーハー。そのほか好きなものは、読書、音楽はバッハと友川カズキ、北方ルネサンス絵画、映画、阪神タイガース(村山、江夏以来ですが、強すぎないこと希望、弱すぎはもっと困るが)。北欧の社会民主主義に対する憧れ強し。家族構成は連れ合いと娘三人。

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