YouTubeにエディ・メルクスのLa Course en Teteというビデオが8回に分けてアップされてます。その1の最初のところに表題の映像があります。これが古いロードレースファンなら皆さんご存じの曰く因縁付きの世界選手権です。おおよそ開始5分半ぐらいのところから最後まで、レース前からレース後までが写っています。
しかし、ここは投稿11回を数えて、これは密かに、かつ久し振りに記録更新が期待出来る!?。中々良い12年のスタート!?。
しかし、mortadelle allo stercoは、冗談で知人のイタリア人(但し79年生まれ。つまりスキャンダルの後生まれ。)にメールしたら、「しかし吐き気をもよおす言葉だ!。一体何処で、この言葉を仕入れたんだ!。」と言う返事を喰らってしまいました。(まあ、メールしたのは””確信犯”ではありますが、、、。メールした当事者は、自転車関連ではないですが、この当事者の親父は、自転車レース好き。知りそうな人を会えて回避。余談ですが、この親父の方はレース好きどころか、大昔ディレッタンテまで走った経緯があるレベル。過去、たまに話に出す、モーり、それの親父モーりと走った経緯あり。完全な脱線ですね。仮に親父に尋ねていたら、この言葉、直ぐ出所がバレていた!?。
(さては少しずつトラウマから開放!?。)
2:
ケネディブラザーズ社刊”Eddy Merckx and the 1970 Tour de France”p.26から、
「フェリックス・レビタンはこう言った『あれは気違い沙汰だった。ポルト峠の下りを飛ばしてる時にな、あの時は75kmhは出てたぞ。メルクスは落ち着いてジャージのポケットからスパナを取り出すとサドルの高さを調節して、スパナをポケットに戻すと慌てる様子もなくグルノーブル目指して飛ばして行った』」
3:
1976年の世界選ロードでマールテンスが優勝した後、メルクスがお祝いに行くと二人は抱き合って喜んでいました。
この時に写真は”The fabulous world of cycling”に載ってます。
4:
二人は和解してますが、引用元を確認するので次回に。
アンコウ
Arturo さん、
mortadelle allo stercoって出てるのが、くだんのスキャンダルですね。ただ、詳細についてはよくわからない。なにしろグーグル翻訳頼みなので。
奥さんの死は足を滑らして、っていう風に訳がでたんだけど。。。いずれにしてもmortadelle allo stercoについては詳しい経緯がはっきりするような記事がないかなぁ。。。ただ、それがあったとしても、書けるかどうか。。。