fc2ブログ
2023 11 << 12345678910111213141516171819202122232425262728293031>> 2024 01

カペル・ミュール?グラモン?ヘラールツベルヘン?

2010.04.07.08:29

CYPRESS さんの「Radsport-news.com のフランドル予想」に対するコメントで、カペル・ミュールとは昔はフランス語でミュール・ド・グラモンと言ったのではないかと書かれています。

ちょっと調べてみましょう。

物の本によると、1981年以来、ミュール・ド・グラモンにミュール・ド・ラ・シャペル(カペル・ミュール)が加えられたという書き方をしています。また、この丘のある町がヘラールツベルヘンです。

グーグルマップで見ると、まずヘラールツベルヘンの町の東側にマルクト広場があります。その脇を南から北へ通過して右折(このあたり、TVでは Vesten の石畳区間として出ます)、クランクになっているところを通ってホーイ通りへ入ります。そのまま直進するとムール(ミュール)へ通じ、さらにムールが終わると左折してアウデベルフ通りになります。ここが今回ボーネンが離れていったところですね。途中、道に突き出しそうになっている家の脇を通って、そのまま突き当たりをクランクで礼拝堂脇を抜けていくというのがコースです。

名称ははっきりしませんが、先の本で、カペル・ミュールが後から加えられたと書いてあるので、おそらく下のムールからアウデベルフの部分をグラモンの壁(ミュール・ド・グラモン)と呼び、カペル・ミュールと言われているところは最後の礼拝堂脇への登りをいうのではないでしょうか?ただ、この坂全体の名称を町の名前で、ヘラールツベルヘンの壁と言うのでしょう。たぶん。

しかし、ビデオを見直してみると、やはりすごいですねぇ。カンチェラーラ。ボーネンが離れていって、上空からのカメラが次にカンチェラーラを写すまでの間に、ワープしたか、ショートカットしたんじゃないの?っていうぐらいです。何度見ても飽きません。栗村氏の絶叫もむべなるかな、という感じ。

コメントをしてくれた CYPRESS さんに感謝。

2010,04,08 追記
どうも勘違いしていたようです。CYCLINGTIME.com の記事のコメンテーター氏の書き込みによると、オランダ語とフランス語の違いのようです。さらにヘラールツベルヘンの町のウェブを見ると、確かにフランス語ではこの町はグラモンと言うようです。

上述の書物の81年から云々を信じれば、礼拝堂までの短い激坂をカペル・ミュールないしはミュール・ド・ラ・シャペルと呼ぶのは間違いないでしょう。

どちらでも良いんでしょうけど、一応言語境界線から見ればオランダ語(フラマン語)圏なので、ヘラールツベルヘンの壁(De muur Geraardsbergen)とカペル・ミュール(Kapel muur これも訳せば礼拝堂の壁)ということでしょう。たぶん。

ただ、フランス語ではグラモンの壁 Mur de Grammont とミュール・ド・ラ・シャペル(Mur de la chapelle)と呼んでいるんでしょうね。たぶん。

良ければ、下のボタンを押してみてください。


にほんブログ村 自転車ブログへ
にほんブログ村
関連記事
スポンサーサイト



comment

ヴァルデマール
CYPRESSさんあてだけど割り込もう。

こばやしさま、

ください。
2010.04.16 18:04
こばやし
>CYPRESSさま

「1900 1914」っていう、創成期の自転車レースに付いて書かれている本なら見つかったけど、いる?英語です。著者はPASCAL SERDRNTという人。ツールの1913年のコースが書いてあったり、パリ・ルーベの1914年のコースなんかも、当時のポスターや写真と一緒に簡単な解説が入っている。お土産に買って来たんだけど、それ自体忘れていたみたい(^^;

ごめん、確認したらフランス語だった。たしかフランス語と英語の本があって、当時はフランス語のほうが内容がわかるかと思って買って来たことを思い出した。
2010.04.16 12:27
CYPRESS
>リエージュとフランドルは、使った坂の長さや勾配、距離などが詳細に解説されている本を持っているはずなんだけど、見つからないんだよな。残念。

→!ほ、欲しい!
2010.04.16 00:55
こばやし
そうなんだ、人工とはしらなんだ。でもいわれてみればそうなのかって気もするね。しかしすごいな。

リエージュとフランドルは、使った坂の長さや勾配、距離などが詳細に解説されている本を持っているはずなんだけど、見つからないんだよな。残念。
2010.04.15 23:49
ヴァルデマール
ははは、おもしろいね。パーテルスベルフって人工丘陵なのかぁ。

ヘラールツベルヘンはファエマのメルクスが登っている写真があるから、もう少し古くから通っているんだろうなぁ。

そういえば、今年のコッペンベルフでは結構自転車を降りていたね。昔はこけていたけど、ビンディングになったから、さすがに倒れないみたいだけど。
2010.04.15 21:09
CYPRESS
ホーイドンクの解説は去年(2009年)です。
ほんでもってコッペンの方が先ですね。

コッペンが取り入れられたのが1976年。

パーテルスベルフの採用のし方が面白い。
コッペンの隣の畑の持ち主がコッペンでの熱狂振りを見て「いいなぁ」。
その気持ちが強まり1984年、新聞に発表「俺ん所に丘を作る」
18ヶ月後、石畳の小道完成。
1986年から使われ始めたとか。
2010.04.15 20:33
こばやし
グラモンあがってからコッペンじゃなかったっけ?この20年ほどレースを観てないので、すっかり記憶が曖昧だけど。印象としてはコッペンのほうが勾配がきつくて、グラモンのほうがゆるいけど長い気がする。下の石もグラモンは砂岩でずるずる滑り、コッペンは固い石だけど磨かれてツルツル滑る感じがしたなぁ。どっちも勝負所なんだろうけど、その時のメンバーや天候で難しさは違ったのかもね。
2010.04.15 19:32
CYPRESS
イギリスの雑誌(CYCLE SPORT誌→単数形デス)でホーイドンクがフランドル一周の解説をしたんだけど、
一番キツい坂はコッペン
一番力を使う坂はグラモン
って言う表現を使ってました。
レースで上る順番(=何キロ地点にあるか)が関係してるんでしょう。
グラモンは最後の方で遅れたら追い付くのが厳しくなり、何が何でも力を出し尽くさなくちゃいかんのだろうね。

選手の出力の問題もあるだろうけど、ホーイドンクによると大柄な選手は寒さに強く、小柄な選手は暑さに強いそうな。
雪になった1980年のリエージェみたいに4月の北ヨーロッパはまだ寒いからボーネンなんか更に有利なんでしょう。
2010.04.11 13:55
こばやし
リエージュで3600Mも上るってのは想像以上だなぁ。でも軽いほうがいいのはもちろんだけど、やっぱり筋肉量が重要な気がする。ヒルクライムのような長い上りじゃなくて、短い上りでの出力競争を繰り返すわけだし。しかし180センチの選手が68キロあるのと、170センチの選手が58キロあるのじゃ、軽いほうが有利のような気がするけど、現実には180センチの選手のほうが繰り返しの出力競争には強いイメージがあるけど、やっぱり出力は重要だよね。

昔何のレースだったか忘れたけど、やっぱり20パーセント強の上りで、集団から1人アタックしたロミンガー。集団でももちろん反応はしているけどその差は開くばかりで不思議に思っていたら、ロミンガーだけはアウターの17か19だった。似た状況では83年のスイス、サンガレンでの世界選でもスイスの選手(名前ど忘れ)がアタックしたとき、同じでギヤが違っていた。

昔(こればっかりだな(^^;)市川君に聞いた話しで、「上りを速く走るにはどうしたらいい?」ってクリケリオンに聞いたら、「ギヤを掛けろ」って言われたって話があるけど、彼らはごく当たり前にそんな意識というか、そんなことを繰り返し経験して強くなってきているんだろうね。
2010.04.11 11:08
CYPRESS
紀ノ国屋新宿本店、語学コーナーからオランダ語が消えたのが2003年夏。
(レキップの「ツールの100年」の英語訳を買った年と所なんでよく覚えてます)
人気も無ければ重要性も低いのでしょうね。
個人的にも、やはりオランダ語の発音と表記は分かりにくい。
「アウデ?クワレモント」は英語の本や雑誌を読むと“Old Kwaremont”の方が多いかなぁ…

日本でベルギーやオランダの地名がフランス語になっていたのは、CSとネットとAmazon以前手に入る資料が殆どフランスの出版物しかなかったからでしょう。
英語圏でフランス語表記になったのはピエール シャニーの大著を参考にしていたからではないかとにらんでます。

フランドル一周と言えば、35年前、著作権意識が低かった頃、グラモンの壁並の急坂を上る選手達の写真を印刷した紙袋を自転車店で使っていたのを御存じ?
年代を考えるとJean Duryの“Geants de la Route”1973年版のp.168の写真を使ったみたい。
この袋、まだわが家のどこかにあるはず。
またツールのシャンゼリゼを進む選手達を後から撮った写真を使った紙袋もありましたなぁ。1977年、フランス部品輸入会社がツールの優勝者を当てるクイズのプロモーション用じゃなかったかな?

追伸
リエージェ~バストーニュ~リエージェの上りの合計、3,600mとする記事発見。
→“A century of cycling”
William Fotheringham著
2010.04.08 20:39
ヴァルデマール
CYPRESS さん、

標高差は調べられると思うけど、阪神が負けたので、根性がわきまへん。そのうちね。石畳区間はどうなのかなぁ。TV中継では石畳区間の名前と距離が出るようだけど。。。

その市川選手のインタビューのビデオ、たぶん実家にあるはずですわ。たしかヴァン・ホーイドンクが二度目の優勝を飾ったやつでは?? 78年の世界戦はさすがに知りませんわ。
2010.04.07 21:15
CYPRESS
ブログ主殿、ご苦労様でした。

ご苦労ついでに質問。
ところで、フランドル一周、上り坂の標高差の合計って、どれくらいになるんでしょう?
また石畳の区間の合計距離は?

リエージェ~バストーニュ~リエージェの上りの合計は以前調べたことがあり、2,000m程(1,500mだったかも)あったはずです。
合計だけだとステージレースの中級山岳区間並ですから、カンチェラーラが体重を数kg落としたいと言うのも納得。

フランドル一周、1990年頃、TV東京系の『サイクルニッポン』(→番組名は変わってたはず)で放送。市川選手がどこかの坂で地元民を苦手なフラマン語でインタビューしてました。
この番組、たまにヨーロッパのロードレースを放送し、1978年の世界選プロロードを観たのを覚えてます。
2010.04.07 18:57

post comment

  • comment
  • secret
  • 管理者にだけ表示を許可する

trackback

trackbackURL:http://tatsuya1956.blog48.fc2.com/tb.php/74-7073145b

プロフィール

アンコウ

アンコウ
**********************
あんけ・たつや。欧州ロードレースに興味を持ってすでに30年以上。主にドイツ人選手を応援。特に青田刈りにいそしむ。歳にも関わらず、あらゆる点ですごいミーハー。そのほか好きなものは、読書、音楽はバッハと友川カズキ、北方ルネサンス絵画、映画、阪神タイガース(村山、江夏以来ですが、強すぎないこと希望、弱すぎはもっと困るが)。北欧の社会民主主義に対する憧れ強し。家族構成は連れ合いと娘三人。

* 時々コメントが迷惑コメントとしてゴミ箱に入れられることがあるようです。承認待ちが表示されない場合は、ご面倒でも書き直しをお願いします。2017年8月3日記す(22年3月2日更新)

カテゴリー

openclose

FC2カウンター

Amazon

月別アーカイブ

検索フォーム