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2011、世界戦、カヴェンディッシュでした

2011.09.25.23:10

あーあ、だめだよ、あんな後ろにいちゃあ、グライペルってば。今回も位置取りの悪いこと!あれじゃあ勝てないよ。ツールで何度も見たのと同じパターンだね。トップスピードはあるけど、なんか最後のところで遠慮しちゃうんじゃない??

しかし、予想はしてたけど、やっぱり大集団ゴールスプリントでした。なんかなぁ。。。同じ大集団スプリントでも、カンチェラーラが優勝だったら、あるいはジルベールだったら、ある程度納得したんだけどねぇ。予想したようにイギリスもオーストラリアも列車つくってましたね。うまく人数が残った国が1位2位かな?ジーベルクとホンドとデーゲンコルプが残っていたドイツだったけど、ホンドがでるのが早すぎだったかねぇ、ジーベルクはロットでもグライペルのカタパルトだけど、やっぱりカタパルトとしては今ひとつだったかな。まあ、デーゲンコルプはネオプロとしては十分でしょう。キッテルはどこいった?それとマルティンは??

イギリス人の優勝は、あのトム・シンプソン以来?? 

しかし、ヴォクレール、今シーズンはむちゃ目立っていたし、ひょっとして逃げ切らないかとおもったけどねぇ。敢闘賞があればヴォクレールだったね。フーヘルラントもあの距離を一人でジャンプして追いついて、しかも前に出てましたからねぇ。格好良すぎ。

うーん、個人的には、去年もゴール前1キロでアタックしたニキ・テルプストラしか印象になく、そういやあ、フースホフトがアルカンシェル着てたなあ、という感じなんですが 笑)今回も、たぶん来年覚えているのはヴォクレールだな。なんとも魅力的な選手ですねぇ。性格は今ひとつらしいけど 笑)


追記。 comment 欄も見てね (^o^)


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comment

アンコウ
Arturo さん、

ごぶさたしてました。いやぁ、コメントを最初から読み直しましたよ。コッピーノ、キオッチョリとお会いになった? イタリアへ何しに行ってるの? 取材って思っちゃうよ?

88年のジロ? 例の大雪のガヴィア峠ね? 以前拙ブログでも紹介した奴。http://tatsuya1956.blog48.fc2.com/blog-entry-149.html 

あれ?でもこのときのYouTube 非公開になってますね。あ、でもいま 1988 Giro Gavia で探したらありました。壮絶だね。でも1956年のガォルのときのほうがもっと雪がひどいね。

クネットマンとモゼールの投げ合い? この真相ってなんだっけ? もう最近のニュースも乱入してくるし、古い記憶はどんどん劣化していくし、混乱してます 苦笑)
2015.02.25 14:37
arturo
アンコウ様。
  忘れた頃の投稿も、ここまで来ると、全部読み返さないと話にならないですが、後述のとおり、投稿したくなってしまいました。
  一昨日、なんの奇遇かキオッチョリー本人と立ち話をする機会があり、先の投稿の件、訪ねてみました。先方からは、「しかし25年も前の事、よくもまあ、聞くなあ!。仕事はジャーナリストか?」と言う感じで呆れられてしまいましたが、、。(勿論、「いや、そうじゃあない、たまたますい先日、友達の自転車レース好きのブログにこの事書いたんだ。」と言う真っ赤なウソな弁明をしておきましたが、、、。
  やっぱ、92年のジロ、最後の峠の終わりまで、希望は失っていなかった、やっぱ、かつ超えた瞬間、あそこでジロは終わった、と言う事で、”Magari"と言う言葉についても、「いや、あれはもう、本音中の本音だ。」と言っていました。
  但し、以下はもはや余談ですが、一報88年のジロに関しては、天候のトバッチリで、あれがなければ間違いなくあのジロは獲っていた。となりましたが、、(負けおしみではなく、確固たる口調。)

  投稿したくなった気分に同情頂ければ幸いです。(笑)

  そう言えばモセールは来日していた!?。アンコウ様、もしクネットマンの件、(78年世界選手権)”真相”聞いていたら、又アップしておいて下さい。宜しくお願いします。えっ!?「そんな事する訳ねーだろ!。こっちゃーそんなヒマじゃあねー!」ですか!?こりゃ失礼しました。(!?)
2015.02.24 16:48
arturo
とにかく、大変どうもすみません。いい加減男が又、本領発揮しちゃいましたね。これも過去に書きましたが、いつも、ウラも取らないで勢いだけで書いちゃうから、(いい加減反省しろよな、状態!?。)同じ事をいつも繰り返す!?。
  しかし、何処で3位とインプットされたのか?。多分、今話に出てるカンパのポスターのせいか?。あれにモゼールも写ってて、その雰囲気でそう思い込んだ!?。
  しかし、今回書き込まなかったセリフを補間してくれるあたり(脚色とも言えない、、。)、これは完全に覚えておられますね。状態。(勿論キオッチョリーの話)じゃあ、それつまり、当時話をした甲斐があった、、となりますですので。
 そう、そのセリフもあったんですよね、前段階で、、「Ho provato tutto quello che riesco fare,Pero、(niente da fare contra lo Spagnolo,,,),,,,,,,]括弧内は実際には発音されていない、、。
2011.09.28 21:27
アンコウ
arturo さん、

1981年の世界戦、YouTubeで見つけて、先ほど記事をアップしました。残念、モゼールは4位ではありませんでしたが、まあ、結果的にはおなじようなことですね。サロンニとモゼールで、どっちかが相手のアシスト??ありえません 笑)

82年のサロンニは、私もCYPRESSさん所有のヴィデオで初めて見たとき、あれ?いま上を横切ったのはマスコミのバイク? って思いましたね。カメラがまったく追いつきませんでしたからね。これもきっとYouTubeにあるでしょう。

92年のジロは雷雨のファルザレーゴ峠ですね 笑)それとキオッチョーリの「やることはすべてやった、そしてダメだった」(ちょっと脚色)という奴じゃない?もちろん覚えてますよ 爆)
2011.09.28 16:10
アンコウ
CYPRESSさん、

ふふふ、スーパーコンフェックスね、じゃあヴァン・ポッペルのための列車だったんでしょう。87年はヴァン・ポッペルはステージ4つぐらい取ってるんじゃない?ただ、マリーにゴール前でアタックされて、そのまま逃げ切られたステージがあったよ。NHKの朝の海外のニュースで2分ぐらい流された奴。たぶんウチのどこかにそのビデオがあるぞ。

ポランティエは当時の自転車選手の中ではインテリだったという話をどこかで読んだことがあるよ。

ポスターは三人並んでいる奴ね。サロンニがものすごい髪型と形相で右にいるマールテンスをにらんでいる奴ね 笑)ありゃあすごい写真だったよね。
2011.09.28 16:09
arturo
僕も列車に非難的な事書いちゃったから、逆に過去、もっとも感動した列車のケースを書いておきます。と言っても初めてアンコウ様に高田馬場にて御目に掛かった時にした記憶がありますが、、、。そう92年ジロです。
 あの年は最終日がTTだった訳ですが、その前日、山も終わった翌日、そしてこの日の走行距離は100kmを切っている、と言う、当に、超つなぎのステージでの出来事、そして区間を獲ったのはチッポリーニ、と、これで終わるともう超平凡の日に見えますが、、、ハタ目には。事実、当時の日本の自転車メディアには以下の事が全く触れられておらず、愕然とした記憶がある、、と展開。(で、、アンコウ様には、この話をこの時やられて居られた本の中に挿入されるようにゴリ押しした記憶あり。この日、今調度92年のジロの調査をやっている、、、、と言うのが発端でした。段々思い出してきた?!)

  この日、ゴール前、最後までチッポリーニを引いたのは、この時点で総合3位のキオッチョリー。何も、未だ明日が残っているのに、みすみすキオッチョリー自身が危険を犯してまで、スプリントに付き合う必要もないではないか?。そこまでやるのか?。等と思いました。(万一、スプリントの陣取り、”格闘”の最中に接触、事故り、落車、棄権となれば、総合3位も自動的にパーになる。明日の展開によっては、インドゥラインを相手に、総合逆転はムリとしても、2位に浮上する事だって視野に入れられる状態での出来事。だって一番最後まで引いたんだぜ、状態。
 そんな調子だから、ゴール後のチッポリーニのインタヴューも、「今日はまず道を開ける為に働いてくれたチームメイト、とりわけフランコにお礼を言いたい。(今日のレースのコメントはほっておいて)。明日のTTでは、逆転総合優勝はムリとしても、総合2位でフィニッシュしてくれる事を願っている。」とエール、コメントしていたのが印象的でした。(まあ、翌日はそうはならなかったですが、、、。)

 思い出して戴いたでしょうか?。とにかく、あのジロは、インドゥラインのパワーアップした強さが際立っていた大会でしたが、ディフェンディングチャンピオンのプライドをかけて、最後の最後まで、インドゥラインに挑んでいたキオッチョリーの姿が印象に残ったジロだったと、、。本当は、あのバスクの巨人を相手に勝てる訳がないと、どこかで解っていながら、それを認めたくない、彼の姿であったような、、、。最終日2日前、最後の山岳ポイントを(インドゥラインにダメージを与える事なく)、通過した時、彼のジロはあそこで終わっていた。しかし、あの日も、このままみすみす終わる訳には行かない、とゴールで4人によるスプリントを獲り、翌日はこのチッポリーニの区間と2日連続でMGに区間をもたらせた、彼の姿が印象に残ったジロ、、、と言う話を、、、。これこそ、プロ根性、、、と言う感じでした。もはや総合優勝は出来ない。つまり1年前と同じ”配当”をメンバーに渡す事はもはや叶わない。この上は少しでもその差を埋める作業を一丸となってやる。みたいな。

  このキオッチョリーに”紳士”インドゥラインはエールを送り、それはリポーターとのインタヴューの中で登場、「しかしフランコ、聞いて下さい。(そんなに沈む事ないじゃあないですか?。だって、)彼、ミゲールは告白していますよ。いいですか、フランコ、あなたは、あなたこそは、今回のこのジロ、もっとも恐るべき存在だったと、、、。」(いつか打ち砕かれるのではないかとの不安にさいなまれた、、、。いい加減にこの執拗な攻撃、収まらないものか、、、)これに対するフランコの、表情を交えた一言「MAGARI,,,,」(本当にその通りなら良いんだけどね、、、。(=現実はとても、その言葉通りには思えない、、、。)こっちは全く相手にされなかった、、、。完全に打ちのめされた、、、状態。)これが印象的でした、、、。

  しかし、このキオッチョリーに僕は、もっとも拍手を送りたかった話でした、反面、かつ、ここは、このジロのポイントなんだから、チャンと記事にしろよな。等とヘンに矛先をそっちにむけた話でした。
 (ここまで書かないと、なぜキオッチョリーの”列車”に感動したのか解ってもらえない?!第三者には!?}
 
2011.09.28 05:53
arturo
メルテンスの81年。オマケとしまして、あの日4位はモゼールだったですね。(これで豪華さの上積み。)、ここでのポイントは、前にも話題に出した気がしますが、つまりは、トップ4にイタリア人が二人居て、どっちかが、どっちかに働いたら、アルカンシェルはべりぎー人の物になっていたか?と言う疑問も出る。まさにここのスプリントの典型(!?)
 あの二人じゃあ不可能か、、、、。大体、いつかサロンニに直接聞いたですが、(かつ、前にこれも書いたなあ、、、、)この時の経験があるので、翌年は、ああ言う展開に持ち込んだ、と言ってました。で、この時の映像は、日曜日の反省会番組の終盤でも流していました。いつ見ても異口同音に、「まるでこれはバイクじゃあない?。」状態。

  それから現代の展開では、ご指摘の”ワクワクするような~”展開はかなり難しいですね。明らかにあれは確信犯でやってる事で、あのスピードで走ってる訳で、(ゴーり前10km以下の話。)テレビ中継見てても、わざわざ、そのスピードをテレビ上に提示している位。
  それと、ツールみたいなステージレースじゃあ、9人全員スプリンターで固める訳には行かないでしょう、、。カレラチームに非スプリンターが居ても、それは当然と思います。(勿論やろうと思えば、出来るか、当然弊害も出る。)
2011.09.27 23:32
CYPRESS
★フィールドスプリントで「列車」を始めたのは、1987年のツール、スーパーコンフェックス。発案者はあのヤン・ラース。じゃなかったかな?
★スプリント勝負で印象的なのは、1980年のフランドル。当時最強のモゼールとラース相手にチビでハゲのポランティエが勝っちゃったから。
モゼールとラースがけん制してその隙を突いたのは間違いないと思うけど。
★1981年の世界戦の映像は、フランドル博物館→マールテンスのHPへ行くと有ります。
あのフィールドスプリントの写真を使ったカンパのポスターは、大変素晴らしい。自転車競技写真の最高峰の一つ。
おそらく世界一の自転車競技コレクターのホートン夫妻が収集を始めたキッカケが、カンパのこのポスターをホートンのダンナが見たこと。
2011.09.27 23:20
アンコウ
arturo さん、

コメントが一つすれ違っちゃいましたね。サランシュはそんなにきつかったの? たしかYouTubeで見たような気がするけど。。。バロンケーリと逃げて、最後はぶっちぎって独走優勝。バロンケーリに1分以上、3位以下の集団には4分半の完璧な勝利だったみたいですね。資料はあるんだけど、読むの面倒臭くってね。

うん、89年のNHKだったか、カレラチームがゴール前でボンテンピのために列車を作っているのを見て、ああ、スプリントのアシストってこうやるんだ、と思ったものでした。ただ、列車をつくっていたのはメヒラーとかダ・シルバとかで、決してスプリンターではなかったと思うんですよ。スプリンターがスプリンターのアシスト列車をつくるということができたチームはメンツから見ても、パナソニックぐらいじゃなかったのかなぁ? だけど、そのパナソニック、ワンデークラシック(何だったか失念)で同じチームのファンデラルデンとネイダムがスプリントで競い合って、ゴールで自転車投げ合ってましたからね。はたして今みたいにすんなりと列車になれたのやら?

いや、ぼくが列車に批判的なのは、あくまでもHTCみたいな、普通ならそのまま勝負できそうなスプリンターを何人も擁して、ゴール前のスピードを上げきっちゃうやつね。他のチームのアタッカーやスプリンターの付け入る隙を与えないというのが、チームとしては優勝できる確率は高まるだろうけど、昔のような、優勝候補のスプリンター同士が牽制し合って、その隙を突いてアタッカーがウマウマと逃げ切っちゃうような、そういうワクワクするようなものがなくなってしまったなと思うわけ。

もっと大昔、メルクス時代の集団スプリントの写真なんかを見ても、優勝した選手と同じチームの選手が後ろで万歳しているシーンなんかがあるから、スプリントのアシストはしたんでしょうけどね。

マールテンスはチェコのプラハでやった奴ですね。一応30人程度の集団だったみたいですけど、ただ、表彰台がマールテンス(ブエルタに13勝して最初から最後までトップの総合優勝)、サロンニ(ジロ総合優勝)、イノー(いうまでもなし)の三人ですからねぇ。すごいよね。これもYouTubeにあったはずです。
2011.09.27 22:13
arturo
  いやいや、そう言う意味じゃあなくて、95年以前の世界選には、大集団(それも、今回は、80人そこいらも居る)のゴールスプリントによるフィナーレが、概念としてなかった。良いとこ10人そこいら、、、と言いたかった訳で、そんな中で、最も大スプリントのイメージに近いのを上げるとすれば、それはマルテンス(81年)じゃあなかったかな?、と言いたかった訳です。カレンダー変更後、それが崩れた、と言う訳で、
  それで言うなら、そもそも、今回みたいに、大人数では何かと厄介なので、まず最初にふるいにかけるべく、ペースアップが図られるとか、(勿論、レースは見ていないですが、、、)誰かを捨て駒(しかも、その捨て駒が、先に書いた例で行ったら、普段はエースをやるようなレベル。キャプッチと言う名前を出しましたが、、、)にして、レースを動かす。そして最後は真打ちの登場、、、、みたいな概念を持っていました。

 一方、列車を引かせる、と言うのは、世界選どうこう以前に、スプリントにおける方法論としては、これは95年どころか、80年代に”考案”された訳で、確かにレギュレーション違反にならなければ、これやった方が、スプリンター本人の負担は減る訳で、当然、誰かがやれば、こっちもやってやる状態になっても不思議は無いですね。だから、先のコンティのセリフでも、イギリス人について、「列車なしで(ゴボウ抜き)勝った。」とここを特化している発言となっている訳で、、、。(=これは突出してないと、到底ムリ!?。)。
  現代の人は、スプリント、イコール、列車でやるのが当たり前、と言う概念になっている!?。(=昔話をしてもしかたがない!?。)

  とまあ、二つの論点が混在していましたね。但し、95年以前は大スプリントが無かった(と書くのは語弊があるとしても)ので、自動的に列車どうこうも無かった(と、無いと書いてしまうのも、これまた語弊アリですが、、、。)と言う間接的な言い方は出来るかも!?。大体、アンコウ様、そしてコンティも指摘するとおり、同じ町で、50年代のそれと一昨日のそれとでは、顛末の形態が全く異なっているわけで、、、。コースがまるでフラットと言うのは確かに感心できないですが、フラットでも昔はあんな事があった、、、と言う間接的な例にはなるかと?!。
  又サランシュみたいなキツいコースでやってくんないかな?。あっちは三角形なコースで、登り下り、そしてつなぎのフラット(三角形の底辺)のコースでしたが、、、。
まあ続編のコメント待つ事にします。
2011.09.27 16:46
アンコウ
arturo さん、

いやいやケンカ売ったつもりはありません 笑) チポッリーニの列車スプリント、ステージレースのなかで何度かそういうことがあっても良いけど、世界戦であれはないだろう、ってことです。

おっしゃるとおりで、昔もアシストがスプリンターを引くことは当然だったと思いますが、そのアシストはスプリンターではなかったし、例外があるとしても、せいぜい一人か二人だっただろうしね。アシストなしが普通でしょう。うん、ちょっとこれは後ほど調べてみましょう。

いまは列車が、それこそ優勝しておかしくないスプリンターを擁しているわけですからね(これはHTCを念頭において言ってます)。80年代のティエリー・マリーとか、イェル・ネイダムのようなアタッカーがスプリンターたちに一泡吹かせた、なんてのは、現在のあの列車スプリントでは絶対無理でしょう。

ファンの立場からすれば、だからあんな列車はやめろというのは簡単ですが、やっぱりプロですからね。勝たなければ意味ないでしょうからね。一番勝てるシステムがトップスプリンターによる列車とエーススプリンターっていうことなんでしょう。残念だけど、もう戻れないだろうなぁ。

というわけで、今回の世界戦に限れば、ゴール直前にきれいに列車を作れたのはオーストラリアチームでした。イギリスチームも最後のコーナーに入る前は先頭でウィギンスとミラーだと思うんだけど、引いてたけど、ゴール前ではどうだったのかなぁ。 YouTube にもうアップされているんじゃない?わたしは出かけちゃうのでまた後で。

PS モルテニもそうだけど、95年のUCIカレンダー変更と集団スプリントの関係、ちょっとよくわからないんだけど、良かったら教えてください。
2011.09.27 09:17
arturo
逆に、僕の概念上、もっとも世界選らしい大会,と言われれば、80年のサランシュですかね・。このチッポリーニのケースのように勝つ事が至上命令、だった、と言う点でも。フランス車連は満を持して、イノーの為に、全てをオーガナイズ、調度いつかのモレロンの件では、ブザンソンの世界選、中野浩一を止める為に、既に一度は現役を退いているモレロンを再度招聘したように、最上の策を模索した。そして勝った。
 先に登場したモーり、彼自身は、この時代との同時性はないですが、今回、月曜付けのガゼッタにはベッティーニ非難ネタがある中にあって、「史上もっとも容易なコースレイアウト」と形容されていました。で、このモーりに「自分の知る限りもっともキツイコースは?」と訪ねると、やはり80年のサランシュだろう。(ちなみに僕個人はルブランが勝った、94年のかなりキツイイメージはあるのですが、、、。上がりか下りしかない。)と言ってました。僕は勿論この世界選は同時代性ないですが、但し、00年のドーフィネの最終日に、このコースを使っているのを見てはいますが、、、。要はイノーを勝たせるための最大の策、考えられるだけキツイコースを用意。
  至上命令、と言う点では、このフランスチームを束ねる為に、車連は監督にアンクティルを招聘、フランスの持てる全てを持って投入した、そんなイメージが有ります。カリスマ、と言う点ではアンクティルの上を行く人物を見言い出すのは困難でしょう。フランス自転車界にあって。
 これが為にイノーはアンクティルを尊敬しているイメージがあります。これは私生活でも感じ取れ、後年、この7年後、アンクティルは息子クリストファーのバップテームにおいて、パランにイノーを”指名”勿論、イノーはこれを快諾。そんなエピソードがあります。これはフランスにあっては、単純に宗教上の”父親”ではなく、法的にも効力がある、と聞いた事があります。つまり、父親に何かの事があれば、ホンモノの父親に代わって扶養等の義務を持つ。しかも、この時点でアンクティルは癌にかかっていた。つまり、イノーは”承知”で、これを引き受けた、と言う事で。

  何やら話が脱線していますが、ここまでして、至上命令の世界選を走り、最期はバロンケッりを、”料理”してアルカンシェルを獲った。この世界選のニュアンス、これはさっきのチッポリーニのニュアンスの説明になる!?と考えた次第でした。勿論、サランシュの方が遥かに(ゲームとしても)格が上だとは思いますけど、、、。
2011.09.27 08:13
arturo
一つ、重箱の訂正です。文中サルティーニに付いてサエコの監督と言う表記が有りますが、良く考えたら、この年は、もうサエコではありませんでした。確かもうドミノだったか?。とにかく、チームカラーが、赤からゼブラ色状態になる奴。
2011.09.27 06:47
arturo
う~む、、、売られたケンカは買うしかないのか!?、、、、。(笑)
 確かに、世界選主権のゴールが大集団のスプリント、と言うのは、確かにつまんない、、、と言うのは既に僕も書いたですが、と言うより、僕自身には集団スプリント、と言う概念が欠如してますよね。しかし、95年のUCIカレンダー変更以降、その概念が崩れてしまった、、、、。それ以降に自転車レースに関心を持ち始めた人は、それが当たり前の事に或いは感じているのかも知れないですが、、、。
  僕の概念上もっともゴールスプリントしてるのは、やっぱ、いつか書いたあのマルテンスですよね。前にも書いたので、今回は省略しますが、、、。(それも豪華メンバーによるスプリント)それも、調度今話題に出たとこだったですが、列車を引き終わった選手を書き分けて前に進む、な~んてことの無い時代。(多分あれが最後の時代、と言うのは、これも以前書いた気がしますが、、、。かつ同じ理由でスプリントフィナールでも一寸現代のそれとは違う。と、だから個々に戦っていた昔のスプリントの方が好きだった、列車引かせてやれ発射台だなんだと言うのより、、と、これも書いたなあ、既に、、、。選手個々の能力で決まる、そのウエイトが高くなる。個人技の要素が強くなる、、、。)
 で、これらの能書きに従うと02年のそれも全く、その通りじゃんかよ、となりますが、(かつ、それを否定するつもりもなし。)僕の思い入れ、心情の中では微妙に異なります。今回よりは。すると、あの時はベッティーニ、ロンバルディ、と引いて、”楽勝”スプリントした、チッポッリーニより、今回のイギリス人の方がエライ!と云うかと言えば、これが結構さにあらず状態。(なにもう、矛盾の嵐じゃん!、となってしまいますが、、、。)

  あの年は、前年イタリアチームは全く大失態をやらかした後の大会でした。(失態をやらかした選手は、それも確信犯失態をやらかした彼は、あの後、車連にホサレて、その後もう2度と世界選走んなかった件、これも書いた気がしますが、、、。)ああなってしまったあの大会、あのチームにどう収拾をつけるのか?そんな事が問われていた大会でした。イタリアチームにとっては。そして、その”任”に当たったのが、チッポリーニだった。ここがイギリス人のケースとは相似化出来ません。
  チッポリーニと言うと、対外的に必ずしも良い印象を持たれてはいませんが(イタリア国内でも)、彼はこのチームをまとめる事に結果的に成功した。一人の造反者を出す事も無く、最後のゴールまで持ち込んだ。それはあたかも、「あそこまで持ち込めば、後は必ずマリオがカタを付けてくれる。(=恥をそそいでくれる)」と言うか如き感じ。彼らにとっては大スキャンダルの後、汚名をそそぐ大会(今度は2012年がそうなる?!)だった訳です。
 ゴール後、彼の平時の監督(サエコ)サルティーニは「ファヴォリートと言われ、そしてそのまま勝つ事は容易な事ではない。」と言ってましたが、彼はそれをやってのけた。記者会見の席上、彼は、最後のロンバルディー等の、謝意の言葉と同時に(特にロンバルディーに関しては、「最高の仕事をした。」と。)この十字架を背負って走ったこの大会、これを振り返っていました。「一つもマチガイを犯す訳にはいかない。(勝つ事が至上命令だったこの大会。)一周、一周、周回ごとにその回数をカウントし、その時が来るのを待った。」と。(現にフレイレは最後に落車して、一泡吹かせるつもりが失敗している。)
 後にマドリッドで失態をやるペタッキもこれが為に、チッポリーニの”偉大”さを認める事になる。(この当時の概念からすれば、チッポリーニにしても、ペタッキにしてもアルカンシェルを手にする唯一の機会だった。現代だったらもっとあったかも!?ですが、、。)

  以前、クネットマンの件で登場したDと言う男、彼はこうも言っていました。「ジロを2回獲るより、アルカンシェルを2回手にする方が難しい。」と。

  なんかアンコウ様も言う、”批判的”と言うのは、あくまでタクティック、戦略上の事なのかもしれません。仮にそうだとすれば、これは明らかな論点のすり替えかもしれないですが、まあ、あくまで違うのは、”心情的”と書いたので、その辺は寛大な解釈を願いたい所です。
  大スキャンダルと言えば、モルテーニの件、サボってる感じがしないでもない!?。
2011.09.27 06:27
アンコウ
arturo さん、

うん、サロンニのニュアンス、それなら納得です。いずれにしても、グライペルのゴール前の位置取りの悪さはツールの時からなんども見てきたし、唯一カヴの後ろに付いたときには勝ったので、たぶんトップスピードに関してはこの二人が同レベルだろうと思いますが、イタリアチームはあの集団スプリントの確率80%のコースでベンナーティで勝負って無理でしょう 笑) どうなんだろうなぁ、中途半端なスプリンターで勝負より、もっと逃げ屋をつぎ込んでレースを引っかき回してみたらよかったのに、っていう気もするけど、そうなったらジルベールが大喜びするだけだったかなぁ?

なんか順当に考えると、今回のこのコースの世界戦、12周目の落車がなくても、勝てる可能性があったのはイギリスとドイツとオーストラリアだけだったかもしれないなぁ、なんて思います。この3チーム、優勝候補が危険な逃げを試みれば、アシストがつぶしに行くだろうし、小さなグループでは逃げ切りはほとんど無理だっただろうし、最後の列車を作れるのもこの3チームだけだっただろうし。。。

ただ、そう考えると、やっぱりこんなコースで世界選手権をやっちゃあ、あかんよ、って気分が強くなってくるなぁ。

いや、スプリンターが世界チャンピオンになってはならない、なんて言うつもりはないですよ。ただ、勝ち方なんですよね。たとえば、世界戦に3勝しているファン・ステーンベルヘンもオスカル・フレイレもその時代を代表するスプリンターの一人でしょうけど、前者は上に書いたように、今回と同じコースで集団スプリントではなく少人数の勝負で勝っているわけだし、フレイレだって、最初の優勝は実に鮮やかな逃げ切りだし。。。そういう意味で、今回もついでに返す刀で斬りつけますが、チポッリーニの優勝も、ぼくは個人的にかなり批判的であります 笑)

あ~、だいぶ酔っぱらっているので、まあ、この辺で。
2011.09.26 22:10
arturo
しかし、そうなって来ると、前述の通り、レースを見ていない僕はこれ以上何も言えないですが、しかし(その前提で)言える事は、サロンニはこのドイツ人について、「唯一イギリス人を止められる可能性のあった。」と言う事で、つまり、「絶対止められるのをトンマな為にフイにした。」とは言っていないと思われます。まあ、「仮に(出来るヤツが)居たとすれば、それは彼だ。」レベルでは!?。
  それからゴールスプリントと言うのは、特に今回みたいなのは、もう格闘技の世界なので、落ちてきた、元列車の選手は、もはや弁解の口実に使うべきではない、とも思えます。それ言い出すと、「じゃあ、オレだって、、。」を言い出すヤツが、下手すると天文学的な数字になる!?。(笑)
 今日、以前にも話しに出した、モーりに会いました(勿論、レースは観戦)。彼に言わせれば、この結果は超順当と言わんばかりに、「オレは、一昨日、土曜日(女カテゴリーを見た後。)に、このイギリス人に掛けた。」(所謂公共ギャンブルの類。)」と言ってました。で、「配当が幾らか出る、」ともなる訳ですが、「そんなに言うなら、ロンドンはどうなる?。」とやったところが、「やはりこのイギリス人だ。」と言うので、ここについでに告知しておきます。(ハッタリかどうか来年解る!?.)
  それと、「ベンナーティはゴール前4kmで、一回電車から切れている。これを見て、今日はイタリアの勝ちはない、と思った。送り込めていれば、或いは14位と言う事態は回避出来たかも知れない。しかし良いとこ、トップ10あたりだろう。」
2011.09.26 21:36
アンコウ
arturo さん、

本日の記事(本文)にした方がいいんじゃないかって状態になりつつありますが、どうやら12周目で集団落車があり、集団が分裂しちゃったんですね。ディフェンディングチャンプのフースホフトも、ドイツチームのマルティンたちがいなくなったのもそのせいみたいですね。

さっきまでグラープシュとクリアが先頭引いて他のに、どうしていなくなっちゃったんだろうと思っていたんだけど、ちょっと目を離した隙にそういうことがあったようです。こちらも酔眼で、時にはウトウトしていたもんで。。。

さらにドイツチームとして不運だったのは、デーゲンコルプがゴール少し前でメカトラで脱落、最後のコーナーではグライペルは前から10番目以内にいたようですが、その後オーストラリアチームの列車からこぼれたアシストたちが次々に自分の進路の左側へ落ちてきたとのことで、そのせいで一気に15番手以下になっちゃったらしいです。

ただ、ツールでも感じたんだけど、そして、以前にも書いたんだけど、グライペルはカヴの後ろのポジションを取れれば、たぶん勝てるんじゃないかと思うんだけど(事実、ツールでの1勝はそうやって挙げたものでした)、意図的なのか、それとも下手なのか、常にカヴとは別のコース取りで勝負に出てますね。ゴール後にカヴの肩をぽんと叩いて祝福したり、なかなかこいつ格好良いな、と思いました。個人的にはピュアスプリンターはあんまり好きじゃないんだけどね。
2011.09.26 15:58
arturo
後、スプリントそのものに関しての件ですが、(ドイツ人の件)かつ、これは、サロンニに限らずですが、あの展開では、(勝とうと思ったら、、)危険、リスクを犯さねばならない、(イタリアチームは、誰かを送り込む以前に、分解してしまい、これが、若手を揃えた(=経験不足をを露呈)、ベッティーニの”采配”も含めて、番組内では、論点となった。)そう言えばこの大会は、ひょっとして無線は禁止!?。僕の知識はゼロです。
  ドイツ人が上まで上がったのは(大体、皆上がりたいに決まっている!?。)これは、この時点でサロンニは”成功”と見なしている!?。とも思えました。(大体イタリアチームは、それさえ出来なかった、、、。)そう言えばイギリス人は道が空いていたのを、誰かがラッキーと見なしているフシもありましたね。(もし誰かが塞いでいたら!?。)しかし、一気にゴボウ抜きしたのは、どうしようもない!?。スプリントの世界であの開きは、気の遠くなる長さになる!?。僕が遭遇した最小差は、2mmと言うのがありましたが、、、。(案の定、結果発表に10分以上待たされた。98年のGPスイスだっけかな?。バルトりとウルリッヒ。確か、、、。)
2011.09.26 15:16
arturo
しかし、確かに、どっちに転がっても、ゴール80人、と言うのはないですよね。世界一のスプリンターを決める大会にふさわしい!?。
 僕の概念では、世界選主権と言うのは完走者20人そこいらレベルと言う世界だと思っているので、、、。(UCIがポイントをくれる辺りまで、、、。後は、ゴールの意味なし。仕事が終わった者はさっさと降りる。ワンデーレースはある程度そうですけどね、、、。)
  しかし、ゴールスプリントの大会となると、こりゃ、ゴールまで駒を温存させざるを得ない!?。(=ゴールが仕事!?。)
2011.09.26 14:59
アンコウ
arturo さん、

おはようございます。眠いっす。最後の集団スプリント、上空からの映像は1度だけしか映らなかったので、見間違いかもしれないけど、カヴとゴスは、上空から見て右側で、前から5番目ぐらいからトップスピードへ。一方のグライペルはかなり後ろの画面外から左へ切り込んで前へ、その際かなり前に選手がいたので、あれで前へよく出られたという感じでした。 cyclingnews ではグライペルはリードアウト役のマルティン不在が利いたという記事が載ってますね。そのうち YouTube にアップされるでしょうから見直してみましょう。

しかし80人超の集団スプリントですよ。これは話にならんよね。こんなので来年1年のアルカンシェルを決めちゃって良いの?

というわけで、リザルトを見ると、イギリスは集団にトーマスぐらいしか残ってませんね。最後のアシストはトーマスだったようですが、直前でウィギンスとミラー他3,4人が引っ張って、列車をつくっていたような気がしたんだけど。。。対するオーストラリアは、集団から後れているオグレディなども含めてかなりの人数が残っていましたね。

上空から見る限り、2位のゴスにカヴを抜く力はなかったでしょう。グライペルがゴスの位置にいれば、抜けたかもしれませんが、まあ、あの位置からよく3位になったという感じでしたね。そういう意味ではサロンニの意見には半分賛成、半分反対かな。スピードから見て、カヴに勝てる可能性があったのはグライペルだけでしょう。ただ、かりにグライペルが勝ったとしても(ご存じのようにわたしはドイツびいきです)、こんなレースで世界チャンピオン決めちゃうのかよ、という不満は残ったでしょうね。

50年代頃の二回は両方ファン・ステーンベルヘンでしたが、どちらも集団スプリントではありません。特に最初のはフェルディナント・キューブラーとコッピの3人で逃げてますからね。こりゃあすごかったことでしょう。二回目のほうは11人で逃げが決まってますし、このときもファン・ローイとか前年奇跡を起こしたオケルスとかボベとかですからね。これは違うよとベッペ・コンティの言うとおりだと思いますよ。世界一のスプリンターを決める大会で、世界チャンピオンを決める大会ではない、というのは、まあ、イタリア人が勝っていたらどう言うかは別にして、完全に同意です。

あれ?記事よりコメントのほうが長くなってしまった 笑)
2011.09.26 06:33
arturo
アンコウ様。
   僕は、今日はTVを点けたら、もう終わっていて、(直後)、「なにこれ、現地コペンハーゲンも未だ4時だろ、もう終わってんの?。」状態に陥ってしまい、僕はレースの事を語る資格はゼロです。表彰式をライブで見ました(笑)。
  しかし、どういう展開のなのか?!ですが、しかしイタリアのRAI3はレース終了後、5時半まで、”反省会”番組(イタリア惨敗だったしで、、、勝ったなら祝勝会番組なんでしょうけど、、、)をやっていました。過去の世界チャンピオン4人を招いて、。
  その中で、一寸気になったのは、サロンニの発言ですが、アンコウ様と正反対!?に、3位のドイツ人について、「彼こそはあの状況下で、唯一イギリス人を止められ得た選手、しかし、あの終わり方つまり、ポジションまでは行った、しかし、、、と言う事は、足が残っていなかったんだろう。NON AVEVA PIU GAMBE、、、、」と言う話でした。「スプリントと言う点では、あのイギリス人に手出しできたのは他に居ない、。大体、彼は列車なしで勝っている。」と言う論調でした。(=つまり、02年のチッポリーニと違い、今回はイタリア勢にスプリントで正面から対峙出来る駒がない。ペタッキでは、、、、。と言う論点へと発展していく、、、)。

  でも”大御所”か否かは不明ですが(S田フォトジャーナリストの裁定がない!?。)番組に招かれていた、ベッペコンティも、「これでは世界一のスプリンター決める大会で、これは、世界チャンピオンを決める大会ではない。」と苦言”。そして先にアンコウ様も紹介した、かつて、同じ町で勝った、50年代のダブル世界チャンピオンも、「彼はワンデーレースのチャンピオンではある。しかしスプリンターの世界チャンピオンではない。」と当時とは”差別”化していました。(で、当時、番組は見ていないですが、02年の時はは勝ったから、祝勝会番組で、そんな事言わないんだろうなあ~。)
 又気が付いたら補足しますが、これで一回投稿します。
2011.09.26 01:42

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あんけ・たつや。欧州ロードレースに興味を持ってすでに30年以上。主にドイツ人選手を応援。特に青田刈りにいそしむ。歳にも関わらず、あらゆる点ですごいミーハー。そのほか好きなものは、読書、音楽はバッハと友川カズキ、北方ルネサンス絵画、映画、阪神タイガース(村山、江夏以来ですが、強すぎないこと希望、弱すぎはもっと困るが)。北欧の社会民主主義に対する憧れ強し。家族構成は連れ合いと娘三人。

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