なんか、今回は難しそうな、偉そうな表題をつけてしまいました。
フースホフトとボアッソン・ハーゲンの故郷、ノルウエー。油田があり、経済的にも豊かで、失業率も低く、北欧特有の民主主義の成熟した高福祉国家。日本ではノルウエーのニュースなんてほとんどつたわってきませんが、そんなところであんな惨事が起こるとは驚きでした。
前半にマイヨ・ジョーヌも着、ステージも2勝した世界チャンプのフースホフトも故国の状況をこんな風に言ってます。
「ノルウエー人にとっては辛い日々だ。この二日間、レース中も、ノルウエーで起きたことに比べると、レースなんてぼくにはどうでも良いことに思えて仕方がなかった。ぼくは国全体と、この悲劇に巻き込まれた家族や友人のいる人々すべてと一緒に悲しんでいる。ノルウエーのような平和な国で、あんな事が起きるなんて。」
まだよくわかっていませんが、このところ北欧で問題となっている極右勢力とキリスト教原理主義が背景になっているのではないかと言われています。なんにせよ、不寛容ということなんですよねぇ。この世界にはさまざまな価値があり、それを人は認め合わなければならない。自分の信じる価値と違う価値を信じている人のことも認め合うことが必要なんですけどね。キリスト教にせよイスラム教にせよ、あるいは宗教じゃなくて主義にしても、原理主義的になると不寛容の固まりになってしまって、違う価値観を持つ者を根絶やしにしてしまえば、一元化されたきれいな世界が作れると錯覚してしまう。個人のレベルでも社会のレベルでも同じ事です。一元化して、○○を大切に思う心こそ最大の価値であると国民に強要するような不寛容な国のあり方はファシズムの国家とか独裁国家とかになってしまうわけでしょう。
少し視点を変えると、人はなぜ怒るかといえば、自分の思い通りにならないからでしょう。どんな怒りもこれ以外の理由に発するものはない(でしょう?)。で、怒らない人がいるか?むろんいない。結局人は自分の思い通りにしたい生き物なんです。みんな独裁者の要素を持っているわけ。一般の人はそこを折り合いをつけていくわけだけど、権力を持つと、自分の思い通りに出来る範囲が広がる。だから、国のシステムとしてそうした権力者が好き勝手なことをしないように縛りをかけているのが立憲主義で、具体的には憲法というものなんだろうと思っているんですけどね。
今日も偉そうで、しかも、話がどうもずれていったけど、不寛容と排除の思想の恐ろしさについて言いたかったわけです。今回もまた、舌っ足らずどころか、なんにも整理されてませんけど。
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