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ニーアマンのツール日記(15)

2011.07.16.18:54

ゴールのルルドは有名な巡礼の町ですね。大昔の1948年、このルルドでステージ優勝したバルタリが表彰台でもらった花束をこのルルドのマリアの洞窟だかどこだか有名な巡礼の場に捧げて、その後20分以上引き離されていたボベをアルプスで大逆転するのでした。敬虔なカトリック教徒のバルタリ、登りで彼を天使が押しているのを見た、と言い張る子供たちまで現れたそうです (^◇^;)

というわけで、ニーアマンの日記です。

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通常7月14日はフランスの国民の祝日で、ツールではいつもアタックだらけの日になる。どのフランス人も(それに非フランス人選手もほとんど)逃げようとして、逃げが決まるまで50キロとか100キロとか、アタックが続くんだ。

木曜日が驚くべき事に、最初のアタックが決まってしまったから、今日は集団はアタックがあるとすぐに追いかけ、どの選手も(オーケー、ぼく以外のどの選手も、と言わなくちゃいけないね)今日はおれがツールの歴史に名を残す日だと思っているみたいだった。ぼくの足はスタート時点で鉛のように重く、50キロは前の選手の後輪だけを見ながら、この苦しみがいつか終わってくれることだけを祈っていた。狭くてぐにゃぐにゃしたピレネーの脇道を50キロ平均で突っ走るなんて、ぼくの得意とする所じゃないからね。

永遠とも思えるほどの時間のあと、やっと今日の逃げグループができたけど、ぼくらとゴールの間にはまだオービスク峠があった。ぼくはそこでまちがいなくグルペットになってゴールまでたどり着くだろうと思っていた。ところが長くて一定の速さのテンポで走っていたら、調子が良くなってきた。で、結局たいしたトラブルもなく、メイン手段でゴールできたんだ。

いま、ぼくらのチームは、逃げグループに入るのは自由だ。でも、スタートから今日みたいな調子だと、正直に言って、ぼくにはとてもそんなことできそうにない。

スタート時に足が調子良いと良いんだけどね。
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オービスクの下り、断崖絶壁でしたね。これまた大昔、1950年代の前半だったと思うけど、マイヨ・ジョーヌをオランダ人で初めて着たヴィム・ファン・エストがマイヨ・ジョーヌを着たまま、この断崖で自転車ごと落っこちて数百メートル下へ落ちるところを、途中の岩の出っ張りに引っかかって九死に一生を得たのですね。サポートカーに積んであったタイヤを全部結んでロープにしてすくい上げたそうです。タイヤは全部伸びて使い物にならなくなったとのこと。そのプレートがあると聞きました。

2011,7/16,21:25 追記。写真がありました

さあ、今日はプラトー・ド・ベイユの登りゴール。放送もすでに始まりました。ちょっと最初からはつきあえませんが。。。


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アンコウ
CYPRESS さん、

フォローをありがとう。うろ覚えで書くとろくな事がないという見本でした。そろそろあの部屋もなんとかしないと、本が探せませんわ。
2011.08.08 16:33
CYPRESS
ブログ主殿の代わりに競技マガジン創刊号を読むと、
イノーを無名の新人扱いはしてません。
>史上10人目の初出場、初優勝イノー
が最初の見出し。
ヴェルタとフランス選手権優勝についても書いてあります。
記事を書いたのは沼勉氏。
2011.08.08 14:05
CYPRESS
>我が家に78年の競技マガジン誌創刊号があります。表紙はイノー。
→ステムが日東のパールだとハッキリ写っていたので日東が表紙だけを刷らしてパールのステッカーを付けて小売店に販促品として配った。
翌年の正月に行きつけの店でもらいましたなぁ。

>を見た頃と、現代のそれとでは、もう着目点が、全然変わってしまいましたからね。なまじ関心持って、足突っ込んだ所、知らなくても良い事まで知ってしまいましたからねぇ、、、、。、、、。
  更にハッキリ云うなら、まあ、見方のベースが完全にシニカルになってしまった、、、、。
→いやこれが正しいと思います。つまりarturoさんの情報源が表面的ではなく、また偏らないから「シニカル」になるんです。
ロードレースも他の事物と同じで関心が「カッコ良さ」にしか無ければ、直ぐに厭きます。
2011.08.08 13:31
アンコウ
77年、そういえばそういう振りもありました。arturoさんのコメントペースについて行くのがやっとで、すっかり忘れてました m(__)m

我が家に78年の競技マガジン誌創刊号があります。表紙はイノー。ただし地震のため雑誌類は積み上げたままなので探せません。記事はたしか、無名の若者イノーがツール初出場で初優勝したという感じの論調だったように思います。むろん当時のイノーが無名だったはずはなく、すでに春のブエルタでも優勝していたわけですから、戦前から優勝候補だったんでしょうけど、日本では「無名の若者」だったんでしょう 笑)

arturo さんと77年の話を直接した記憶はないなぁ。
2011.08.08 10:32
arturo
アンコウ様。
   こっちにまで、出張、書き込みます。
   確かに、お二人が言う、夢が無くなって、、、と言うのは、超同感です。
    現代でも、僕は、それなりに自転車競技に関心を持ってはいますが、もう、アサヒグラフ(あの77年の奴。ところで、77年の件、返事貰ってないですが、思い出したでしょうか?。イノー&テブネの件。)を見た頃と、現代のそれとでは、もう着目点が、全然変わってしまいましたからね。なまじ関心持って、足突っ込んだ所、知らなくても良い事まで知ってしまいましたからねぇ、、、、。、、、。
  更にハッキリ云うなら、まあ、見方のベースが完全にシニカルになってしまった、、、、。勿論、やはり幾つか書きましたが、ポジティヴな回想も無い訳じゃあないですが、、、。本来、そっちに限定して投稿すべき!?。
  (いやアンコウ様にしてみれば、日頃の僕の書き込みからも、この辺は推察済み!?。だとすると、これ自身かなりヤボな投稿!?。)
2011.08.07 16:01
アンコウ
こばやしさん、

夢がなくなりつつあるのは、世の中のなんもかんもだね。自転車だけじゃないよね。社会も人生も、なんもかんも。。。悲しいことだね。人類に未来はないなと思うよ。。。
2011.08.06 18:20
こばやし
今の時代はともかく、40~50年も前じゃあ、憧れで目の前で見ることが夢のような存在の選手が、信じられないスピードで峠を駆け上がるのを目の当たりにしたら、子供達にはきっと背中に羽が見えていたのでしょう。大人には見えないとしてもね。
たぶん20年前のイタリアでもそんな子供がいたんじゃないかなぁ。あまり知らないけど、ジロの世界を垣間見ただけの経験でも、そんなことが信じられる気がするよ。いまは自転車の世界に夢がなくなりつつあるなぁ。
2011.07.31 16:57

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アンコウ

アンコウ
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あんけ・たつや。欧州ロードレースに興味を持ってすでに30年以上。主にドイツ人選手を応援。特に青田刈りにいそしむ。歳にも関わらず、あらゆる点ですごいミーハー。そのほか好きなものは、読書、音楽はバッハと友川カズキ、北方ルネサンス絵画、映画、阪神タイガース(村山、江夏以来ですが、強すぎないこと希望、弱すぎはもっと困るが)。北欧の社会民主主義に対する憧れ強し。家族構成は連れ合いと娘三人。

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