言うまでもない、ぼくはアルカイダのシンパだったわけではない。当たり前だ、無差別テロを支持するはずがない。でも、ビン・ラディンを殺害したからといってホワイトハウスの前で喜んでいる人たちの気持ちが、ぼくにはまったく理解できない。
ビン・ラディンは単なる象徴に過ぎないだろうし、彼がいなくなっても第二第三のビン・ラディンは生まれてくるだろう。これでテロがなくなるわけではないだろう。
世界が富ある者がより富を得、権力ある者がより強い権力をふりかざせるようなシステムになっている限り、それに抵抗する者はかならず出てくると思う。
たとえが乱暴なのは承知の上で、あえて言えば、ナチス占領下のフランスでのレジスタンス運動だって連想できる。世界がこれだけゆがんでいる中で、それに抵抗する者を力でつぶし、多くの無関係な人々も巻き込んで殺害するのは、まるでナチスのやり方ではないのか?(言うまでもないが、ここではあえて無差別テロや自爆テロというそのやり方については触れない)
それとも人々は、アルカイダは仮面ライダーのショッカーやガッチャマンのギャラクターみたいな、世界征服をもくろむ絶対悪の組織だと、本気でおもっているんだろうか?
それにビン・ラディンが同時多発テロの首謀者だというのは、間違いないことなのか?なにか途方もない謀略だという可能性はないのか?しかし、これで首謀者とされる男の口から説明を聞く機会は永遠になくなってしまったわけである。なにかものすごく違和感を感じるニュースである。
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