(rsn) さすがに第五ステージ、山岳コースではかなり早い段階でリクイガスは誰もいなくなりました。しかしクレーデン

、あのパリ~ニース総合優勝は前世紀のことだったんですね。その後ウルリッヒ

と離れた後は、どこかのエースになると思われたのですがねえ。目尻のしわなど目立ち、ずいぶん老けました。
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今日はとても良い始まりだった。よく眠れたし、階段を上っても足もほとんど痛くなかった。これだけでも良い兆候なんだ。スタートは11時55分。ちょっとアップダウンのある202キロが待っていた。ステージのハイライトはラスト20キロにある第2カテゴリーの山だった。
最初の二日もそうだったように、先頭グループはとても速く、ラスト12キロまで逃げていた。ほとんどのチームは長いこと様子見で、最後の山に勝負をかけていた。
予期したとおり、スピードはとても上がって、ぼくは一体なんでみんなこんなに狂ったように走らなけりゃならないだ?って自問していた。もう駄目だ、これ以上速く走れないって思った瞬間、二人の選手がアタックした。こんな状況で、こんなことをした一人はトーマ・ヴォクレール

だった。ぼくらのチームは今日はサガン

で勝ちに行くつもりだったから、これはまずかった。
その直後に無線を通じて指令が来た。「ネルツ、前へあがれ、ヴォクレールを捕まえろ!」幸いなことに心拍数はまだ200まで上がってなかった。そこで先頭に出るために下りで命をかけ、ひたすら前へ、前へ、前へって思いながら走った。
むちゃくちゃ苦しい速くハードな数キロの後、ぼくらはなんとか逃げた二人を吸収し、スプリントに持ち込むことに成功した。そうしたら見事にパンク、ぼくは後ろの方でスプリントの様子を見ていた。
まあ、200人近い大集団が、ロータリーやブラインドコーナーがあるせまい市内に入ればどうなるか。時速60キロ以上のスピードでドカーンって音がして、その真ん中にウチのチームのかわいそうなペーテル【サガン】が倒れてた。ぼくの見たところでは体中の皮膚の40%がすりむけてた。
スプリンターじゃなくて良かったってちょっと思ったよ。それとハイノ(ハウスラー)

にもひと言言わなくちゃ。だって、いつも「ハウスラーはまたほんの少しのところで勝てなかった」って書かれているからね。でも、すべてのステージで常に3位以内って尋常じゃないことだよね。
また明日。
ドミニク
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最後のパンクと言っているのは、タイヤじゃなくて自分の体力のことかもしれません。揚げ足取るつもりはないけど、第2ステージのハウスラーは4位ですね 笑)
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