
説ブログで何度か書いたように、若い頃、遠藤周作が大好きでした。「死海のほとり」とか「イエスの生涯」「キリストの誕生」なんかは、くりかえし(と言っても2回 笑)読みました。
「沈黙」についても映画と絡めてここで書いたことがありました。
その遠藤周作に「鉄の十字架」という小西行長の面従腹背をテーマにした本があって、そんなこともあって、今回この小説を読んでみたわけです。
関ヶ原で負けて刑死した小西行長の孫の小西マンショを中心に、キリシタンバテレンも取り締まる側の井上政重も、そのほか、ほぼ実在の人物を、物語の経緯はたぶん史実にかなり忠実に描いています。
で、やっぱり遠藤周作の影響が強いですね。というか遠藤オマージュの小説とも言えるかも。どこまで史実なのかわからないけど、信仰を捨てて念仏を唱えたとしても後で懺悔すれば許されるとか、信仰を捨てれば殺されない。なのに自分らが(。。。)信心を励ませば【信者たちは】殺される、というマンショの懊悩は遠藤周作のキリスト教だなぁ、と。
沢野忠庵(フェレイラ)がチョコっと出てくるのも、井上政重が、内心までは踏み込まない、形だけでいいと言うのも遠藤周作のオマージュだと思う。ただ、これって史実だとしたら、つまり、井上政重が本当にそう言ったという記録があるんだったら、どうしようものないけど。
ただ、「俺」という一人称が多用される会話の口調や、マンショが一瞬とはいえ井上政重を殺そうとするシーンなども、ちょっとどこか、漫画みたいな感じがします。このあたり、時代の違いもあるだろうけど、ちょっと軽い感じがします。(いや、漫画だからランクが低いなんていうつもりは全くありません。ただジャンルとして漫画と小説は違うと思うんだけどね。)
説ブログで以前にも書いたように、キリスト教の正統的な考えは、死ぬことなんか問題ではなく、天国へ行くことが最終目的なんだから、司祭が命が助かるために、とりあえず信仰を捨てろなんて言わないだろう。キリスト教の聖人聖者の伝説はみんな何があっても信仰を捨てずに殺されちゃうわけだし。。。
と、文句つけてるみたいですが、それなりに面白かったし、読んでいて楽しかったことは間違いなしです。特に遠藤周作なんか読んだことない、という人の方がおもしろく読めるかも??
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