以前、「ナチスに抗った障害者」という本を紹介したけど、この本はその続編と言っても良いと思う。
読んでいて、無名の人々の善意のエピソードに何度も目頭が熱くなった。その数十倍の悪意と、さらにその数百倍の無関心が満ち溢れたナチスドイツの密告社会のなかで、さらに後には爆弾が落ちてくる戦火の中で「市民的勇気」を発揮して、「自分にできる精一杯の」(p.152)行動をした人々を、本当に心の底から尊敬する。
この本によるとユダヤ人を匿うことに手を貸したドイツ人は少なくとも2万人はいたという。そのうち氏名がわかっている人は半数以下(p.144)。直接的に匿うことはしなかったとしても、ちょっとした親切や見て見ぬふりをするだけでも、かなりの勇気が必要だったことだろう。ユダヤ人にバターを提供したことで1年半の懲役刑を喰らった農夫もいたのである。
積極的にユダヤ人たちに隠れ家を提供した人はもちろん、自分の身分証明書を偽造身分証明書作成のために提供し、後に無くしたと役所に再発行してもらった人も、これはとてつもない勇気を必要としたことだろう。無論そういう人たちのエピソードはそのままシンドラーのリストみたいな映画にできそうである。でも僕が強く心打たれたのは、地下鉄で息子が空腹で泣き出した時に、そっとポケットに包装紙に包まれたサンドイッチを押し込み、涙ぐんだ目でそっと微笑んだ老婆(p.124)だった。
映画「名もなき生涯」の最後に出てきた「歴史に残らないような行為が世の中の善を作っていく。名もなき生涯を送り、今は訪れる人もない墓に眠る人々のお陰で、物事がさほど悪くはならないのだ」というジョージ・エリオットのメッセージを思い出した。
著者は最後にこう書く。「【社会が余裕を失い】追い詰められ、余裕を失うにつれて、(。。。)人びとは生き延びるために「多数者」の側にわが身を置こうとする。(。。。)ナチス・ドイツだけの特異な姿ではない。いつの時代にも、どの国や集団でも起こりうる事象なのだ」(p.275)
著者が言いたいことは一目瞭然だろう。今の時代だからこそ、多くの人たちに読んでほしいと思った。
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