普段から考えているんだね。そうでなければ、咄嗟の状況でここまで鮮やかに語れないだろう。いつもの街宣で顕正会という宗教団体の関係者からの質問に、山本はみごとな回答を見せる。こういうのを見ると本当にすごいと思う。
この動画の 1時間12分47秒から。
まず最初に統一教会を揶揄することから始め、「世界を救うため」と言う宗教に対して、「祈っているだけでは、もうどうにもならないんですよ。祈りだけで世界が変わると言うなら、こんな世の中になってません」と一括。
「その一方で祈りを忘れてしまったからこんな世の中になっているんだという切り口」も認めながら、「祈りでしか変えられない、心にある悪を追い出さなければどうにもならないというような教義でなんとかなってるんだったら、世界はとっくに平和になっている」
ここから山本太郎は心の問題から一気に「現実に向き合うこと」へ大転換。「悪霊のような悪政が目の前にあるんだから、これを倒しに行かなければダメ。悪政は祈ったって倒れない」と主張する。
山本太郎は宗教を否定しているわけではない。それは日蓮が700年前に言ったことによって救いがあった人たちがいるから繋いでこられたのだろうと認めながら、しかし700年前からずっと「祈りだったり教義ってもので社会が変わるんだったら、とっくに変わっているはずだ」と言う。
確かに祈ることも重要だろうが、それだけでは世の中は変わらない。今、社会は変えられるはずだが、それは祈ったり何かを布教することによって変えていくんじゃなくて、今、目の前にある人権の一つとしての参政権を駆使しながら変えていく時代なのだと。
「これだけ無茶苦茶な世の中になったら拠り所ってものは必要になってくると思うし、(何かを信じることで)救われたりバランス取れるんだったら、そんな素晴らしいものはないと思う。ただし行き過ぎたものでなければ。」
「今、この現実の社会の地獄を考えると、地獄はどこかって言ったら、来世(死後)じゃない、今のこの世が地獄なんだ、だからそれを変えるために私たちは生きているんだ、とそう思う。そして変える方法は政治しかない。」
突然の質問に対して、これまでもなんでもよく考えていて、それに的確な応答をしてきたけど、このやりとりなんかも、山本太郎の凄さをものすごく感じさせられた。日本中に実はあまたいる壺議員たちとは、政治家として、そして人間として、なにか一番おおもとにあるものが決定的に違うと思う。
そうなんだよね。映画「魂のゆくえ」を紹介した時にも書いたけど
http://tatsuya1956.blog48.fc2.com/blog-entry-3741.html、キリスト教であれば、神の意思が今の世の中を作っているのだ、だからそれに逆らってはいけないと言えてしまうし、仏教だって世の中の無常を悟ることをめざしたり、来世に期待したりして、現実へのコミットを拒否させてしまうところがあるんだろう。
山本自身はカトリック教徒だと聞いたことがあるが、この点をはっきり切り分けて、政治の話に信仰を持ち込まない。信仰に基づいたら、偏りが出てしまうだろう。山本太郎の語ることは破綻がない。
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