
遠い昔、まだ学生の頃、アイヴァン・モリスの「高貴なる敗北」で大塩平八郎のことを読んで、なんとなく革命家のはしりのような印象を持っていた。
その後、森鴎外の大塩平八郎を読んだけど、話は前日から始まっていて、それまでの大塩の義憤が今ひとつ伝わらず、しかも乱が終わってから、参加者たちが次々死んだり捕まっていく中、大塩本人はひと月以上も知り合いのところに匿ってもらって逃げ続けるのが、どうにもいさぎよくない!という印象だった。
他にも大塩の乱の結果として、「救民」を目指しながら大火事を起こして「窮民」を生んだなんて言われているし、関わった人たち(特に匿ってくれた商人一家)が過酷な刑罰に処せられたこともあって、なんとなく印象は悪かった。
こんな時代だし、フランスやイスラエルでは大きなデモが起きているし、ということで 笑)この「大塩平八郎の乱」、図書館で見つけて読んでみたけど、ちょっと学術的すぎて、予備的なイメージがほぼない私にはレベル高すぎだった 笑) まあ、司馬遼太郎みたいなのを期待してはいけません 苦笑)
乱の前に大塩はいろんな根回しをしていた。蔵書を売っぱらって窮民一万人に金を配ったり、猟師や被差別部落の人たちにも金を渡したり、飢饉の中で餓死していく人たちを救おうとしない豪商たちを非難する檄文をまいたりしていた。それなのに、実際の乱が起きた時に参加したのは最大200人程度だったという話を読むと、白土三平の「カムイ伝」の世界はやっぱり漫画の中だけだったんだねぇ、と思わざるを得ない。
ただ、大塩が死んだ後、大塩様と称して人々から崇め奉られるのは、「カムイ伝二部」にあった人々の首謀者たちを祀る踊りを思わせるところもあるかなぁ。。。庶民とは(無論わたしを含め)情けないものです 苦笑)
大塩平八郎は半日で潰えた乱の後、一月以上隠れしていたわけだけど、この本ではその理由は、大塩が、自分が江戸に送った老中たちの不正を告発する建議書に対する回答を待っていたからだという。ただ、「江戸を撃つことなしに根本的な解決はない」(p.242)という結尾の文章だけど、江戸へ宛てた「建議書」が「江戸を撃つ」ことに直結しない気もした。
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