女子と男子、最後の激坂まで似たような展開で、一人逃げてうしろで、女子は二人、男子は5人が追走という展開でした。女子は追走二人が同じチーム、男子も5人の中に、今をときめくユンボ・ヴィスマの二人がいるということでしたが、結果は全く違いました。
女子はハーバードを出たフォークナーが捕まり、去年優勝のコペッキィとフォレリングの同チーム同士のスプリントで、アシストしていると思われたフォレリングが後ろからコペッキィを差して優勝。思わず
1963年の世界選手権で、ベルギーの大エース、リック・ファン・ローイを差して優勝してしまったベノニ・ベヘイトのことを連想したりしましたが。
今の男子のレースではまずやりませんね。たぶん、契約時に決まってるんじゃないのかなぁ? このあたり、選手に聞いてみたいところです。ただ、追走中フォレリングがずっと引きっぱなしだったわけじゃなかったですから、アシストとエースという役割分担は男子ほどきちんと決まってなかったのかな? わかりません 笑)
一方の男子。後ろでユンボが二人いて、途中8秒差まで追いついてきたので、これはティーシ・べノートかな?と思ったんですがね。そこから牽制が始まっちゃったようで、狭い降り道のせいもあったのか、あっという間に差が開いてしまいました。
ゴール後のユンボのもう一人、ハンガリー人のアッチラ・ヴァルターは、ベノートと同じレースを走ったことがあまりなかったので、意思の疎通という点で自分に欠けているものがあったと反省してます。また6位になったマテイ・モホリッチもヴァルターが引っ張って追いつくだろうと思っていた、と言ってますね。
さて、ボーラはと見ると、コンラートとヴラソフがMVDPのグループでゴール。コロナ明けの初レースだったケムナはちょっと遅れて28位ゴールでした。
ケムナの話「ボーラはジャリ道区間でかなり不利な状況になったので、ちょっと追いかけなければならなかった。最後にそれがボディーブローみたいになった。僕自身は第6セクター手前でパンクして、そのあとはずっと一人で走って第7セクター手前でやっと追いつけたけど、そのあとは集団の後ろにしかいられなかった。結局それで精一杯だったんだ。調子はいいと思う。だからそのうち運も結果もついてくるさ。」
このあと、ケムナはティレノ〜アドリアティコへでますね。パリ〜ニースのほうはシャハマンが出るようです。ま、こっちはポガチャル対ヴィンゲゴールで盛り上がるんでしょうけど。
よければ、下の各ボタンをポチッとお願いします(まあ、大した意味ないですので、ポチッとしなくても構いません。おまじないみたいなもんです 笑)

にほんブログ村
- 関連記事
-
スポンサーサイト
trackbackURL:http://tatsuya1956.blog48.fc2.com/tb.php/4572-e526d4a3