ゴール20キロ前でキャンセルになりました。この時点では3人がまだ逃げていたようですがね。上の YouTube で見るとヴィンゲゴールが審判カーにかなり詰め寄ってますね。最後までレースをやりたかったのかな?
雪といえば、2013年のツィオレクがカッさらったミラノ〜サンレモ(
拙ブログではデーゲンコルプのブログで紹介しました)も、途中でニュートラルになって、選手たちはチプレッサ峠をバスで越えて降りてからレース再開なんていうことをしていました。あの時は
キャップの鍔が凍結して氷柱が下がってましたからね。
YouTube にはいろいろありますが、雪でニュートラルになるところがありました。
雪といえばこれも拙ブログでは何度か書いた1988年のジロ・ディ・イタリアのガヴィア峠。
デルガドの講演会でも質問がでて、あんな寒い日のレースは生涯で2回しかなかった、対策なんて当時は何もしなかった、なんて言ってました。
この時代は、選手はタイツやレッグウォーマーして走ってはいけなかったんですよね。腕カバーや長そではOKだったんだけど。
1980年のリエージュ・バストーニュ・リエージュも雪の中のレースで、まあ、この時代は結構選手の人権が蔑ろにされていた時代で、ときどき強行日程に選手たちがストで対抗していたりしていましたが 笑)
ここで優勝したイノーはのちのインタビューで、この時どっちかの薬指が凍傷になって今でも感覚がないんだと言ってました。
まあお茶の間でぬくぬくテレビ観戦の身としては、雪の中のレース、もっとやれ〜!という気持ちもありますが。。。笑)
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