
昔、それこそ半世紀前に読んだアシモフのSFに、「宇宙の小石」っていう、60歳になったら安楽死させられる未来を舞台にした話があったけど、それを本気で面白おかしくTVで子供相手に言っちゃう大学教員が出てくるような世の中になるとはね。。。
僕なんかは
以前よく引用したニーメラー牧師の詩を連想しちゃうけどね。最初は老人、次はきっと障害者だろうな、その次はLGBTQかな? そして役に立たないとみなされた人たちが最後に来るのかな。でも、そう言う社会になったら、そこで終わらないだろうなぁ。新たに差別できる対象を探してくるんだろうね。
というわけで、ロシアのウクライナ侵略とコロナパンデミックの最中に行われた対談。だけど残念なのは、本の発行日から見て、この対談は安倍銃撃事件の、おそらく、直前に行われたということだ。この二人が、あの後の政界の統一教会汚染についてどんな話をしたかを想像すると、この点がホントに残念。
もっとも、こんな標題をつけちゃうから、切腹しろ、とか言い出すやつも出てくるんだろうけどね 苦笑)
それはともかく、この本、いろいろ面白い話が次々に出てくるんだけど、池田の過激さを養老がうまく受け流しているような雰囲気がある。だから、圧倒的に面白いのは池田の発言だ。
特に、みんな自分の人生にせよ、何かしら意味をつけたがるが、「世の中、意味のないことの方が多いし、なくて構わないのに、「意味という病」に侵されているんだな」(p.140)と言って、「この形質にはこういう意味がある」という論文は書けるけど、「この形質にはなんの意味もない」という論文は学会誌に載せてもらえないと言う。
当然意味があることだけが大切になれば、意味がなければ(役に立たなければ)消してしまえ、というところにつながるだろう。そしてそのちょうど正反対のところにあるのが、山本太郎がよく言う「生きているだけで価値があるんだ」という世界観なんだと思う。あらためて、山本太郎があらがおうとしているものがはっきりした。
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