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宣伝 「ブッツァーティのジロ帯同記」

2036.01.08.11:42

名称未設定 2


イタリア人作家ディノ・ブッツァーティの小説的ドキュメンタリーを、いつものように未知谷さんに本にしていただきました。
1949年のジロ・ディ・イタリアはファウスト・コッピが無茶苦茶強くて、ライバルのジノ・バルタリがムチャ強くて、ほかの選手たちだって強かったのでした。そして戦火の跡がまだ生々しいイタリア各地の人々の熱狂ぶりもすごいです。
著者のブッツァーティは代表作「タタール人の砂漠」や短編集がいくつか文庫本になっている、イタリアのカフカと呼ばれている作家ですが、そのスタイルはこの帯同記でも発揮されていて、どこか現実の世界ではないような、へんなユーモアのような、深刻なような、不思議な雰囲気があります。海外のジロやコッピの本にはよく引用されていて、英独仏西語に訳されています。
1949年のジロについては YouTube に全19ステージ中14ステージの記録映像があります。ここに埋め込むと最初のステージで止まってしまうようなので、今回はリンクしておきます。リンク先でクリックすれば続けて全部見られるはずです。各ステージほぼ1分弱ですし、当時の映像ですから雰囲気の参考程度に 笑)

https://www.youtube.com/playlist?list=PLK1QYHf4OvhMls2dGQ2uPhJLQRWU0wjnO
観客の数だと今の方が多いかもしれませんね。ただ、当時は外国から見にくるファンはいなかったでしょうし、戦争が終わってまだ4年ですからね。それを考えれば、特にドロミテやアルプスの観客の数にはびっくりです。
過去拙ブログで書いたコッピとバルタリのエントリーもリンクしておきます。
コッピ関係

1952年のツールを古雑誌で(1)
1952年のツールを古雑誌で(2)
1952年のツールを古雑誌で(3)
1952年のツールを古雑誌で(4)
1952年のツールを古雑誌で(5)最終回
バルタリ関係
バルタリのこと
故バルタリに名誉の称号
バルタリ(つづき)
バルタリ、イスラエル名誉市民に
さらに、以前出したオランダのベンヨ・マソの「俺たちはみんな神さまだった」は、この本の前年1948年のツール・ド・フランスでのバルタリの活躍を描いたものですので、この本と一緒に読んでいただけると、訳者としては大変に嬉しいです。


2023年5月29日追記。
日本イタリア会館というところの会館紙に評が載ったのでリンクしておきます。
http://italiakaikan.jp/culture/publish/img/Corrente391.pdf#page=4
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comment

アンコウ
CYPRESS さん、

詳しいコメントをありがとうございます。20世紀の自転車の本にはバルタリは大害コッピの引き立て役で、憎まれ役でしたね。バルタリの変質的、狂信的な面を強調して、バルタリの悪口を書いている雑誌記事を読んだこともあります。最後のシャニーのニューサイの記事なんかが影響していたのかもしれませんね。

ただこのブッツァーティも序文のマラビーニも、コッピよりバルタリを応援していますね。当時のイタリアでは大変な人気だったんでしょう。「メモワール」のオジャンドルもそうだけど、フランス人はバルタリのことあまりよく言わないような気がします 笑)

どうもありがとうございました。
2023.02.19 10:42
CYPRESS
面白いねぇ(^^♪。

70年以上前からこういう文を書けるとは、自転車界全体のレベルが某国とは比べようがない。
今やかの国が世界に挑戦し誇れるのはシマノだけですなぁ…(溜息)。

「弱○ペダル」や近藤○恵の小説程度の子供騙ししかないからなぁ…(溜息)。

「沈黙は最大の罵倒である」と言ってたのは開高健で、
だから某国の事情はこれ以上は書かぬ(笑)。



さて、さて、
ブッツァーティの本で良かったのは、

「22 本日のイゾアール峠に関する最高裁判決 クネオ、6月9日夜」
「23 アルプスでバルタリは強すぎるコッピに敗れる ピネローネ、6月10日夜」

レース展開故か、ここまではブッツァーティはかなり冷静に言葉を紡ぎだしていたけど、
この2章は行間から興奮が仄かに漂い出していますな。
かなりの自転車好きとお見受けした、ブッツァーティ氏。

更に良かったのは、
最後
「25 自転車のおとぎ話よ、それは決して色あせることはない ミラノ、6月13日」
のp,197からp、198にかけての段落。

「だが今、このおとぎ話が終わる。
(中略)
人生とはそういうものだ」

こういう表現を文才と言うんでしょう。
感情に流されることなく、冷徹に事物を観察しありのままに認め、言葉を選び文章にする。
自身は何もせず、事物に語らせる。
この段落にはしびれた、やられた(笑)。
特に最初と最後の言葉がいい(^^♪。
見るスポーツの本質を見抜いている。
そう、ジロもワールドカップもそんなもんです。


まぁ、ギリシア神話を引用出来る素養があるブッツァーティだから、
これ位書けて当然か(笑)。
頭の中に文字通りレクシコンがあったな(笑)。

ヘミングウェイは1920年代にパリに滞在して、自転車競技の虜になったけど、結局書かなかった。
自転車用語がフランス語だから書かなかったと本人は言っていたけど、
本当かなぁ?
ブッツァーティと違い、自転車競技を表現出来るほどの文才と言葉選びが出来なかったんじゃない?



素晴らしい本には間違いなし。
けど、やはり人は不完全で「?」がどこかにあるもの。

まず、
p、21「自転車のクローム部品が煌めいた」
「部品のクロームメッキ」(または「クロームメッキを掛けた部品」)が煌めいたでしょう。
「クローム」の使い方はイタリア語も英語と同じでは?

次に、
時々出て来る「背中の痛み」
これは「腰の痛み」の方が近いのでは?

3番目
「ティフォージ」
tifosi、イタリア語で「チフス患者」の意でそれから転じ、(イタリアの)「熱狂的なファン」。
この説明があった方が良かったのでは?
どうも日本語の「ファン」だとティフォジのルビがついていても、いまいちイタリアのファンの熱狂が伝わりにくい。
日本のファンが衛星放送や雑誌で知っていれば、問題無しですが。
個人的にはイギリスのロードレース誌を読むまで知らなかった(^^;)。



とても良い本なので一読者からのお礼としてバルタリの事を一つ。
敬虔なカトリック教徒として有名ですが、事が自転車レースになると豹変。

ニューサイ誌にピエール・シャニーが書き下ろし連載した"Le Peloton du Cyclisme"第7回、ツールの第4話から。
1951年のツール。
エクス・レ・バンとジュネーブのタイムトライアル区間

「このコースの途中でコブレが何分か先にスタートしたバルタリに追いついた時、暑さは頂点に達し、アスファルトは溶けてベトベトしていた。私はその時そこに居たのだがかって見た事もない様な光景を目の前にした。ユーゴ・コブレはペダルを踏むのを少し緩めると疲れたイタリアのチャンピオン、バルタリに近づいて水筒を差し出した。丁度それから一ヶ月前、イタリアのロードで同じ様に気○的な太陽の下でバルタリはコブレに水を一口やるのを拒んだのである。その時、二人の男は一緒にアブルッツェ山脈の峠を上っていたのだがバルタリが水筒から水を飲んだ時喉がかわいたコブレが彼に水を呉れと頼んだのだ。イタリア人は水筒を差し出す様な振りをしたが、スイス人が手を伸ばした時、彼は冷たく笑いながら水筒を逆にして地面に水を空けてしまった。コブレは恨みを長い間覚えている様な性質ではなかったがユーモアのセンスがあったのだ。」


くどいけど(笑)、もう一度。
いい本です。
内容もいいだけでなく、翻訳も大変宜しい(^^♪。
ちゃんと日本語になっている(^^♪。
本棚に一冊入れておきたい本です(^^♪。
2023.02.19 00:07

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プロフィール

アンコウ

アンコウ
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あんけ・たつや。欧州ロードレースに興味を持ってすでに30年以上。主にドイツ人選手を応援。特に青田刈りにいそしむ。歳にも関わらず、あらゆる点ですごいミーハー。そのほか好きなものは、読書、音楽はバッハと友川カズキ、北方ルネサンス絵画、映画、阪神タイガース(村山、江夏以来ですが、強すぎないこと希望、弱すぎはもっと困るが)。北欧の社会民主主義に対する憧れ強し。家族構成は連れ合いと娘三人。

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