
正月はこんな本を拾い読みしてました 笑)昭和の時代の詩人で、現代詩人らしい暗さと連想の飛躍 笑) ただ、辻まことの書いた解説にこんな文句がありました。
「観念のハシゴにつかまって身を支え、晦渋な思弁で立ってみせる幼児性は彼にはほとんどない。四つんばいになって世界の方へどんどん関与していく」
連想したのは年末年始のれいわ新選組代表の方の山本太郎のボランティア活動。「四つんばいになって世界の方へどんどん関与していく」姿。

昨日のれいわの代表記者会見でも質問されていたけど、毎年年末年始にはこうした活動は「自分の中の恒例になっている」そうだ。これを売名だとか言う人もいるんだろうけど、まあ、そういう人は僕に言わせれば、心がかなり腐ってる。
その後の回答の端々からもわかるが、こうしたホームレスをはじめ生活困窮者に対する活動は年季が入っていて、かなり深くコミットしていなければ言えないような具体的な例が挙げられている。(
YouTube に動画が挙げられていますので、興味があればどうぞ)
言いたい人には言わせておけば良い。売名で結構、ただし、何のために名前を売っているのか? 私腹を肥やすためではない、世の中を良くするためだ。困っている人を助けたいという思いだ。
3年前の参議院選で、重度障害者の木村英子に立候補を打診した時、木村は山本太郎に、「障害者を利用しているって言われるんじゃないか」と心配したら、山本太郎は即座に「いいじゃないですか、利用してやりましょうよ」と答えたそうだ。また、ポピュリズムだと批判された時にも、「ポピュリズム上等」と言ったこともある。
これらはすべて、自分のためではない。困っている人を助けたいという彼の強い思いからだ。普通なら、つまり、目的が自分のためなら、売名行為や障害者を利用しているとか、ポピュリズムなどという文言は鋭い批判の言葉になるだろうけど、山本太郎はそんなものとは無縁だ。似たような言い方で山本太郎を批判する人も多いが、この点を見落としていると思う。
さて、最初の詩人の山本太郎を語った辻まことの言葉に戻ります。右だの左だのいうイデオロギーに関与せず、困っている人を助けたいという分かりやすい(けど、新自由主義の世の中ではだいぶ前から偽善だと罵られている)強い思いに駆られた、れいわ新選組代表の山本太郎にも
「観念のハシゴにつかまって身を支え、晦渋な思弁で立ってみせる幼児性は彼にはほとんどない。四つんばいになって世界の方へどんどん関与していく」
という文章が当てはまるんじゃないでしょうか? え?牽強付会? 笑)
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