調べると1984年から89年まで行われてますね。基本男子のコースの途中からゴールまで、男子がスタートするより前にスタートという、いわば前座レースみたいな設定だったようです。90年以後も名称を変えて、時期やコースも変更して行われていたようです。しかし、選手が泊まるホテルが劣悪だったり、ゴール後の選手の扱いが酷かったり(観客から丸見えのところで着替えさせられた)、しかもツール商標権を持つASOから名称でいちゃもんつけられたり、嫌がらせをうけたり 笑)しながら、類似の女子レースはとびとびで行われたりしたようですが、今年本格的に女性版ツール・ド・フランスとして再出発となったようです。
1980年代の雑誌ではシャンゼリゼでのポディウムシーンで、男女の各賞のマイヨを着た選手たちが表彰される写真を見たことがあるな、とおもって、古い雑誌を探してみたら、いくらか見つかりましたので、ご紹介。
1984年、第1回の勝者はアメリカ人だったんですね。そのせいか、本家フランスのミロワール誌にも、表彰台の写真とキャプションでの名前紹介だけで、レースについてはリザルトも含めて紹介されていません。

1985年になると、優勝はイタリアのマリア・カニンスで、2位のフランスのジャンニ・ロンゴとデッドヒートを繰り広げたので、かなりのページを使って紹介されています。表彰台のカニンスが見開きで出てます。

日本の雑誌自転車競技マガジンでも扱われていました。

ちなみにチームは国別対抗、中国も参加して、下の左の写真の選手は総合8位に入ってます。ただ、リザルトを見ると、タイムでの順位ではなくポイント制みたいです。詳しく読めば出てるんでしょうけど、それは勘弁 苦笑)

第3回の1986年もカニンスが総合優勝し、ロンゴはまたまた2位。この年はリザルトはタイム差になっていますが、カニンスは2位のロンゴに15分半の大差をつけてますね。

この時のカニンスはすでに37歳、この翌年の立川で行われたスーパークリテリウムで、ただ一人女子選手として来日し、男子選手たちがレースをしている間、ときどき自転車に乗ってデモンストレーションをしてましたね。たしか最終種目の個人TTでは最初に走っていたような朧げな記憶があります。
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立川のスーパークリテリウムについては拙ブログで10年以上前に数回に渡り書きましたので、興味がある方はこちらへどうぞ。
懐かしのスーパークリテリウム87 サイン会篇懐かしのスーパークリテリウム87 当日篇その1懐かしのスーパークリテリウム87 当日篇その2懐かしのスーパークリテリウム87 当日篇その3懐かしのスーパークリテリウム87 最終回*
さて、87年、ついに待ちに待ったジャンニ・ロンゴがカニンスを破っての優勝の年になります。この年の結果は3分弱の差でした。中盤からはカニンスとロンゴが1分以内の差で鍔迫り合いしていたんですが、全15ステージ中の第13ステージの山岳ステージで、ロンゴが一気に3分弱の差をつけてステージ優勝し、そのままシャンゼリゼに辿り着いたのでした。ミロワール誌では写真入り6ページに渡り、ロンゴのインタビューが掲載されています。

この後88年以降はミロワールを間違って捨ててしまうという大惨事にあったため 笑)不明ですが、ロンゴがこの後3連覇しているので、ミロワール誌には載っていたんだろうと思われます。しかし、ロンゴが強すぎで勝負の面白さがなくなってしまったのかもしれませんね。ロンゴ3連覇の89年を最後にツールと銘打った女子選手のレースは終わってしまったのでした。
しかし今回再開されたレース、やっぱり女子選手全般のレベルが上がっているのでしょうね。見てると面白いですね。ただ見た目がみんな小柄で華奢なので、落車だけは勘弁してほしいんだけど、男子並みによく転びますねぇ。コース設定が最後の二日間でドカンとひっくり返りそうな設定だけど、来年以降はもう少し中盤に山を移動させて、最後はTTを入れて欲しいかな。
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