いや、日本も核武装しようと言い出している維新とかって、絶対本気で言ってないよね。だって、普通に考えて、日本が核武装できるはずがないもん。日本国内以上に、国際的に見て、前にも書いたように日本は核拡散禁止条約というやつを批准しているし、他にもさまざまな国際条約で、日本の核武装なんてできるはずないし、もし、そうした条約を全て反故にして強行突破なんかしたらとんでも無いことになる。
安倍とか維新の橋下(!)が核シェアなんて言い出したけど、これもあちこちで完全に否定されてて、そもそも核シェアなんてしたって、その核を使う権利は日本にはほぼない。EUでやっているという人は、その核シェアがどういうものかよく調べてみよう。核シェアって言ったって、その核は飛行機に積んで落とす爆弾で、弾道ミサイルじゃない。さらに、その核を使う権利は自国が侵略された場合に自国領土内に落とすケースに限られているんだそうだ。こんな事態ってあり得ないだろう。
例えば日本のどこかが侵略してきた他国に占領された時に、そこに核爆弾を落とすかぁ?? そもそも、もし核ミサイルなんてシェアして日本がどこでも勝手に撃てるようになったら、アメリカだって怖いよね。そんなの許すはずない。核武装や核シェアの話に一瞬でも頷いた人は、すこし頭を冷やそう。維新の連中は議論が必要なんて言い出したけど、できっこないものを、議論が必要なんて、普通の人はそんなものに時間を使うほど暇ではない。
ちょっと考えてみれば、日本が核兵器を持つことなど絶対にできないし、核シェアに何らかの意味があるとはとても思えない。そんなことよりも、昨日の山本太郎の国会質問にもあったように、原発のほうがよっぽど問題だろう。通常のミサイルが核爆弾の爆発力は起きないとしても、放射能を撒き散らす意味では核兵器と同等の影響力を持っている火薬庫を、日本各地に配置しているわけだからね。
「核武装など勇ましい声は聞こえてくるが、海沿いに林立する原発には関心薄いようなんですね。外部からの攻撃、南海トラフなどを考えれば、原発は全て廃炉にする以外ないんですよ。」(1分45秒ごろ)
まさか安倍や橋下が、核武装とか核シェアなど、できっこないことを知らないはずはない。それなのにそれを主張するのはなぜだろう?
今の世の中に、日本の社会に、そういう勇ましいことを喜ぶ人たちが多いからだろう。そういう人たちを喜ばせて、自分たちの人気を高めるとともに、世の中をさらに劣化させようというわけだ。劣化というのは、たとえば安倍的、石原慎太郎的、橋下維新的社会風潮だ。ザマアミロという低劣な感情を解放し、自分も抑圧されているのに、他の人間を叩いて快感を感じ、自分の苦痛の捌け口とする風潮だ。特に他人を叩くときに、なんらかの大義名分があれば呵責を感じなくて済む。
同時に、こうした社会の劣化は、人々の攻撃が必ず弱い方向へ向かう。権力に向かうことはない。権力者たちにはそれがわかっている。社会が劣化することで得する連中がいるってことだ。
自民や維新の言っていることややっていることを見れば、彼らが国民のために政治をしているわけではないことはすぐにわかる。なのに人々の怒りは彼らには向かわない。明らかに自民政権による失政の結果であるデフレも、格差社会も、コロナも(大阪では維新の失政の結果だ)、へたすりゃ戦争だって、人々はきっと自然災害でどうしようもないものだと思っているのではないか?
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