
先日1993年のパリ〜ルーベで、最後のゴールスプリントで8cm差というのをご紹介しましたが、今回はミリ単位の差です(昔のサイスポの記事では 2cm と書いてありますが、P.Sergent: A century of Paris-Roubaix に従います)。
エディ・プランカールトとカナダのスティーヴ・バウアー、それにエトヴィク・ヴァン・ホーイドンクの3人が逃げ続けてルーベのヴェロドロームに入ってきたところで追走してきたマルティアル・ガヤンと、プランカールトのチームメイトのジャン・マリー・ヴァンペルスが追いついて、ヴァンペルスがプランカールトのアシストとして前を引きます。うーん、どの選手も懐かしい名前です。
スプリントだけならプランカールトがスプリンターとして有名でしたが、最後尾につけたヴァン・ホーイドンクがバンクの上に上がって、そこから一気にアタック。バウアーがそれに反応、一テンポ遅れてプランカールトがそれを追い、最後はバウアーをさしたのでした。
でもこの差だと本人たちもわからなかったんでしょうね。どちらもガッツポーズはしません。上の横からの写真で見てもよくわかりませんね。手前がバウアーですが、やはり数ミリ差でしょうか。
この年はドイツ統一の年で、旧東ドイツのオラフ・ルートヴィヒ(16位)やヤン・シュール(25位)、ウーヴェ・アンプラー(30位)やポーランドの前年度アマチュアチャンピオンだったヨアヒム・ハルプチョク(14位)、同じポーランドのゼノン・ヤスクラ(DNF)や旧ソ連のドミトリ・コニチェフ(DNF)と、それまでは西側のプロレースに出られなかった選手たちも出場した年です。特にルートヴィヒは翌年から9位、2位、3位、4位と活躍しますが、現時点までで旧共産圏出身の選手の勝利はジョン・デーゲンコルプだけです。(デーゲも今住んでるのはフランクフルト近郊だから、旧共産圏というのはちょっと無理があるかなぁ。でも、生まれたのは89年1月、まだ東ドイツですね 笑)
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