1993年のパリ〜ルーベです。ベートーヴェンの7番の交響曲のBGMがなかなか合っています。
というわけで、フランコ・バッレリーニと前年度優勝のジルベール・デュクロ=ラサールのスプリントで、8cm差でデュクロ=ラサールが勝ったんですが、完全に自分が勝ったと思ったバッレリーニ、やっちゃいましたってやつです。これだけ盛大にガッツポーズしちゃったので、現場の場内放送でもバッレリーニが優勝!と流しちゃったそうですが。。。。
というわけで、ゴール後の落胆ぶりが尋常じゃないです。
「もう二度とパリ〜ルーベは走らない。いや、もう二度と自転車には乗らない。なんてこった。全てパーフェクトだったんだ。俺が一番強かったんだ。」(P.Sergent: A century of Paris-Roubaix による)
で、落胆した彼はもう二度と自転車に乗らない、どころかすぐに自転車に乗って1週間後のリエージュ・バストーニュ・リエージュに21位完走、3ヶ月後にはツールでステージ優勝した挙句、「もう二度と走らないと言っていたパリ〜ルーベで翌年も3位。さらに次の95年のパリ〜ルーベでは独走でついに優勝してます。さらに98年には2回目の優勝も果たし、3勝しているモゼールについでP~R複数回優勝のイタリア人となりました。
バッレリーニ、フォームが首が埋まったような肩を怒らせたフォームで、私としてはそれほど好きな選手ではなかったんですがね。この時はラスト30キロをデュクロ=ラサールと二人で逃げ、途中デュクロ=ラサールは自分は去年優勝しているし、今回はもうダメだとブラフを掛けたという話もあり、実際前を引く率はバッレリーニの方が多かったようで、そんなこんなでゴールスプリントも自信があったんでしょうね。
バッレリーニはその後世界選のイタリア代表チームの監督を務めてチポッリーニ、ベッティーニX2、バランと3人、4回の世界チャンピオンを生み出したんですが、2010年に40代半ばで、アマチュアの自動車ラリーの事故で亡くなってしまいました。合掌。
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