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1993年のパリ〜ルーベ

2022.01.10.15:14

1993年のパリ〜ルーベです。ベートーヴェンの7番の交響曲のBGMがなかなか合っています。



というわけで、フランコ・バッレリーニと前年度優勝のジルベール・デュクロ=ラサールのスプリントで、8cm差でデュクロ=ラサールが勝ったんですが、完全に自分が勝ったと思ったバッレリーニ、やっちゃいましたってやつです。これだけ盛大にガッツポーズしちゃったので、現場の場内放送でもバッレリーニが優勝!と流しちゃったそうですが。。。。

というわけで、ゴール後の落胆ぶりが尋常じゃないです。

「もう二度とパリ〜ルーベは走らない。いや、もう二度と自転車には乗らない。なんてこった。全てパーフェクトだったんだ。俺が一番強かったんだ。」(P.Sergent: A century of Paris-Roubaix による)

で、落胆した彼はもう二度と自転車に乗らない、どころかすぐに自転車に乗って1週間後のリエージュ・バストーニュ・リエージュに21位完走、3ヶ月後にはツールでステージ優勝した挙句、「もう二度と走らないと言っていたパリ〜ルーベで翌年も3位。さらに次の95年のパリ〜ルーベでは独走でついに優勝してます。さらに98年には2回目の優勝も果たし、3勝しているモゼールについでP~R複数回優勝のイタリア人となりました。

バッレリーニ、フォームが首が埋まったような肩を怒らせたフォームで、私としてはそれほど好きな選手ではなかったんですがね。この時はラスト30キロをデュクロ=ラサールと二人で逃げ、途中デュクロ=ラサールは自分は去年優勝しているし、今回はもうダメだとブラフを掛けたという話もあり、実際前を引く率はバッレリーニの方が多かったようで、そんなこんなでゴールスプリントも自信があったんでしょうね。

バッレリーニはその後世界選のイタリア代表チームの監督を務めてチポッリーニ、ベッティーニX2、バランと3人、4回の世界チャンピオンを生み出したんですが、2010年に40代半ばで、アマチュアの自動車ラリーの事故で亡くなってしまいました。合掌。


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アンコウ

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あんけ・たつや。欧州ロードレースに興味を持ってすでに30年以上。主にドイツ人選手を応援。特に青田刈りにいそしむ。歳にも関わらず、あらゆる点ですごいミーハー。そのほか好きなものは、読書、音楽はバッハと友川カズキ、北方ルネサンス絵画、映画、阪神タイガース(村山、江夏以来ですが、強すぎないこと希望、弱すぎはもっと困るが)。北欧の社会民主主義に対する憧れ強し。家族構成は連れ合いと娘三人。

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