
戦時中の中国大陸から沖縄へ連れてこられた朝鮮人従軍慰安婦の「わたし」と、現在の、従軍慰安婦の話を書くために沖縄へ取材にやってきた小説家志望の女性「私」の話。
「わたし」は朝鮮の貧しい家庭で、ほぼ騙されて17歳で従軍慰安婦にされ、日本の軍人や士官、将校たちに凌辱され続ける。それはこんなふうに衝撃的に描かれる。「わたしは、ただただ、穴、に、される」(p. 20) 仲間達とはぐれ、戦火の中を死体をふみわけて、家族を失った沖縄の老人に救われ、ガマに逃げ込み大火傷を負いながらもなんとか生き延びて。。。
一方の「私」は30歳の非正規雇用の独身女性で、恋人もなく、エリートの親からは早く結婚しろと言われ、ほぼ等閑視されている。ここまで何度か文学賞に作品を送り、そこそこ認められつつあったが、そもそもが彼女にとって、従軍慰安婦の知識は完全に付け焼き刃なのである。そんな彼女は最後にどんな境地に。。。
以前、震災後を描いた北条裕子の「美しい顔」の時にも思ったけど、やっぱり小説家ってなかなか普通の性格の人間にはできないな、と思う。この「翡翠色〜」でも、途中で沖縄戦の聞き取りをしている女性や、信頼できる友人からもこのテーマについて批判的な言葉を投げかけられるのは、やっぱりこういう理不尽極まりない事実を前にして、小説家のたじろぐ気持ちの言い訳なんだろうと思う。
小説は奇数の章が「わたし」、つまり朝鮮人従軍慰安婦の体験で、偶数の章が「私」の体験と交互に描かれて、最後に現在の「私」が「わたし」と間接的につながる。ここは感動的だった。
ただ、描かれているものの重さ、深刻さに対して、全体的に文章が短く軽い文体なのが気に入らない。現在の「私」の章はこんなふうな現代風のライトな文章でいいとおもうんだけど、朝鮮人慰安婦の「わたし」の章はもっと違う文体にしてほしかったと思った。
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