
今月末の衆院選挙、色々な所で、さすがに自民は少し票をへらすが、一番躍進するのが維新ではないか、と予想されている。でも、維新のやり方って、公務員叩きが代表的だけど、敵を作ってざまあみろという、さもしく恥ずかしい感情を煽って人気を取ろうとするトンデモ政党で、欧州なら極右ポピュリズム政党とみなされるはずだと思う。
こういう反社的政党が人気を得る理由は、
拙ブログで何度も書いたけど、この本を読んでさらに納得いくところがあった。
人類の歴史はほぼ20万年前ごろから始まったが、この20万年間の95%は平等主義的だったそうだ。これは日本の歴史でも、1万年以上(100世紀だよ!)続いた縄文時代の狩猟採集時代は平和で争いごとの少なかった時代だが、弥生に入り農耕の時代になるとともに、不平等な、持つものと持たざる者、支配するものと支配されるものの時代になったということが言われている。
そう考えると、人の心に限れば、歴史って人類の発展上昇の経緯を示すものではなく、堕落へ向かって流れているんじゃないかという気もしてくる。
「不平等が拡大すれば、(。。。)人々は互いによそよそしくなり、思いやりの気持ちも少なくなる。すきがあれば他人を引き摺り下ろそうとさえする。」(p.98)
この本では格差が人々の心をいかに壊すかが、多くの文献をもとに示されると共に、そのような不平等な弱肉強食のあり方が、いかに間違ったあり方であるかも説得力を持って示される。
不平等な社会になれば人々は他人の不幸を自己責任という言葉で切り捨て、社会をよくしようとなどと思わなくなる。当然政治などまともに興味を持つことはない。心置きなく叩けて、叩き返される可能性がないものをみんなで叩きまくり、そこに快感を見出す。格差によって心は壊される。
つまり格差(不平等)社会になれば人々は様々な面で劣化する。劣化すれば他人の不幸を「自己責任」と突き放し、叩けるものを「ざまあみろ」と叩きまくる。自己責任とザマアミロは最初に書いたように維新のやり方と被る。劣化した人たちが維新に票を入れるのもムベなるかな。
しかも「自己責任」とか「ざまあみろ」とか「今だけ金だけ自分だけ」というさもしい感情を、新自由主義というやつが後ろだけになって、お墨付きを与えたわけだ。今回の選挙では自民党の岸田ですら、一瞬だけだったけど新自由主義からの脱却なんて言ったりしてた。
この本の最後の方では、企業のシステムとしていかに格差をなくす方向へ向かうべきかが、ドイツの従業員経営参加制度などを例に述べられ、「経済を民主化する」(p.414)とともに、それでしか持続可能な未来はないというところに辿り着く。
つまりこの本の題名は格差は「心」を壊す、だけど、壊れるのは心だけでなく、社会も環境も地球も壊れるわけだ。
たぶんこのまま「自己責任」と「ざまあみろ」の社会が続けば、人類は遅かれ早かれ滅ぶな。そんな気がしている。
400ページのヴォリュームで、たくさん援用される資料の部分は読みやすくないけど、おすすめです。
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