以前にも書いたことがありますが、20代後半か30代初め、夏休み中に岩手県を自転車でツーリングしたことがありました。そのとき花巻空港のそばの主要道路が車が多かったので迂回したら、偶然羅須地人協会の前を通過し、軒先にカタカナで「下ノ畑ニ居リマス 賢治」という黒板?がぶら下げられているのが見えました。そのまま先に進むと宮沢賢治記念館の案内が見え、せっかくだから寄って行こうと思ったら、急勾配の山の上にあって結構ヒーコラ言いながら登った記憶があります。
文学少年でしたから 笑)宮沢賢治は小学校の学級文庫で銀河鉄道の夜や注文の多い料理店なんかを読んだりしてましたが、実際にきちんと文庫本で読んだのはもう少し後だっただろうと思います。その時詩集の「春と修羅」も読んだけど、記憶に残ったのは「永訣の朝」ぐらいです。でも、その中の「あめゆじゆとてちてけんじゃ」というリフレインは覚えていました。もっとも今回のこの本を読むと、「あめゆじゅ」と読むようです。「あめゆじゆ」の方が5音になって語呂が良さそうですがね。
また、40年近く昔、井上ひさしの「イーハトーボの劇列車」という演劇がTVで放映されたのを見たことがあります。その時宮沢賢治の父親役は
佐藤慶。大好きな俳優でした。本箱の奥をゴソゴソやったら本が出てきました。TV放送に感動して買ったのでした。


上の写真の右が佐藤慶の父、左は賢治役の矢崎滋。
なので、この宮沢賢治の父親の立場に立った小説、読みながら主役の父親は姿も声も佐藤慶でした 笑)
賢治と父の葛藤は有名です。ただ、家業の質屋が嫌で、父に反発して父の信じる浄土真宗に対して、当てつけのように日蓮宗を信奉するという父親側の視点からの賢治は新鮮でした。通常は、賢治の側から、金持ちで人々からも尊敬され、なんでも頭ごなしのウザい父親と見られていたような気がします。また、なにより賢治のことを考え続け、思い続け、悩みながら譲歩し続けた父親の姿に、3年前に他界した私の父のことをいろいろ考えました。その点だけでも読んで良かったと言えます。
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