
イタリア映画。70代の父母と暮らすダウン症の30代の娘ダフネ。母が突然死んでしまい、母の故郷の村で葬式を上げて街に戻り、それまでの生活を続けていこうとするが、父の落ち込み方は尋常ではない。そこで娘は父に、徒歩で母のお墓参りをしようと提案する。
うーん、ダウンシンドロームの人が重要な役割を担った映画って、ベルギー映画の「8日目」とか、アメリカ映画の「チョコレート・ドーナッツ」とか、あるいは日本でも松田聖子が母親役でやったTVドラマが10年以上前にあった。どれも感動的だったけど、僕はむちゃくちゃ不満も感じた。どうして最後はダウンの主役はみんな死ぬことになってしまうんだろう?? 特に「チョコレート・ドーナッツ」はむちゃくちゃ感動的で、ゲイのカップル、黒人弁護士、障害児と差別されるものたちの抵抗が描かれているのに、最後はみんなが後悔することで終わる。
だからその意味でこの「わたしはダフネ」はずっと好感が持てる。主人公ダフネを取り巻く人たちがみんなダフネに自然に接する。ダフネのスーパーの同僚たち、父と泊まる宿屋の老夫妻、山岳警備兵?の二人組、みんな、ちょっとちょっと、と言いたいぐらいダフネに対して普通の女性に対するように接する。宿屋の夫の方に至ってはダフネの手を取り恭しくキスする。
だから、ダフネの方でも自然に、そしてチャーミングに自己主張する。病院で母の死を知らされ看護婦が鎮静剤を与えようとする。「なんの薬?」「涙を止める薬」「いらないわ、私は泣きたいの!」なんてやりとりに泣かされる。
秋のトスカーナ地方の曇天の自然の中を歩く父とダウンの娘って、きっとやろうと思えばもっと泣かせる映画だってつくれたんだろうけどね。母の死も含め、変に情緒的な煽り方をしない点はうれしい 笑) いわゆる喪失と再生の物語だけど、ラストの「再生」の象徴は、一瞬ポカン、そしてしばらくしてグッとくる。
何度か書いたように、私の次女はダウン症だから、切り替えの速さや、頑固さ、褒められてついニコニコしながら下を向く仕草など、いろんなところでアルアルがあって笑った。
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