
明日までというので強引に 笑)渋谷のユーロスペースで見てきました。
東西ドイツ統一後、旧東ドイツでの国家保安局、いわゆるシュタージという組織のやってきたことにより、東ドイツの人々は疑心暗鬼に囚われました。さまざまなTVドキュメンタリーなどでも知られているように、このシュタージという組織は、東ドイツで反体制的な人間をスパイし、一般の人々にも密告を奨励したということで、ドイツはナチスの時代のゲシュタポと東ドイツのシュタージと二つの悪名高い公安組織を生み出した国とみなされています。
というわけで、今日渋谷のユーロスペースで見てきた「グンダーマン」という映画、1970年台から東ドイツで活躍したシンガー・ソングライターのゲルハルト・グンダーマンという人を描いたものでした。むろん、僕はこの人のことを知りませんでしたが、生まれたのが僕より1年前で、20世紀末に40代前半で死んでいます。 Gundermann で YouTube で検索すれば、当時の歌がたくさんヒットします。
この人、おそらくミュージシャンとしてプロ活動ができたはずなのに、炭鉱の掘削機のドライバーとしての仕事をし続けたんですね。つまりプロレタリアートであることをやめなかったわけ。筋金入りの共産主義者だった。だからこそ、なんでしょうけど、シュタージのスパイとして自分の周囲の人間の動向を当局に伝えていたのでした。
先日の
「ハイゼ家 百年」でもシュタージのことは出てきたけど、なにかかなり恐ろしい組織で、人の弱みに漬け込んでスパイにして密告させていたという印象があったけど、この映画を見るとそうしたイメージとはちょっと違います。この主人公グンダーマンの場合は、共産主義の理想を信じていて、国家に協力することがその理想を実現するために役に立つのだと信じていたのでした。グンダーマンは党のお偉方に対して労働者の立場から耳の痛いことを言うし、自らの理想を国家の現実に対して合わせようとはしません。「国家」に、あるいは「現実」に妥協しないわけ。だからドイツ統一後に、シュタージに協力したことも、単純に自己否定できないのでしょう。
これって単純に善悪を言える問題ではないですね。ナチスの時代のアイヒマンの「凡庸な悪」やオウム事件を連想しますが、信じたことが嘘だった時、その信じたと言うことの純粋さを自分で否定できるのかな、と思ったりします。
映画はドイツ統一後のシュタージのスパイだったことを友人たちに告白しなければならないシーンから始まり、1970年台から80年代と統一以後とが行ったり来たりして、最初の方ではとてもわかりづらかったです。途中で眼鏡で時代を見分けられることがわかって、すこし話がわかってきましたが 笑)特に奥さんになる女性が最初は髭面の男のパートナーで、あれ?この人誰?状態になりました 笑)
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