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1952年のツールを古雑誌で(5)最終回

2021.02.18.13:10

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But et Club. Le Miroir des Sports の7月18日号です。表紙は総合トップのコッピ、二位のオケルス、そして後ろにロビックです。

今日は18ステージから。バニエール・ド・ビゴールからポーまでの149キロの山岳コースですが、ここで勝ったのもコッピでした。

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ピレネーでも勝者はコッピというわけで、ピレネーを自分のテリトリーとしていたロビックとしては悔しくてたまらなかったことでしょう。上の大きな写真はトゥルマレ峠へ向かう途中の村、サン・マリー・ド・カンパンを行く先頭集団です。この村はツール黎明期の伝説の村ですね。1913年、トゥルマレ峠でフォークを折ってしまった総合トップのユジェーヌ・クリストフがこの村までトボトボと歩いてきて鍛冶屋で道具を借りて自力でフォークの溶接をして走り続けたという、ホントかあ??という逸話が残っています。

右の写真は無論コッピで、キャプションではトゥルマレ峠の頂上4キロ前でアタックするともう誰もついてこれず、淡々としたペースでハンドルの上を持って走り続けたと。したの小さいのはそのコッピを必死で追うオケルスとカレアで、ロビックはすでに千切れているようです。

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上の表題はマイヨ・ジョーヌが灰色のオービスク峠を突き進むみたいな意味のようですが、写真はトゥルマレ峠の頂上を通過するオケルスとカレアで、さらに100メートルぐらい後ろにロビックとジェラベールが見えています。

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こちらがトゥルマレ峠(左)と霧のオービスク峠を単独先頭通過するコッピです。

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このままコッピが独走で優勝するかと思っていると、残り15キロで追走グループのルイス(総合3位)、オケルス(総合2位)、ロビック、ボーヴァンに吸収されます(上)。散々一人で逃げ続けてきたので、現代の常識ではもうここまでですけど、この時代はそうではないんですね。

アタック合戦に乗じてコッピが残り3キロでアタック。単独でゴールです(真ん中右)。下は2位争いで、オケルス(左)とロビックの小柄な二人の猛烈なスプリント。

19ステージはポー〜ボルドーの平地195キロ。ここではオランダ人のハンス・デッケルスという選手が逃げ切り優勝。続く20ステージはボルドからリモージュへの平地228キロで、こちらはフランス人のジャック・ヴィヴィエという選手が同じく僅差の逃げ切り優勝となりました。

このステージではこんな写真も掲載されています。
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これ今やったら全員失格ですね。でも80年代のレースシーンでは、審判まで遮断機を持ち上げるのを手伝ってるシーンがありました 笑)

そして21ステージ。リモージュからピュイ・ド・ドームへの上りゴールの245キロ。ピュイ・ド・ドームは史上最高のツールと言われる64年のアンクティルとプリドールの一騎打ちで知られる山で、九十九折で登っていくのではなく、螺旋階段のように、山の周りをぐるっと回って登っていくんですね。(アンクティル対プリドールについてはかつて書いたので詳しくはそちらで。)

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表題はピュイ・ド・ドームでのコッピのジャンプ前の小競り合いみたいな意味でしょうか? 右下はゴールまで50キロの時点で逃げる3人。左からバルタリ、ジェミニアニ、そしてプロ入りしたての12ステージの勝者オランダのノルテンです。

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こちらはピュイ・ド・ドームの登り口での3人。三者三様のスタイルで登って行きます。

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こちらもピュイ・ド・ドームの戦い。上の写真が逃げる3人で、このちょっと後に、写真では一番辛そうに見えるノルテンが二人を切り離し単独で逃げて行きます。

中段の三枚は後ろで追いかけるコッピ、オケルス、ロビックの姿。しかし写真にはないんですが、コッピがここからアタックしてバルタリとジェミニアニに追いこし、ノルテンに追いつくとそのまま後ろで体力温存。ゴール400メートル前でアタックして、ゴールではノルテンに10秒差をつけて優勝(下)しました。

これには後日談があって、翌日のステージでコッピがわざわざノルテンのところにやってきて、最後にツキイチで前に出なかったことを詫びたそうです。同時に、ノルテンの将来性を称揚していつかチャンピオンになるだろうと言ったそうです。

しかし、その後のヤン・ノルテンはツールとジロでステージ優勝を1回ずつ挙げただけでした。この雑誌でも将来コーブレットのようになるだろうと書かれていますが、事故や怪我で才能を発揮できなかったようです。フーゴー・コーブレットについてはこちら

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さて、52年のツールを取り上げる最後の号は7月21日号です。表紙は表彰式でのコッピ。肩からかけているのが優勝者へ与えられるタスキですね 笑)

その前に第22ステージはクレルモン・フェランからヴィシーまでの63キロのTTステージでした。このステージは途中経過を見ると、フィオレンツォ・マーニとスタン・オケルスのかなり激しい鍔迫り合いだったようで、ラスト20キロの途中の通過タイムは常にこの両者が互いに2秒とか3秒の差でトップタイムを出し合っていますが、ゴールでは結局2秒差でマーニが優勝です。コッピは休息日 笑)で3分遅れの14位でした。

そして最終ステージ。23ステージはヴィシーからパリまで。距離はなんと最終日にして354キロって、これ何やねん? 嫌がらせ? 完走した選手へのご褒美でしょうか 苦笑) レースは結局15人ぐらいの集団が80キロ地点から逃げて、280キロ近く逃げ続けてスプリントとなり、フランス人のアントナン・ロランという選手が優勝でした。

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これは表彰式前後のコッピの百面相。表紙の写真もこのシリーズの一つでしょう。

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こちらは表彰式と凱旋周回の様子ですね。当時は最終日はパリのパルク・ド・プランスという自転車競技場がゴールになっています。

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こちらは総合2位のスタン・オケルスと3位のベルナルド・ルイス。まあコッピがオケルスに28分差をつけてぶっちぎっちゃったので、2位や3位は影薄いです。ちなみに4位はジーノ・バルタリ、5位に大口叩きのジャン・ロビック、6位に第三の男フィオレンツォ・マーニとなってます。

というわけで5回に渡って1952年のツール・ド・フランスをBut et Club. Le Miroir des Sportsというスポーツ専門写真週刊誌を元に見てきました。最後までお付き合いくださった方にお礼申し上げます。この週刊誌はまだまだたくさんあるので私としても見切れてないし、少しずつ今回のような形でまとめておきたいと思っていますが、果たしていつになることやら。。。何しろフランス語はね、自動翻訳と辞書とで格闘しなけりゃならないので 苦笑)


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アンコウ

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あんけ・たつや。欧州ロードレースに興味を持ってすでに30年以上。主にドイツ人選手を応援。特に青田刈りにいそしむ。歳にも関わらず、あらゆる点ですごいミーハー。そのほか好きなものは、読書、音楽はバッハと友川カズキ、北方ルネサンス絵画、映画、阪神タイガース(村山、江夏以来ですが、強すぎないこと希望、弱すぎはもっと困るが)。北欧の社会民主主義に対する憧れ強し。家族構成は連れ合いと娘三人。

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