拙ブログでも何度も取り上げた相模原のやまゆり園障害者大量虐殺事件を題材にした小説。何しろ辺見庸だからね、容赦がない。辺見庸は
以前南京事件を扱った「1937」について書いたことがあるので、そちらもどうぞ。
この小説の語り手は重度重複障害で寝たきりの「かたまり」として存在する男女も年齢も不明の「きーちゃん」。目も見えなければ手足も動かすことができず、時々身体が激痛に襲われるけど、思うことはできる。そのきーちゃんを施設で介護する「さとくん」が、ほぼ現実の相模原事件の犯人をなぞっている。ややネトウヨ的なところもあるが善良で真面目な好青年だ。実在の犯人と同様、世の中をよくするためにはどうすればいいのかを考え、同時に人間とはなんであるかを考え、人間の形をしていても人間ではないものは抹殺すべしとの思いに至る。そしてここにきーちゃんの分身とされる「あかぎあかえ」が幻想のように時空をこえて(?)縦横無尽に現れて「さとくん」と議論し、「さとくん」の暴走も止めようとするのだが。。。
人間は「ある」だけでいいのだと言えるか? 小説の中に頻出するカゲロウのイメージが「この世に存在するだけ」という意味を考えさせる。現代の日本人は「さとくん」の主張に対して、正面から答える(反論する)ことができるだろうか?
現代社会にはおぞましいほど「優生思想」がはびこり、普通の人はそれにほとんど気がつかないか、気がついてもスルーする。役に立つか立たないか、生産性があるかないか、経済効率で考えてプラスマイナスどっちなのか、そんな基準で優劣をつけてはいけないはずである。だけど、その「いけないのだ!」という確信の根拠を言葉にできるだろうか? これをみんなが真剣に考えれば、たとえ答えが出なくとも(むしろ安易に答えを出す必要なんかないと思う)、社会は変わると思う。
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