
古いミロワールの話題です。69年4、5月号の表紙はヴァルター・ホーデフロートという選手です。20世紀からのファンなら、あのビヤルネ・リースやヤン・ウルリッヒのチーム・テレコムの監督だと思い浮かぶでしょうか?
何しろ69年はメルクスの全盛時代で、毎年のように年間50勝しちゃうようなとんでもない選手と一緒にレースを戦わなくちゃならないなんて、まあお気の毒ですわなぁ。そんな中にもメルクスをやっつけた選手が何人か、名前を残します。ヴァルター・ホーデフロートもそうしたうちの一人です。
69年のメルクスは
前に書いたようにツール・ド・フランス初出場で六冠王 笑)でしたが、五大モニュメントもミラノ〜サンレモとツール・ド・フランドル(ロンデ・ファン・フラーンデレン)、リエージュ・バストーニュ・リエージュの三つで優勝、パリ〜ルーベは2位(ジロ・デ・ロンバルディアは不出走)という成績ですからね。今ではちょっと考えられないですねぇ。
そんな中でパリ~ルーベでメルクスを破ったのがこのホーデフロートでした。写真の自転車のサイズからも分かるように、比較的小柄なスプリンターでプロのキャリアはぼほメルクスとかぶっていますが、プロ15年間で163勝してますね。日本人としてはアマチュア時代の64年の東京オリンピックのロードの銅メダリストだという点が重要かな 笑)あ、モニュメントには4勝してます。それから、ツールの最終ステージがシャンゼリゼになったのは75年からなんですが、その映えある第一回シャンゼリゼの優勝者でもあります。やっぱりロードレースの歴史に名を残す選手の一人でしょう。
さて、ページを開くとメルクスやジモンディがいたにもかかわらず、ホーデフロートが凱旋!というキャプションとともに単独で逃げる写真です。

左のページではフランスの人気者プリドールがリタイアするのと、最終的にトップ5が出る逃げ集団の様子が写ってます。この集団もホーデフロートのアタックででき、この集団から単独アタックを決めて勝利するわけです。調子も良かったしモチベーションも高かったのでしょう。
表紙のカラー写真でもわかりますがバーコン使ってますね。この人の他のレースでの写真を見るとノーマルなダブルレバーなので、これはパリ〜ルーベに特化した仕様ですね。
ホーデフロートは独走で2位のメルクスらに2分39秒の大差をつけてゴール。追走集団には他にもジモンディ(1965年優勝)とデ・フラーミンク(4回優勝)がいて、このメンツで優勝は孫子の代まで誇れるでしょうね。
結果を見ると、メルクスはこの次のモニュメント、LBLでも優勝しますからもし仮にこのゴーデフロートがいなかったら、メルクスのモニュメント4連勝なんてとんでもないことになっていたところでした。

途中では雪の舞い散ることもあったようです。最近のパリ〜ルーベでは雪はおろか雨もほとんど降らないですね。

右はホーデフロートのゴールシーン、左は第二集団(2位争い)と第三集団(6位争い)のゴールシーンです。で、YouTube を検索するとありました。残念ながらちょっと上下に潰れ気味の画面と無音ですが、雰囲気は感じられますね。
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