
ルートヴィヒ・バウマンという死刑宣告を受けながら九死に一生をえた元脱走兵の復権に向けた活動を中心に、ヒトラー政権下で司法官を務めた裁判官たちの戦後の栄達ぶりと戦後ドイツのナチスに対する多くの人々の複雑な感情が書かれた本で、数年前に紹介した
同じ著者の「ヒトラーに抵抗した人々」や去年の暮れに読んだ
大島隆之の「独裁者ヒトラーの時代を生きる」ともつながり、個人的にはものすごく面白かった。うん、面白かったなんていう言葉は相応しくないな。読みながら何度も怒りを感じた。そしてなんとなくおぼろに感じていたものがつながった気分で、ものすごく勉強になった、と行ってもいいかもしれない。なので、今回は過去記事へのリンクばかりです 笑)
例えば、脱走兵は戦後になってもナチス時代の裁判判決に基づいて前科者扱いされ、一般ドイツ人たちからすら、彼らは犯罪者だと見なされていたとは考えてもみなかったことだった。何しろ第二次大戦中のドイツの軍法会議での死刑の数はほぼ2万人と驚くべき数字。一方アメリカは146人、イギリスに至っては40人だったという。(これも最近紹介した
「軍旗はためく下に」も軍法により死刑になった兵士たちのことで、
吉田裕の「日本軍兵士」とともに、日本軍はひでえと思ったけど、ドイツ軍もひでえもんだわ。)
何しろ不法国家のナチスドイツだ。徴兵拒否や脱走などで処刑された人たちは戦後は問答無用で復権しているのだとばかり思っていた。さらには徴兵拒否で死刑になった人たちは英雄扱いされているものだと思っていた。
テレンス・マリックの映画「名もなき生涯」がまさに徴兵拒否で死刑になった男の話だったが、これだって長年知られずにいたのを、主人公が妻に宛てた手紙が英訳されて知られるようになり、映画になったのだった。
一方で逃亡兵や、前線の兵士たちに無理やり「国防力破壊」の罪を言い渡して死刑判決を出した司法官たちは戦後になっても西ドイツの司法界や大学で栄達を遂げ、尊敬され、権威とみなされ、大往生をとげた。特にシュヴィンゲという戦後は大学教授として軍司法の権威となった奴は、写真見てもわかるでしょ!

こいつ絶対悪党だよ。それもインテリの悪党、一番たち悪い奴、間違いなし!って顔してます(人を外見で判断してはいけません 苦笑) いや、つい興奮して。。。汗)
例えば、
拙ブログで映画を紹介したゲオルク・エルザー、ヒトラー暗殺計画で処刑された彼の事件が正当に評価されたのは最近のことだった。同じく
「ヒトラーへの285枚の葉書」という映画になった
ハンス・ファラダの「ベルリンに一人死す」のハンペル夫妻のことだって、ファラダはこの小説を戦後すぐに書いたのに話題にはならず、最近英訳が出て大ヒットしたおかげで知られるようになった。
さらには1960年ごろに強制収容所の看守たちを裁いた裁判を描いた
「顔のないヒトラー たち」やその裁判の指揮をした
検事フリッツ・バウアーの業績が映画になったのも、やっと21世紀になってのことだ。
これまでの反ナチ抵抗運動として有名なのは軍人による
ワルキューレ作戦と、ミュンヘンの大学生たちによる「白バラ」だった。だけど、これによって、特に前者のドイツ国防軍のヒトラー暗殺未遂事件によって、ナチは悪かったが国防軍は悪くなかったという神話が出来上がったわけだ。そして「白バラ」の方も有名になりすぎたおかげで、他にもたくさんいた市井の反ナチ活動家たちが隠されてしまった面があったわけ。
先日紹介したばかりの盲人オットー・ヴァイトの抵抗だって、そして彼と関連があったローテ・カペレと呼ばれる普通の市民たちによる反ナチ活動だって、一般に知られるようになったのは最近のことだった。同時に国防軍が実は東部地域での一般人やユダヤ人の大量虐殺に関わっていたことも、やっぱり最近になってようやく知られるようになった。
「ジェネレーション・ウォー」でも国防軍兵士のトム・シリングは気弱ないじめられっ子の文学青年だったが、いつしか少女を正面から射殺するような虐殺者になっていく。また兄のフォルカー・ブルッフは脱走兵となる。こんな内容、おそらく西ドイツ時代には絶対に描けないストーリーだったのだろう。この本を読むとそれがよくわかる。でも惜しむらくは(ネタバレしちゃうけど)。トム・シリングは最後死んでしまうけど、実際は生き残って、当時のことにはほっかむりした元国防軍兵士がたくさん、その天寿を全うした。
ティモシー・スナイダーの「ブラッド・ランド」にもあった話だが、アウシュヴィッツがホロコーストの代名詞になってしまったけど、実は東部戦線では、アウシュヴィッツをはじめとした収容所で殺されたユダヤ人の数の3倍の数の人たち(主にユダヤ人)が殺されたそうだ。アウシュヴィッツはそうした、ドイツ人にとって「より不都合」な事実を押し留める堤防の役割を果たしたわけだ。
戦後のドイツは脱ナチ化を果たしたと思っていたが、対外的にはともかくドイツ国内ではとんでもなかった。東西ドイツが統一して関係者もどんどん鬼籍に入ってやっと真実が明かされるようになったわけだ。それは
障害者大量虐殺計画T4作戦に関連して、ドイツ精神医学会がやっと反省の弁を述べることができるようになったのに似ている。
追記(2021, 1,21, 12:50)
昨日書き忘れたので追加します。
主役のバウマンら脱走兵や徴兵忌避者が復権するに当たって、時間以上に重要だったのが歴史学者たちの研究が与えた影響だった。裁判の判決にもそうした学問的な成果が強く反映されている。それを著者は次のように言っている。
「戦後史、とりわけナチス支配の過去の清算に関わるドイツの政治が反ナチ運動の研究成果と密接な関係にあり、その研究の成果を受容して文化政策・歴史政策(具体的には歴史教育・政治教育)が作られてきた(。。。)これを言い換えると、それだけ人文系諸学が今なお現実政治においても重要な存在となっているということだ。それを支えるのは「知」を尊重する歴史的伝統と風土だろう。」(p. 252)
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