
この映画は30年以上昔、地上波の深夜に見ました。その後21世紀になり、長くDVDも出てないし、内容的にもTVでやることはないだろうなと思っていたんですが、地上波ではなかったけどCSで少し前に放映してくれました。
うーん、歳月とは恐ろしい。こんな低予算映画だったんだ。昔見たときは何しろ圧倒されて、その圧倒されたと言う記憶だけが強く印象に残っていて、細かいところなどあまり覚えていなかったんですが、今回見ると出演者も少ないし戦争のシーンはほとんど当時の記録写真やスチール写真の連続です。ただ、最後の左幸子の「お父ちゃんは天皇陛下に花をあげてもらうわけにはいかねえ」というセリフだけははっきり覚えていたんですけどね(ただ、もっと怒りに震えながらこのセリフを言うような記憶があったけど、今回見ると怒りより悲しみですね)。
多分映画を見た後に原作を読んだんだろうと思います。それもあって映画の印象が強まったんでしょう。いや、日本の反戦映画としてはトップクラスだと思いますよ、言うまでもなく。何より原作にはない左幸子の最後のセリフが、よくこんな映画撮れたなとびっくりしたものでした。
この映画と原作の関係は、ちょうど芥川の「藪の中」と黒沢の「羅生門」と似ています。シニカルな芥川が三者三様で曖昧なままにしたものを、ヒューマニストの黒沢は事実をはっきりさせてラストにつなげて、ほんのわずかな希望を感じさせながら終わらせたのに似て、「軍旗はためく下に」(原作は陸軍刑法によって死刑になった兵士たちを扱った中短編5篇の連作で、映画はそのうちの2篇を組み合わせています)も、多くの関係者がいろんなことを語りながら確かなことは何もわからないままの原作に対して、映画では事実がはっきりするとともに、関係した元憲兵が罪の意識から自殺同然の死に方をすることになります。

今回当時読んだ文庫本が出てきたのでパラパラと拾い読みしたんですが、原作では上層部のいい加減さに対して、赤紙一枚で戦場につれてこられ、地獄の中に放り込まれた一般国民の怒りが宙ぶらりんのままのような気がするのですが、大衆芸術たる映画ではそういうわけにはいかず、きっちりと結末をつけたんだな、と思ったりしました。ただ、結末はつけたけど、責任者を追い詰めることは全くできないまま、中間管理職のような憲兵だけに責任を押し付けたことに対する怒りが、ラストの左幸子のセリフに象徴されるのでしょう。
しかし、
最近も吉田裕の「日本軍兵士」という新書を紹介したけど、日本軍ってアメリカの物量に負けたというけど、それはそうなんだろうけど、同時に軍隊内部の無責任体質が大きかったような気がします。自分から進んで戦地に来たわけではない一般庶民を見殺しに、いや死ぬことを強要し、「敗戦になって、アメリカ軍に降伏した将官や佐官連中が、その後は自衛隊の幹部になったり政治家になったりしている」(講談社文庫版p.51)わけで、「ゆきゆきて神軍」の奥崎みたいな元兵士が日本ではどうしてもっと出てこなかったのでしょう。戦後の日本で、かつての上官に対する恨みによる殺人事件がもっとあってもよかったのに、と、日頃死刑制度反対と言っている身には恥ずかしいことですが、そんな怒りを感じるのでした。
ところで、最近も
拙ブログの「南京事件」を扱った本を紹介したエントリーにコメントしてきたネトウヨ氏がいました。それを見ていて感じたのは、戦争のリアルなイメージがまるでつかめていないということでした。そういう人には戦後に書かれた様々な小説を、少しは読めよ、と言いたい。
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