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最終日の逆転ジロ 1984

2020.10.28.22:43

最終日にゲーガン・ハートがヒンドリーを逆転したことで思い出された36年前のジロ・ディ・イタリア。この時も最終日がタイムトライアルでフランチェスコ・モゼールがローラン・フィニョンをひっくり返して総合優勝したのでした。

IMG_3870.jpg
当時のミロワール誌の表紙。フィニョンといえばポニーテール以前はこのバンダナですね。

この時のジロはコース設定からモゼールを勝たせるためのものでした。山岳コースが難度が低いだけではなく、そもそも少なく、途中の山場、ステルヴィオ越えのステージも直前で主催者がコース変更。フィニョンが逃げれば後ろではモゼールとは違うチームのイタリア人選手たちがモゼールのアシストか!という全力追走を見せるという、イタリア連合軍対フィニョンのルノーチームという図式。

それでも例年に比べ難易度の低いドロミテの最後から二つ目のステージでフィニョンがステージ優勝をしてやっとマリア・ローザを獲得します。が、フィニョンはゴール前20キロを過ぎてから補給を受けたと15秒のペナルティ。一方のモゼールは観客の「押し」があったと10秒のペナルティ。まあ、見ていたわけではないからわからないけど、モゼールは上りでかなり押してもらっていたようで、一方のフィニョンはかなり露骨な観客の邪魔を食らったそうです。このペナルティも最初はフィニョンだけに与えられ、抗議を受けて渋々モゼールのペナルティを追加したということですからね。

こうして迎えた最終日の42キロの個人TT。フィニョンのリードは1分31秒。対するモゼールはこの年の初めにアワーレコードでメルクスの記録を破って新記録を達成しています。その時に使った自転車がいわゆるファニーバイク。このジロの最終日でも同じディスクホイールのファニーで出走。一方のフィニョンはノーマルの自転車で、結局モゼールが2分半以上の差をつけて最終日にひっくり返したのでした。

ただ、この最後のTTも結構な曰く因縁付きですね。Jスポーツで栗村さんも話していたことがあるけど、上空を飛ぶヘリコプターによる露骨な追い風作戦・逆風作戦なんてのもあったらしいです 笑) まあ、かようについこの前まで 笑)自転車レースっていうのはローカル色豊かなおらが村、おらが町、おらが国の、勝てばいいんじゃ!というイベントだったということですね 笑)

ちなみに、この時ファニーバイクやディスクホイールという新機材を使うことを拒否したフィニョン、これから5年後のツールでも同じようにレモンが使ったスコットハンドルを使わずに、最終日にひっくり返されています。

以上、参考にした主なものは自転車競技マガジン 1984年8月号です。この号で記事を書いている人は中村一夫という人で、モゼール贔屓の描写では、ここで僕が書いたよりもずっと「すごい」ことが書いてありますが、かなり穏便にまとめてみました 笑)


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comment

Arturo
アンコウ様
  なるほど!。「それはない」、かと思っていたので意外でした!。何せ、御本人と直接話しをした経験は僅かに一回、時間換算で15分ほど、それが全てなので、推定年齢から逆算するしかなかった!?。しかしそんなもんかと思い、ちゃんと逆算すると、(ウイキによると、生年71年との事。84年当時は13歳で中学生となる!?すると有り得ない話じゃあない!?。確かに同じ年の時、メルクス、アンクティル、コッピ、と言う名前は知っていたなあ、、、こりゃ大いに訂正の余地アリだ!。失礼しました。)
 脱線ついでに、この時点で、僕はコントラアタック、と言う言葉の存在は知っていました。75年のニューサイの世界戦レポート記事の中で既にこのワードは登場してたので、、「~アタック、コントラアタックはいつ果てるともなく続いた。~」で(ましてや、後にああ言うキャリアを積む人であれば尚更各種知っていたとしても、、、、、状態に陥りました。)。
  と言う訳で訂正とお詫びをお願いします。(おみそれしました。状態!?失笑)
2020.10.29 19:58
アンコウ
Arturoさん、

やっぱり食いついた 笑) いや、栗村さんの鉄板ネタの一つですよ、ヘリコプターは。僕は多分複数回聞いてます。

彼は世代は若いけど、85年のNHKツール世代で、向こうの選手の動向に強い興味を持っていたそうです。どこかで当時の選手で好きだったのはクリケリオンとか、とポロッと言ってましたからね。
2020.10.29 17:40
Arturo
アンコウ様
  ここへ来て、又ヘリコプター事件関連ネタが出てくるとは想定外でした。なるほど、、、
あまりに有名と見えて(この言い回しは「何様だ!」状態ですが、、、しかし世代の違うと思われる、)栗村さんもご存知だった訳ですね。いかに有名か、、、ですが、、、まあ、(記憶が正しければ氏がポーランドに渡ったのは98年、パンターニ活躍の頃、と言う認識ですが、、、)まあ引退後のジャーナリスト活動の中で得た知識なのかも?一寸興味が沸きました。
  自競マは、当時読んでいなかったのですが、誰かから借りるなりして読んだ、おぼろげな記憶があります。確かにかなりヒドイ”被害”(但し誇張とは思わないですが、、あくまでフィニョンの被害についてヒドかった。)既述がなされていた記憶があります。翌年の記載でも、イノーが最後のTTの前に、スタート地、ヴィアレッジョで「私も”被害者”にはなりたくない。」と言うコメントを載せていたのも記憶してます。(見事2年連チャンのヘリコプター事件は回避)ある意味先進的な内容の雑誌だったのでは?とも思いました。
でもこんなオーガナイズやってたから、結局、昔書いた、商業主義を見事に取り入れて成功していくツールと対照的に、ジロは地盤沈下を起こし、その地位を失っていった。まあその点では自業自得とも言えますよね。(この辺の記載も自競マのどこかにあったような、、曰く、「ジロは、その価値がブエルタにも劣るとされていた。~」調。)

  後”イタリア押し”については、この時代は未だあったんですよね。アンクティルがジロに乗り込んだ時代は、「フランス人にとってジロを獲ると言うのは、ある意味ツールより難しいかもしれない。」その理由が、まさにこれ(国民一丸の”支援”)だった旨、なのはやっぱ昔のニューサイの例のシャニーの記事にも出てきましたね。(流石に現代では起こらない!?まあ生中継世界配信される時代だしね、、、もし現代でやったら、速攻で前述の地盤沈下!?)
2020.10.28 23:30

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アンコウ

アンコウ
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あんけ・たつや。欧州ロードレースに興味を持ってすでに30年以上。主にドイツ人選手を応援。特に青田刈りにいそしむ。歳にも関わらず、あらゆる点ですごいミーハー。そのほか好きなものは、読書、音楽はバッハと友川カズキ、北方ルネサンス絵画、映画、阪神タイガース(村山、江夏以来ですが、強すぎないこと希望、弱すぎはもっと困るが)。北欧の社会民主主義に対する憧れ強し。家族構成は連れ合いと娘三人。

* 時々コメントが迷惑コメントとしてゴミ箱に入れられることがあるようです。承認待ちが表示されない場合は、ご面倒でも書き直しをお願いします。2017年8月3日記す(22年3月2日更新)

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