
このところお気に入りのテレンス・マリックの映画です。新型ウィルスがなければ絶対
「名もなき生涯」をもう一度見に行ったはずなのに。。。
さて、この映画を嫌う人もきっと多いでしょうね。最初に思いついた言葉は「ひとりよがり」でした 笑)コマーシャルフィルムみたいというのもあるかもしれません。でも僕は好きです。映画で描かれているロマンスは個人のことではなく、もっと普遍的なものでしょう。美しい自然の中、悠久の時の流れの中、あるいは全てを統べる神の前で、人間なんていうものは。。。。といういつものマリック節とも言えます。この人の映画ってどれもそうですね 笑)
単純にストーリーらしきものを追えば、フランスで出会ったバツイチ子持ち女と男が愛し合い、モン・サン・ミシェルへ行き、さらに男の故郷のアメリカへ渡るも子供がフランスに帰りたがって一旦別れるけど、子供を元夫に預けた女は再びアメリカに戻る。双方それぞれ浮気したりしながら愛憎の揺れ動く中、女はラスト、アメリカの草原の中で冒頭のモン・サン・ミシェルを思い出す、とそんなストーリーでしょうか。ただし、非常に短いカットや、会話シーンでのジャンピングカットの多用で、ものすごい爽快感というかスピード感があります。カットの短さは尋常ではなく、多分どのカットも長くても10秒ないんじゃないでしょうか。こんな映画、見たことないですね。
逆に長い方なら見慣れてるんですが 笑)
そしてマリックの映画ではいつでもそうですが、風景が美しい。マジックアワーを使ってとても綺麗な映像を次々と繰り出します。アンドリュー・ワイエスの絵のような草原(「天国の日々」でもそうでした)もそうだしカンザスの家並み(
「ツリー・オブ・ライフ」でもそうでした)も、風の音や、アルヴォ・ペルトやヘンリク・グレツキの音楽とともに、見ていてとても心地よい気持ちにさせてくれます。
ちょっと思い出したのは「コヤニスカッツィ」でした。あれも次々と美しい風景が流れ、フィリップ・グラスの荘厳な、永遠とか神とか宇宙とか、そんなものを感じさせる音楽が特徴的な不思議なドキュメンタリー映画?でしたが、この映画でも美しい風景に女のモノローグがかぶり、説明が少なく会話らしい会話もなく、上に書いたストーリーなんて、本当はどうでもいいんでしょう。
中盤から後半にかけて二人の間にハビエル・バルデスが演じる神父が出てきます。この人、
「ノーカントリー」では天災のようなターミネーターのようなとんでもない殺し屋をやってたんですが、今回は神父です 笑) この神父に主人公の女が懺悔したり、危機的な関係にある男が助言を受けたりしますが、最後の方で、この神父のモノローグがグレツキの音楽にかぶり、刑務所や障害のある人たち、困窮者たちや死者に寄り添うシーンが出てきます。このシーンはグレツキの音楽のせいでしょうか、涙が出ました。思ったのは、あの神父は「ベルリン・天使の詩」の天使と同じなんですね。苦しむ人たちに対する思いは強く、自らも苦しまざるを得ない、できることはただ苦しむ人たちの肩に手を置くことぐらい。だけど、そこに神の偏在とでもいうのでしょうか、ものすごく高貴で美しいものを感じさせます。ストーリーの中ではなんのために出てきたのかよくわからないんですが、あの神父がいることで、この映画がより深いものになったと思います。
最後唐突に終わるとともに延々とバロックの典雅かつ悲壮感ある音楽(これが誰の何という曲なのかが分かりません、どなたかご存知ないですか?)の中をテロップが流れ、最後の最後に突然電車の音が遠くにします。あれは間違いなく、タルコフスキーの「ストーカー」のオマージュでしょう。そもそもがラストのあたり、延々とペルトやグレツキの音楽に合わせた映像は、必然的にタルコフスキーの「鏡」のラスト、延々とバッハのヨハネ受難曲の冒頭が流れ続けるシーンを思い出しました。多分間違いなく、監督はそれを意識していると思います。
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