Arturo
アンコウ様わはは、これはどうも失礼しました。すみません。そうと解っていたら、察知出来ていたら、投稿回避したかもしれませんが、まあ、ツール延期の件とかもあったので、つい投稿してしまいました。又しても浅慮な投稿とのそしりは避けられそうになく、深くお詫び申し上げます。(苦笑)
でも、フィニョンの件について補足すると、ご指摘の本の存在は認識していましたが、僕の場合この件はやはり以前、詳述投稿した記憶のある、フィニョンのドラマの中でのセリフで登場していました。病院の待合室での他の患者とのやり取りで登場したような、、、「私か?私はツールを二回獲った男だ。」調だったような、この時このドラマの中では珍しく、当時の本当の競技映像(凱旋門前の反転シーン等)が流用されたような、、、(先に詳述投稿した経緯があると申しましたが、ダブりでも敢えておさらいすると、このドラマは闘病者フィニョンがテーマのドラマで、選手のフィニョンはほとんど登場しない。但し、中継コメンテイター時代の流用映像はあったかも?!)
この待合室シーンは、他の順番待ち患者から「じゃあ84年のジロは?」と質問され、「あれは又別の話(要因)だ。」と返事して終わった記憶があります。(ヘリコプター事件については語らずにシーンは変わる。)ここは余談ですが、、、
まっ、このシーンを織り込んだ元ネタは、アンコウ様のご指摘の元ネタで同じかもしれませんが、、、
63年の件は、当時のタイムラグ沼さん記事でも、「先輩の腕を掴んだ事で~、結局選手としては大して成功せず、5年ほどで引退した。」調記事だった記憶があります。まあ、この記事の頃はユーチューブはおろかネット、ガラケーもポケベルも、衛星放送も何もない時代(未だFAXもない!?)なので、逆を言えばよく記事に出来たな、と感心すべきかも!?(こんな事、当時日本で知ってたのは沼さんだけ!?)
プリドールについても、もろ同感ですが敢えてこれに追加付記するなら、万年2位だけでなく、TTは弱い的なイメージも持たれてしまっているのが、不公平感その2ではないか?との感もありますね。
プリドールは決して弱かったのではなく、アンクティル(後のメルクスも)があまりに強すぎた、と言うのがありますね。こっちは、64年のベルサイユーパリの最後TTの決戦の件も、以前に書いた記憶があるので、その投稿参照して下さい!?(苦笑)