いやはや、自宅からなれないことをやらなければならず、結構な負担ですわ。やってみれば、きっと思うほど大変ではないのかもしれないけど。。。
昨日後半を紹介した、クリケリオンが優勝する87年のツール・デ・フランドル(ロンデ・ファン・フラーンデレン)の前半も面白いです。
すっかり忘れていたけど、この時のコッペンベルフは伝説になっているシーンがあったのでした。上のYouTubeで36分ぐらいからのコッペンベルフ、一人で逃げてきたイェスパー・スキビーがここで落車して審判車に自転車を踏んづけられてしまうんですね。このシーンは日本のTVでも放送されたことがありました。
次の年からかなり長い間、ここは危険すぎると言ってコースから外されてしまったのでした。今のコッペンベルフは道幅を広げ、勾配も少し緩くなっているそうです。
実際この年も後ろの方では落車で、例年通りのカーニバル状態。結局ここで前にいて落車せずに済んだ10人程度が先頭集団を形成して、その後三人ほどが後ろから追いつくけど、結果としてこの逃げが決まってしまったのでした。
しかし、踏んづけていった審判車、自転車踏んだだけでなく警備の警官?にもほとんどぶつかってますね。そしてその後も素知らぬ顔で立ち去って行きます。まあ審判ですから止まっちゃまずいんでしょうけど、マスコミ関係の車だったら翌年度から出入り禁止でしょうね。10年ぐらい前にフーヘルラントがプレスの車に吹っ飛ばされて鉄条網に引っかかってビリビリの血まみれになった時は、そのドライバーは出入り禁止になったんでしたけど、審判車だからねぇ 笑) タイミング的に後ろから追走集団が迫ってきたし、スキビーと集団の間にいるわけにはいかなかったんでしょうけどね。
さて、年代順に行くと、クリケリオンといえば88年の世界選なんですが、それは次回に回して、次の大きな勝利、89年のフレッシュ・ワロンヌをみてみましょう。

これは41分ぐらいのところ、七人ぐらいの先頭集団からロークスのアタックに乗ったクリケリオンが、最後の登り、有名なユイの壁で、ゴール前100メートル強というところでしょうか、ジリジリとロークスを引き離して勝つという堂々たる勝利でした。
僕はこのレース、当時、まだBSの放送もなかったか、ほぼ普及してなかった頃、朝のNHKのニュースで映像を見ています。7時前のニュースで、時々海外のスポーツを話題にしてたんですね。ツール・ド・フランスの期間は前日のステージの映像(ところが、この映像は実はかなり編集して別の日の映像などを混ぜていたことがのちにわかります 笑)なんかを、毎日ではなかったけど流してました。
その日、眠ボケまなこで、突然クリケリオンとロークス(前年の88年のツールで総合2位でした)が映る映像が流れ、呆然と見ていました。
しかしこの時代、ベルギーのレースはカスク着用が義務付けられていたけど、頭が軽そう。サングラスもしてない選手の方が多いから誰だかわかりやすいです。自転車もこの時代の方がフレームが華奢な感じで、好みもあるかもしれないけど、綺麗です。
というわけで、次回はいよいよ88年の曰く因縁つきの世界選手権をみてみましょう。
(後記 4月14日11時20分、YouTubeをリンクから貼ることができたので差し替えました。)
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