このところ昔の自転車雑誌の整理を少しずつしています。ミロワールはある事情から1980年代の最後の方を失くしてしまったのですが、それでも整理しだすとパラパラと中をチェックしたりして、あっという間に時間が過ぎていきますね 笑)
で、1985年前後の雑誌の表紙に頻繁に登場するのがショーン・ケリー。ウィニング誌やヴェロ誌だとこんな具合。

こちらは我らが 笑)自転車競技マガジン。ケリー、多いですね。

さすがにミロワールやビチスポルトになると自国の選手が多く、ケリーがミラノ〜サンレモに優勝した時のビチやルーベ優勝の時のミロワールに限られますね。

この人のことを網羅的に書くとなると本を一冊書かなければならない 笑)ので、ここではモニュメントと世界選についてだけ。
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ところで、1989年だったと思いますが、立川の昭和公園で2度目のスーパークリテリウムが開催されました。その時TV放送もあったんですが、解説の方はアマ車連の偉い人でしたが、解説で「このケリー選手っていうのはどういう選手なんでしょう?」と聞かれて、「ケリー選手は若手ですね、まだまだこれからの選手です」と堂々と言ってのけたりしてましたっけ 笑)この人の悪口はいっぱい言えます 笑)当時教育テレビでやっていたテレビスポーツ教室という番組で「自転車競技」の時に出てきて、下りの走り方は「車と同じです、だんだんシフトダウンしていくんです」と目が点になるようなことを言っちょりました 苦笑)
まあ、当時の日本のアマ車連の指向性がはっきり見えますね。ロードなんか興味ないんでしょう。この時代、日本のロードレース界は、海外へ出て行こうとしたらアマンダの千葉さんがバックアップしたチーム・ミチホとか個人で行くしかなかったんでしょう。
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さて、このケリー、
昨日のアドリ・ファン・デル・プールでも書いたように、5つのモニュメント(ミラノ~サンレモ、ロンデ・ファン・フラーンデレン、パリ~ルーベ、リエージュ~バストーニュ~リエージュ、イル・ロンバルディア)全制覇を惜しいところで逃しています。
モニュメントを全制覇したのはリック・ファン・ローイとメルクスとデ・フラーミンクの3人だけで、5つのうち4つまで取ってるのがやっぱり3人、フレット・デ・ブライネ(ウィキではフランス語読みしてデ・ブリュイヌと表記されてますね。オランダ語の正確な発音ではデ・ブロェイネが近そうですけど、Forvoで聞くとデ・ブライネと聞こえます)が、ロンバルディアが勝てず、ケリーがフランドルに勝てず、そして去年パリ〜ルーベを取ったフィリップ・ジルベールが、あとはミラノ〜サンレモを残しています。
ジルベールは現役だから、ひょっとしてひょっとしたら今年のミラノ〜サンレモを勝ったりするかもしれませんが(まあ、99%ないでしょうけど 苦笑)、デ・ブライネとケリーはそれぞれ勝てなかった一つで2位になっているという惜しさです。
この辺りは興味のある人はウィキペディアの「クラシック(ロードレース)」という項目にとてもわかりやすい表になって出ていますので、ぜひご覧になってください。
さて、デ・ブライネはさすがにもう60年以上前の選手なので、あまり詳しいことはわかりませんが、ショーン・ケリーの方は私が自転車に乗り始めた頃に全盛期でした。そのケリーが惜しくも2位になったフランドルの優勝者は、
昨日書いたように、今をときめくマチュー・ファン・デル・プールのお父さん、アドリでした。ケリーとのスプリントではほとんど勝ててなかったという印象なんですが、この時はケリーが強引なスプリントを仕掛けて大失敗。この映像は昨日の記事をご覧ください。
この失敗レースの1週間後のパリ〜ルーベではケリーが見事にアドリの早駆けを切り返して余裕で優勝してます。
ケリーは世界選手権でも惜しかったのがありました。89年のレモンの復活した年、少人数の逃げが決まってのゴールスプリント、全盛時代のケリーが最も得意としたパターン、しかも絶好のポジションでのスプリントでしたが、すでにスプリント力が落ちていたか、レモンとコニシェフに破れて3位止まりでした。
またクラシックスペシャリストに見られてますが、グランツールのブエルタで総合優勝しているし、ツールも総合トップ10が4回もありますからね。短いステージレースでは春先のパリ〜ニース七連覇なんていう記録も持ってます。
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