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1985年のパリ〜ルーベ

2020.01.11.21:51

FBで昔のレースのビデオの話になって、そういえば、ツール以外で初めて見たヨーロッパのレースは85年のパリ〜ルーベだったな、と思い出しました。当時所属していたホビーレースチームには有名な人が多く 笑)アメリカのTVで放送されたビデオを持っている人もいて、みんなで見たのでした。いや、びっくりしましたね。泥の中でパンク落車が相次ぎ、泥の石畳ではパンクで一度自転車を止めちゃうともう滑って走り出せない。選手の顔も泥で判別つかない。パリ〜ルーベっていうのは常にこんなレースなんだと思っていたけど、実はこの年のパリ〜ルーベってのが特殊だったのでした。

当時のミロワール誌です。表紙は無論優勝したマルク・マディオ。この選手いかにもフランス人っていう感じの悪党系二枚目でした 笑)
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(追記)マディオの顔が表紙になっているミロワールもありましたので貼っておきます。
IMG_3933_convert_20200113111009.jpg


同じアメリカのウィニング誌の表紙は、特集がモゼールだったこともあって、パリ〜ルーベのモゼールです。モゼールは第一次大戦まえのオクターヴ・ラピーズに次いで二人目のパリ〜ルーベ三連覇をしてます(現時点で二人だけ)。
IMG_3926_convert_20200111174006.jpg

中はミロワールはいかにもフランス! 笑)というか、とても洗練された切り取り方です。
IMG_3921_convert_20200111174155.jpg

一方のウィニングは泥人形のようなレモン。
IMG_3927_convert_20200111174109.jpg

YouTubeで探してみたらありました。まさに当時見た番組です。


マディオ、上半身を上下に揺すって、思いっきり重いギアを踏んでますね。全体的にみんな現在より上体が高くサドルの後ろに座っているという印象です。

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comment

アンコウ
CYPRESSさん、

詳しいコメントをありがとうございます。こういう昔の話を読むと、やっぱり今は各選手に対するチームの力が強くなっていて、練習も組織化されてしまって、戦術そのものもとてもシステマチックになって、選手の力がある程度均一化されて、選手が駒の一つになっているような印象が強いですね。

自転車に限らず、個人ではなくチームとして勝つということを最大の目標にすると、当然選手は一つの駒になっていくのでしょうけど、なんか寂しい気もします。それは来日したデルガドも言っていましたっけ。

昔に比べて選手はトレーニングの時間がずっと短くなっていて、その分強度が上がっている。マルテンスなんかのインタビューでも冬場のトレーニングは午前150キロ、午後150キロ走ると言っていますが、今では多分そんなことしないんでしょうね。休養の取り方も多分当時とは全く違うだろうと推測されます。

昔の方が面白かった、波乱があったし、選手の人間的な個性が出やすかったということもあるでしょうね。ただ、後戻りはもうできないんでしょうねぇ。。。
2020.01.12 11:09
CYPRESS
ミロワールの写真がいいのは、撮ったアンリ・ベッソンが芸術家の心を持っていたのと、編集者も絵心があったから。


さて、私のブログの記事を転載。


1:
「1985年」

私が初めてパリ~ルーベの動画を観たのは、え~と、アメリカで放送された1985年のレースを家庭用ビデオで録画したもの。
1986年のことだったと思います。
その時の優勝者がマルク・マディヨ(Marc Madiot)。
現役時代のインタビューは読んだことなかったんですが、引退後のインタビューは中々面白い。
この方、「その1」で書いた選手の出力等ではなく、精神的な事を話してます。

2:
「脚や自転車ではなく、頭だ」

いくつかのインタビューと記事をまとめると次の様になります。

 パリ~ルーベはロードレース創世期の特徴を残している唯一のレースだ。
 あの酷い路面のおかげで戦術を考えても、レースが始まれば無いのと同じだ。
 だから誰が勝つかどのレースよりもハッキリしている。
 一番強く、一番ツイテいる奴が勝つ。
 少なくとも、一番強く、一番運が悪くなかったのが勝つ。
 ルーベで勝つには運が必要で、だから調子のいい選手はパンクしない。
 こんな感じだから勝とうとすると縁起を担ぐようになる。
 10年間同じホテルへ泊まり、食堂の同じテーブルに着く。
 同じテーブルの同じ席に着くことまである。
 伝統と言うか、儀式になんだな。
 
 気持ちの持ち方や考え方が大切だ。
 
 俺にとってロードレースは神からのお召し、天職なんだ。
 神父になる人間みたに俺は昔からロード選手になるのが分かっていた。
 
 選手の体格は問題ではない。大切なのは苦手意識を持たずレースに集中する事。
 嫌だとか怖いとか思ってると石畳に集中出来なくなる。
 自ら進んで苦しもうとしなければ勝利へは近付けない。
 
 このレースの戦法は単純だ。
 前の選手の車輪に近付き過ぎるな。
 他のレースと違い横にいる選手にも近づくな。
 常に車間距離を保ち自分の前の選手のラインから目を離すな。
 
 他のレースでは最後の数㎞で体の奥深くから力を絞り出せと聞くことがあるが、
 ルーベとフランドルでは決して起きない。
 ルーベのベロドロームに着いた時、疲れ切っていなかったら、
 全力を出さなかった証拠。
 
  大事なのは、脚や自転車ではなく頭だ。
 
 
3:
「マディヨによるパリ~ルーベ優勝のための心得十ヶ条」

 1、ルーベへ向けての強化策を日課にしろ。そして続けろ。
 2、石畳の区間は全て調べる。アランベールの森から先だけでは不十分。
 3、天気を調べ、天候に合わせて機材を変える。
  (→例:インナーは追い風なら46tか47t。向かい風では45t)
 4:レース当日は最初に天気を調べ、必要なら装備、機材を全て替える。
  面倒がるな。
 5、精神的に苦しむ事に備えろ。優勝するためのカギになる。
 6、100%集中してなかったら、走らないで他の事をやれ。
 7、最初からルーベを好きになると思うな。初めて走った翌日、思ってた程ではないが好きになってるものだ。
 8、石畳を200m走ると、自分の調子が分かる。
 9、走る時は、周りの選手に近付き過ぎるな。先の事を考えて走れ。一人の選手でなく選手のラインに付いて行け。
  残り1㎞で思いかけず脚が残っていたなんて甘く考えるな。ルーベで無かったら、無い。
 10、運が自分に向くように祈れ。勝ちたいと思わなければ運は自分の方へやって来ない。


今は監督だから選手にこんな事教えて最高の状態にしてパリ~ルーベに出走せてるんです。

4:
「4勝」

今年2012年のパリ~ルーベはボーネンが勝ち通算4勝になり、ついにロジェ・ド・ヴラマンク(Roger De Vlaemink)の記録に並びました。
でもなぁ、今は選手の給料が上がり自分に向いたレースしか走らなくなった時代だから フランドルと石畳のクラッシクにしか勝ってないだよなぁ。
ツールの区間優勝とスプリント賞、世界戦も勝ってることは勝ってるけど、やはり、不満。

ランボルギーニとかフェラーリをロード選手でも買える時代だから選手もやわになるわい。

5:
「猛練習」

ボーネン(Tom Boonen)はプロ1年目の2002年にパリ~ルーベに出て2位になって騒がれましたが、
ヴラマンクはプロになった1969年、最初に出たレースがヘット・フォルク(Het Volk)でそのまま優勝。
水曜日にプロライセンスをもらい、日曜日にヘット・フォルクに出てそのまま優勝。
2週間後のガン・ヴェベルゲン(Ghent Wevelgem)では2位。
そしてベルギー選手権では、優勝。

こんな感じで今のところヴラマンクの方が私には遥かに印象的、魅力的。
そんなヴラマンクのインタビューと記事の中からパリ~ルーベに関する物をまとめると、

 心と体を鋭敏にしておく事、機材に気を配る、猛練習。
 これが重要な事だが、その中で何よりも重要なのが練習だ。
 春のクラシックレースに備えて冬の間中練習していた。
 天気が悪かろうが関係無い。
 デルニに引張ってもらうのもやった(→デルニは自転車にガソリンエンジンを付けた物。大昔の日本の本物の「原動機付き自転車」と同じ)
 時々レースまで走って行き、レースが終わってからも走って帰った。
 だから3月や4月のレースの日に1日で300㎞とか走った日もある。
 レースの帰りにデルニに引いてもらったこともある。
 
 レース前のスケジュールはこんな感じだ。
 1週間前の日曜日→レース
 月曜日→休養
 火曜日→休養
 水曜日→レース
 木曜日→休養
 金曜日→レースをすることもある。パリ~ルーベのスタート地点へ移動
 土曜日→午後に練習。気持ちをレースに向けられる。
 日曜日→レース当日
 
 最近の選手はレースの事をまず学んで知識を付けるとかよく言ってるが、優れた選手なら直ぐに勝てる。
 年齢は関係ない。
 現役時代はそう思っていた。
 
 シクロクロスの世界戦で、アマとプロで1回づつ優勝してるからか、
よくシクロクロスが役立っているかと聞かれる。
ある意味では役立っている。
自転車をコントロールするのが巧くなる。
自転車をジャンプするやり方を学べば、実際石畳を走る時に使える。
シクロクロスのチャンピオン全員がパリ~ルーベに優勝してるわけではない。
この事実から分かる通り、シクロクロスをやってるだけでは優勝出来ない。
優秀なロード選手になる方が重要だ。

石畳でスピードを上げる時はいつも体をかがめようとした。空気抵抗の対しても有利になる。
石畳の上では自転車を自分が行きたい方向に行かせるとき、自転車を軽く動かしてやる必要がある。
そのためにはハンドルを軽く握る事。
それ以外には俺は肘を曲げて衝撃を吸収し自転車を自分の下で跳ねさせていた。
 
 レース中は常にレースをコントロールしようとした。
 パリ~ルーベでは先頭にいる選手しか勝てず、勇敢な選手が有利だ。
 そのためには石畳区間でスピードを上げ攻撃しなければならいが、エネルギーを無駄に使ってはいけない。
 頭を使うのだ。
 常に走りやすい所を探す。
 荒れ具合がましな石畳、道路脇の盛り土、避難所みたいに木が生えている所なんかだ。
 
 自転車に関しては特別なものは使ってない。
 いつも使ってる物だ。
 ポジション、車輪、ギア比、全て同じ。
 モゼールみたいにバーテープを二重にすることもない。
 パリ~ルーベでも同じ感覚の自転車にしていたいからだ。
 
 ただタイヤだけは別だ。
 普通より太いタイアを数年間寝かせておいてゴムを硬くしてから使う。(クレメンの「パリ~ルーベ」だね)
 
 それと自転車はメカニックが調整した後、入念に自分でも調べる。
 
 おかげでパンクは14回走って、1回だけだ。
 
 後は、ケーキだな。
 ケーキは大好きでパリ~ルーベの前になると、長いレースで大量のエネルギーが必要だと絶好の言い訳が有ったから
 たらふく食べた。
 そのおかげか、パリ~ルーベで腹が減ったことが無い。
 
 パリ~ルーベで失敗したのは1976年だ。
 スプリントの自信を持ち過ぎ仕掛けるのが早過ぎ、マルク・ドメイヤーとフランチェスコ・モゼールに抜かれた。
 逃げの集団にいた時に働き過ぎたのは間違いない。
 あの頃は俺の全盛期だった。
 やる気は満々だったが、自身を持ち過ぎゴールスプリントで必要なエネルギーを使い果たしていた。
 
よく練習したのはメルクスも同じ。やはり地道な練習が重要なんですなぁ。

参考文献
CYCLE SPORT
ROGER DE VLAEMINCK  Kennedy Brothers刊
2020.01.12 00:22

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アンコウ

アンコウ
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あんけ・たつや。欧州ロードレースに興味を持ってすでに30年以上。主にドイツ人選手を応援。特に青田刈りにいそしむ。歳にも関わらず、あらゆる点ですごいミーハー。そのほか好きなものは、読書、音楽はバッハと友川カズキ、北方ルネサンス絵画、映画、阪神タイガース(村山、江夏以来ですが、強すぎないこと希望、弱すぎはもっと困るが)。北欧の社会民主主義に対する憧れ強し。家族構成は連れ合いと娘三人。

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