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牧内昇平「『れいわ現象』の正体」

2019.12.26.12:41

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著者は山本太郎を「『脱原発』ばかりいうタレント政治家、国会では「一人牛歩」など派手なパフォーマンスを好む」(p.24)人として良い印象を持っていなかったと言う。この本も「目的は特定の政党への支持を広げることではない。まして、「山本太郎というすばらしい政治家がいる」と喧伝したいのではない」(P.16)と断りつつ、れいわ現象の正体を一言で、「現代社会を覆う『生きづらさ』」であると言い切る。

著者の意図はともかく、見事に山本太郎の応援エールになっていることは間違いない。確かに「れいわ新選組」という名称に対する批判や、「デフレからインフレに切り替わるタイミングを正確に察知できるのか」(p.95)などという批判はある。生活保護を悪だと思わせるような言説を吐いた片山さつきに対するシュプレヒコールをやりすぎだという批判もある。だけど、こんなものは瑣末なことだ。

れいわと山本太郎は、「自己責任」などという言説のデタラメさや、命の上下を生産性で決めるなという、ごく当たり前のことを主張する(後ほど書く哲学者・森岡正博は1970年代の「青い芝の会」という障害者運動にその主張の源流を見ている。青い芝の会については拙ブログでも書いたことがあるので、リンクしておきます。よろしければどうぞ)。

この当たり前の主張は、21世紀に入り、公然と大声で主張することがはばかられるような社会になってしまった。何を甘いことを言っているんだ、生きることは競争なんだから弱い者が滅ぶのは生物の理(ことわり)だ、自然淘汰だ、とばかりにダーウィニズムが生活のレベルにまで敷衍されてしまった(ダーウィンのために言っておくが、ダーウィンご本人はこんな主張をしてないそうだ)。れいわと山本太郎はこうした価値観・世界観(その延長上に相模原の障害者虐殺事件があるのだと思う)の転換を促している。

山本太郎とれいわの運動は政治運動ではない、もっと根元的な、人間の生き方の転換を目指した革命運動だと考えた方が良い。

この本の中で哲学者の森岡正博が言っているように、この運動には表の層と下の層という二層がある(p.158以下参照)。山本太郎がしばしば叫ぶように「政治でしか変えられない」社会の構造・仕組みが表の層だ。「社会正義」の話だ。彼は生きづらい人たちをいかに生きやすくするかを、「具体的な政策」として語る。


ところで、山本太郎の主張は共産主義のように全ての人が平等に、などとは主張していない。企業を国有化しろなんて言ってない。企業の自由は認めているし、金持ちと貧乏な人がいるのは仕方がないというのが前提になっている。

環境問題についてだって、僕もそうだったけど、これまでなら経済成長というのは環境問題にとって悪であるというおぼろげな感覚があった。環境を守っていくにあたり人間が一番の悪なのだとか、もうこれ以上経済発展しなくていい、多少の不便があっても僕らは人間という地球上の生物の一つとして身の丈にあった生き方をしていくべきだと、なんとなくそんなふうに考えていた。

ところが、山本太郎はそう言わない。お金をどんどん刷って社会にもっと流通させ景気を良くして、内部留保している大企業にも日本の人々に投資したくなるようにしろ、と言う。(前から書いているように、僕は経済に関しては無知だ【金持ちの家庭ではなかったのに、子供の頃からお金というものを軽蔑していた、いや、軽蔑しようとしていた、いや、軽蔑するのがいいのだと信じていた 笑】から、山本太郎がいうことが正しいのか、本当にできるのかわからない。もちろんこれが正しく、できて欲しいと思っているけど。。。)


何れにしても、こうして具体的に政治という仕組みを使って社会を良くしていこうとする運動が表の層だとすれば、上記のように、人生とは何か、僕が、君が、あるいは彼が、彼女が、彼らがこの世に生まれたのはどういうことなのか、これをじっくりと考えてみよう、というのが下の層、山本太郎の運動の「底流」だ。この運動を支える「理念」だ。

人間の生を金勘定と重ねていいのか? 何かを決断する時、それは純粋に「自己決定」という言葉で語れるのか、そしてそのいわゆる「自己決定」の結果生じたものを「自己責任」という言葉で受け入れるべきなのか? そうじゃあないだろ! 「たとえ私がどんな人間であれ、ここにいて構わないし、誰からもそのことによって責められない、という風に全ての人が心底思えるということ」(p.159) これは政治の面で変える話であるとともに、僕らの人生観にも関わってくる。山本太郎の主張の「底流」にはそういう、僕ら誰にでも関わる深い哲学(というとお大げさだが)があると思う。

山本太郎の運動は単なる政治運動ではない。


拙ブログで10年近く前、最初にブロ友になった一つ歳下の方が先日急逝されました。FBのリベラルなグループでの、誠実かつ真っ正面からの発言に、いつも敬意を抱いていました。誰かリベラルな政治家を具体的に名前を出したり応援するというのはこの方のスタイルではなかったから、山本太郎について直接語ったコメントはなかったように思いますが、口には出さずとも山本太郎の運動に関心を持っていたことだろうと信じています。この運動の行く末を見られなかったこと、さぞや残念だっただろうと思います。この場で改めて心よりご冥福をお祈りいたします。


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アンコウ

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あんけ・たつや。欧州ロードレースに興味を持ってすでに30年以上。主にドイツ人選手を応援。特に青田刈りにいそしむ。歳にも関わらず、あらゆる点ですごいミーハー。そのほか好きなものは、読書、音楽はバッハと友川カズキ、北方ルネサンス絵画、映画、阪神タイガース(村山、江夏以来ですが、強すぎないこと希望、弱すぎはもっと困るが)。北欧の社会民主主義に対する憧れ強し。家族構成は連れ合いと娘三人。

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