
関東大震災時に行われた人種差別に基づいた大虐殺(あえてこの言葉を使いたい。なぜなら、同じように人種差別に基づいたナチスドイツによる1937年の「水晶の夜」事件での死者が100人足らずだったのに、こちらの死者は数千人に上るからである)については、同じ著者の本を紹介したことがあったのでそちらもご覧いただきたい。
「加藤直樹「九月、東京の路上で」覚書き」なぜ題名が「トリック」なのかといえば、虐殺否定を主張する工藤美代子・加藤康男夫妻の本が、書いた本人たちですら信じていないようなことを、様々なトリックを用いて強弁しているからである。この本では主にこの工藤・加藤夫妻の書物を取り上げ、その「汚い」(言葉の正しい意味で「汚い」)やり方を徹底的に暴く。
世の中には資料を誤読して、間違ったことを主張している本はたくさんあるだろう。だが、夫妻の書いた本は、悪意の塊である。様々な文献の都合の良いところだけを引用、都合の悪いところは省略して、あたかも震災時に朝鮮人による暴動があったかのように書くのである。完全なデマ、のちになってそれがはっきり否定されるデマの部分を切り出して、それを暴動のあった「証拠」だと言い張り、果ては存在しない史料や証言を捏造するのである。
関東大震災では昼食どきだったため、大規模な火災が起きた。それを「火災があれほど広がったのはおかしい、誰かが放火したに違いない、だから『朝鮮人の放火があったとされるゆえんである』というめちゃくちゃな三段論法」(p.68)。こんな「汚い」本をよくまあ出版社も出したものだと呆れる。産経新聞出版部だそうだ 笑)
少し前の山本太郎の街宣でも、質問者が震災時の朝鮮人の暴動のことを唐突に発言して、山本太郎がいなしたことがあった。また、僕自身、
一見ネトウヨではないかのようなふりをしながら、偉そうに海外の文献がどうとかこうとか言っているネトウヨ氏から何度もコメントももらったことがあった。無論それには当時の僕の分かる範囲で反論したが、今なら同じようなコメントを貰えば、この本をもとに、完膚なきまでに論破できる。何れにしても、読みながらデ・ジャ・ヴ感満載だった。つまり
以前紹介した山崎行太郎の曽野綾子批判、
「南京事件」を否定する連中や
「沖縄問題」のデマを流す連中、
映画「主戦場」に出てきた慰安婦問題を否定する連中と同じなのだ。彼らは「事情を知らない一般読者を驚かせ(。。。)耳目を引きつけることができれば、それで十分なのである」(p.85) 「実際にあったか否かについて二つの対立する学説がある、と言う構図にさえもっていければ、否定論者の”勝ち”だと言うことだ。そうなれば一般の人々は、歴史の素人である自分にはどちらが正しいかわからないので判断保留にしようとか、真実は多分その中間にあるんだろうとか考えるようになる。」(p.135)
しかし、これらの否定論者たちはみんな、あったことをなかったことにして、何がしたいのか? そしてそれにコロッと騙されてしまう人たちがいる。ただ、こういう人たちはおそらく信じたいんだろう。なぜそんな、冷静に考えれば誰が考えたっておかしいと思うようなことを信じたいんだろう? まあ、よく言われるように、自己肯定感を個人ではなくもっと大きな国というものに仮託しているんだろう。自分はもっと尊重されるべきだという不満が、そのはけ口として少数者に対する差別意識と結びつく。残念だけど、そういう人たちはこの本を手に取ることは決してないだろう。
だが、嘘を承知で書いた人の方は、まさか信じたい人たちの自己肯定感だけのために、言うなればそういう人たちが気持ちよくなれるだけのために、この本を書いたわけではあるまい。
「一旦緩󠄁急󠄁アレハ義勇󠄁公󠄁ニ奉シ以テ天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ(万一危急の大事が起こったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室国家のために尽くせ)」(教育ニ関スル勅語のウィキより引用)
つまり「美しい国」ニッポンのために、ひいては自分たちのために一般庶民が死んでくれることを密かに願っている、そういう人たちがいるのである。
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