Arturo
アンコウ様先にジモンディの方に投稿してしまったので、なんかヘンな感じですが、(書かない方がよかった!?。投稿、アップ間のタイムラグによる)
とにかく脈絡上ありがとうございます。(それ以前に先日は別件どうもありがとうございました。何の話!?)
プリドールと言うと何故かヘンな記憶があり、このおじさん、メカノでもないのにヘンな事に詳しいなあ~等と思った記憶があります。
曰く、「いやハブのフリーと言うのはネジ山が3種類あってな、これがあって結構厄介だったんだ。」(確かに、英、仏、伊と3種類ある。当然ながらカセットフリーの時代ではない。)なんで、こんな話になったんだ!?いや確か、「66年のシーズンは、非カンパ仕様になっているが、回転部分(BBは行き掛かり上除く)はしつこくカンパ使っているけど、、、」みたいな事を問うたのか!?もはや記憶が判然としない!?。しかし同じタイミングのセリフで「いやあの時は、ジモンディがオレのところに来てだ、『そのプラスチック製のりヤメカ、こっちに1個回してくれないか?。TTで使いたい。』と打診された事があった。」(ホントかよ?。しかしもうウラは取れない!。ここからは余談ですが、この直後、カンパは当時日本で言うところの”オール軽合”のヌーボレコード出すので、この依頼そのものが消滅したと考えられる!?しかしもう死語だね。苦笑)と言う話になったのを覚えています。
(ハブネジ山の件はいつか新宿で紹介した技術者の方にも、「いやヘンな事詳しいオジさんですね。」と言われてしまいました。)
まあ、画像については、先にSNSに投稿したとおりですが、しかしメカ系はともかく、一般論的にも、不可思議な運命たどった選手と言うのは揺るがないですね。生前解説中のフィニョンも言ってましたが、とにかく「あれだけ走って(挑戦してかつ表彰台に登っていながら)たった1日もジャージを着る事がなかった。」に尽きるでしょうねえ、、、(64年の例の暫定14秒が、もっとも近づいた瞬間!?)
それとTTが苦手の如き印象を与えてしまった様な不公平感がありますね。
しかし実際のTTは、かなり獲っていて、この場合むしろアンクティル(メルクスも)が異様に速かった、と見るべき!?(一寸89年の8秒差のヴェルサイユーパリのフィニョンと相似化出来る!?。あの日フィニョンは区間3位で決して遅くない。デルガドは遅かったけど!?。彼の前を走ったのは、非DHバーでは同僚のマリーのみ、64年の最終決戦のヴェルサイユーパリとかなり相似化可能!?。やはりプリドールも区間3位!?ゴール直後の映像には、今度ばかりは最高の走りをした、奴を打ちのめした感アリ!?)