表彰式にはきっと出てくると思っていたフェデリコ・バーモンテス、やっぱり出てきました。なんてったって、現役時代のあだ名は「トレドの鷹」ですからね。本人曰く、自分が登りに強くなったのは子どもの時にトレドの町で、ジャガイモを積んだ自転車に乗っていたからだ、とか。
この人については色々な面白いエピソードがたくさんあります。1959年にツールで優勝しているんですが、当時は登り頂上ゴールというステージは存在してなかったので、下りの苦手なバーモンテスは若い頃は山岳賞にしか関心がなく、頂上にトップで到着すると、そこに出ていたアイスクリーム屋の屋台でアイスをもらって、それを舐めながら後続が追いついてくるのを待っていたそうです。
他にもフランス語で話を始めると、フランス語の1人称の人称変化ができなくて、インタビューを受けると自分のことを「彼は〜」と他人事のように語って、おかげでフランスで人気者になったとか。
YouTube には当時の映像がありますが、それで見るとまるで買い物自転車に乗っているかのような突っ立ったフォームで、上半身を振って、まあ、正直格好悪いです 笑) ただ、このフォームって、ジロで5回山岳賞を取っているマニエル・フエンテとか、ツールで2位になったことのあるフリオ・ヒメネスなんていうこの時代のスペイン人クライマーたちに共通した特徴です。
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第19ステージ、165km、30位、+00:05
C: どんな日だった?
デーゲ: 13日の金曜日だった
C: この日のテーマは落車と、モビスターが待たずに走り続けたってことだね。君はこの状況はわかっていた?
デ: 雨で濡れた下りでの惨事だった。幸いにもエディとアレックスとともに前にいて被害に遭わずに済んだ。5人か10人ぐらい後ろだったら、巻き込まれていたね。
C: で、君はモビスターのアクションをどんな風に感じた? 何人かの選手たちは、すぐにペースを落とすべきだったと批判しているけど、君はどう思う?
デ: うん、僕の考えだけど、あれは無茶苦茶反スポーツ的だったね。ああいう状況ではスピードをあげちゃダメだよ!
C: 最後はとても速かったね。でもカバーニャが逃げ切った。後ろの集団での落車がなければ、追いつけたと思うかい?
デ: カバーニャは馬車馬みたいだからね。どっちにしても微妙なラストにはなっていただろうけど。でも「たられば」は自転車競技では存在しないからね。
C: ありがとう、ジョン、明日がまだあるね。そのあとはマドリッドだよ。
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昔のレースの話などを読むと、コッピやバルタリの時代には相手のパンクやメカトラを利用してアタックっていうのは普通にやられてたようですけどね。特に、当時は選手たちが予備タイヤをタスキ掛けしていた時代ですから、そばにチームカーがいればともかく、いなければ自分でタイヤを張り替えなければならなかったわけなので、時間もかかったからねぇ。
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