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ジモンディ、死去

2019.08.17.13:26

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(我が家にあったジモンディのキーホルダー。まあ、今の目で見りゃあちゃっちいもんですが、もう50年前のものですからね)

76歳。まだ早いなぁ。シチリアでの休暇中に心筋梗塞で亡くなったそうです。60〜70年代のメルクスの好敵手とされた選手です。1973年にはメルクス、オカーニャ、マルテンスと4人のゴール勝負で勝って世界チャンピオンになっています。これについては以前にも色々書きましたし、Arturoさんからも詳細なコメントがありましたが、まあ、要するに、この中ではマルテンスのスプリントがピカイチだったのに、彼のフランドリアチームはシマノが付いていたため、メルクスがお前は勝つな!と言った(マルテンス自身の主張)という「伝説」?「神話」? があります。

またツールでは65年、ネオプロとして22歳で優勝しています。これはジモンディにとってものすごくラッキーなことでした。1つは、本来彼はツールのメンバーに選ばれておらず、病気になった選手の代わりに出場することになったということ、そしてもう1つは、何より怪物メルクスがまだ登場する前だったことでしょう。そしてこの勝利によってプリドールがまたまた2位になったのでした。

ジロでは3回総合優勝してますね。しかしここでも69年の優勝は微妙なものでした。この件についてもすでに書きましたが、つまりメルクスがドーピング違反を理由に途中で失格にされて、繰上げでジモンディが総合トップになり、そのままマリア・ローザを守ったのでした。ところでジモンディはジロに14回参戦していますが、全て完走、しかも15位以下になったことがありませんでした。

そしてブエルタは68年に総合優勝、この時点で三大ツールに勝った二人目の選手になったのでした。一人目はアンクティルです。

さらに、パリ〜ルーベとグランツールの両方に勝った最後の選手というのはケリー(ブエルタ88)が最後ですが、ジモンディはパリ〜ルーベにも勝っています。他のクラシックでは、ミラノ〜サンレモ、ジロ・デ・ロンバルディア(2勝)などですね。イタリアチャンピオンにもなってますね。

1998年パンターニがツールで優勝した時、表彰台に上ってマイヨ・ジョーヌを手渡した初老のジモンディ、とても品が良く、穏やかで、スタイルも良く、格好良かったです。でももうあれから20年以上になるんですね。

合掌


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comment

Arturo
アンコウ様
  しかし、そんなやり取りをしていたら、ジモンディとはかなり時代が重なってる今度はプープーが世を去ってしまったようなので、この時代の人もだんだんそっち系の世代になってしまった事を再認識し始めています。
  勿論、独立したコーナーを作って貰えましたら幸いです。
  宜しくお願いします。
2019.11.13 21:29
アンコウ
Arturoさん、

ツール優勝者では最高齢がバーモンテスかな? 次は誰だろうと調べたらヤンセンとかエマールという60年代末に優勝した選手たちが80直前になるのね。
2019.08.23 23:31
Arturo
アンコウ様
  ここまで来ると脱線の脱線ですが、先に書いちゃった手前、その脱線を、、
先に二人の男が、葬式行く準備してるんじゃあ、等と書いたのですが、この二人、案の定、葬式に参列した模様。
  話はこれでオワリじゃあなくて、こんな事がローカル新聞の記事ネタにもされる。つまり、当事者じゃあなくて、その関係者が新聞に登場する。(投稿には画像添付できないので、記事画像アップ出来ませんが、、、当該記事、オマケとして、ポッジャーリじゃあなくて、記事になっていたのは、親父モーリ、プリモの方だった!。勿論ローカル新聞ですけどね、、、)まあ並の男が死んでも関係者が記事ネタにはならないけど、(そもそも死去がネタにならないだろうけど、、、)その辺を考えると、彼の地ではホントにジモンディはあの時代のヒーローだったんだな、と再認識した次第です。(当然ながら、日本では全く報道されないけど、、、まあ、逆当たり前としては、いつか王、長島が死んでもイタリアじゃあ(ドイツも勿論!?)全く報道されないだろうからね。なんか縁起でもない例えだけど、、、)

  あえて継ぎ足すとすればイタリア人の心情で考えると一寸早い別れだった、と言うのはあるのかも?
  実際ジロの歴代の勝者の中では、世代的に一番若いのでは(別れ)?等と思いました、、、。(悲劇性のある病気、病没、謎の死、まあパンターニとかフィニョンとかは、ここではカウントしないとして、彼らは不自然に早死にした、と言う事で、あくまで世代的なニュアンスで、これが例えばツールだったら、オカーニャも同カウントと言う事で、、今亡くなっていたらまさにジモンディと同世代、、、)

  と同時に自分でも同時代性があると思っていた世代の人がこうなる、と言う点では、いつの間にか時間が経過してるんだな、とトボけた事を今頃思った次第です。前述の宇都宮(の騒動!?)も、間もなく30年経過!と言う感じで、、、バルタリが死んだのがついこの前じゃん、(”ガォル”クブレーも同様!?)だったのが、、時間経ってんだなあ、、、、、(苦笑、しかし今回のはグレードが高い、、、)

  逆にバーモンテスとか、更に凄いのはジェミニアーニが健在なのが光る!?
2019.08.21 10:42
Arturo
アンコウ様
 まあ、ジャージ枚数の件は、有った(当時存在したしないなど、、或いはヴエルタみたいにまともに開催されていたいなかったみたいな)なかったの不公平感で言うと後世も着目した方がいいかも?6枚目があるとすれば、ワールドカップ(ワールドツアー)ジャージなんてのはどうですか?。但しこの場合、6枚全て所持した当該選手なんてのは実在しない理屈ですが、、、但し、前述の3人中2人までは、”代品”を用いれば、適用可能!?。つまり、そうジャージは存在しない!?けど、スーパー・プレスティージュ・ペルノーを代用適用させれば!?。個人的にはNo.4ジャージよりは、シーズンを通して活躍する必然性が高くなる、と言う点で選手のパフォーマンス評価の客観性向上にはなる!?。まあワールドツアー辺りもその辺をカウントしようして始めた、という側面はあるんだろうけど、、、
 いずれにしても、確かにハードルを3枚まで下げると対象者はかなり増えますね。バルディーニ、ジャック(ジャックは仏ジャージはある事はある。すると4枚、と言いたいところだがしかし、、、)アドルニ、オカーニャ、モゼール、メルテンスやモゼール、サロンニ、フィ二ョン、インドゥライン、ブーニョ、オラーノ(取り消しがなければランスも!?)とまあ僕の時代の有名どころもこれでかなり網羅される!?。(多分他にもたくさんいるだろうけど、、、)くだんの6枚目ジャージ!?もカウントすると、意表付いたところではムゼーウだのベッティーニとかね!?(笑 冗談)勿論後世の選手も誰かいるでしょうが、其の辺はご容赦!?(苦笑)

  ブレーキレバー右前の件、僕個人は自転車凝り出した時(=小学生)、これはカッコいいと右後ろにしてしまい、そのまま今に至ってしまいました。(もうその昔浮間の名人がかつて発したセリフ、「(人間)一度ついてしまった習慣はね、簡単に変わるもんじゃあないからね。」を地で行く話!?かつ精神年齢の知れる話!?苦笑)
  只、個人的にはワイヤーがステム上でクロスしてなくても格好悪いとは思わないですけどねぇ、、。但し同様の事は過去聞いた事がままあるので、アンコウ様の感覚に異を申し立てるつもりも別段ないですが、、
  この件大いなるナゾと書きましたが、大いなるナゾついでに、一寸アンコウ様の管轄とはズレますが、僕にとっての大いなるナゾ、その2も書いておきます。
  なぜイタリア車(勿論レーサーの話)はブレーキが前後異寸だったのか?但しカンパサイドプル出現(1968)以前の話です。イタリアだけに見られる現象、、、前述の浮間の名人にも訊ねた事があったのですが、すげなく「知らない。」と言われてしまいました、、、。
  「さすがチコちゃん、イタリアの自転車のブレーキの歴史の秘密まで知ってるなんて、将来は自転車のエンジニアかな。」と答えてくれるのは当番組初登場の~、、、の対象者になる人物は日本にはいない!?(笑)
2019.08.19 22:42
CYPRESS
私CYPRESSの世代でジモンディと言うと、1976年のジロね。
当時33歳だったジモンディ、その歳でグランツールに勝てるのが、
後に驚きになるのである(笑)。
だから特に印象深い。

1976年当時、海外の情報はサイスポ誌の千葉洋三大先生の記事しか無く、そこに現れたNC誌のキヨミヤザワ氏のイタリア便り。
それ以前、1973年に島野の中村博氏のフランドリア・シマノ便りがNC誌にあったけど、雑誌の存在も知らなかったしサイスポ誌も読んでなかった。
キヨ氏、ジモンディが勝ったベルガモと最終日のミラノを見に行きました。
でも、衝撃的だったのが最初の区間でカスのサンティスティバンが事故死(@_@)。
キヨ氏が書いていた。
下りのガードレールで頸動脈を切り、即死だったらしい。
その後、10年ほどしてアネ・ド・シクリスム1976年版を手に入れたら、
その時の写真が載っていて、すんごい量の出血。
日本の雑誌には載らん量で改めて即死を納得。

1976年と言うと、
メルクスのモルテニ契約の最後の年。
宮田がまだメルクスと契約しオレンジのメルクス号を作り、売っていた。
宮田はNC誌に広告を出していて、これがメルクスリポートと言った体で、
楽しみでしたなぁ(^^♪。
メルクスの最後の偉大なレースでの勝利、ミラノ~サン・レモ優勝。
メルクスはツールに出ず、ファン・インプがツール優勝。
乗ってたジタンのフレームはチネリのA1ステムが上を向いていた。
ヘッド角70度位しかなく、トップチューブが短く、乗りにくかったんじゃないだろうか?
フロントセンターを稼ぐために違いなし。
サン・ラリー・スーランで区間優勝した時、前輪を左右間違って付けていた。
クイックレバーが右側に来ていた。
ファン・インプが優勝して以来、ベルギー人は優勝してない?
ベルギーの若獅子フレディ・マールテンスがイタリア、オストゥーニで世界チャンピオンになる。
モゼールとの一対一のスプリントに勝った。
プロチームのリムは殆どマビックのSSCになる。
サンツアーのシュパーブが発表され、市販は翌1977年から。

ロードレース映画の2大傑作の一つ、"A sunday in hell"を撮ったのが、
1976年のパリ~ルーベイ。

ジジィだから、こういう昔の事はすらすら書けるのである(笑)。
2019.08.19 18:29
アンコウ
Arturoさん、

僕も自転車始めたばかりの頃に右前左前を気にしていたことがあります。当時見た写真でボンテンピが右前で、正面から見るとワイヤが交差しなくて格好悪かったんですよね 苦笑)

バイクに乗る人は右前にしないと危ないというのも聞いたことがあるけどどうなのかなぁ。僕は右利きなので、しかも握力差は20キロぐらいあったので、右前にすると前方宙返りしそうな恐怖感があってダメでしたね。イタリア人が右前が多いというのは結構昔から言われていたような気がするけど、なんででしょうかね? なんか昔のサイスポネタにあったような気がするけど。。。

いやあ、コッピの時代のブエルタって中止だらけでまともに開催されてないからね。ステータスは全然お話にならなかったんじゃないですかね?

そういえばバルタリも、スイス勝ってるから4つマイヨだわ 苦笑) 3つなら結構いそうですね。ただ、やっぱりブエルタがまともなステータスになるのは1960年代以降だろうしね。比べるならその後からですかね。ジラルデンゴなんか入れると世界戦もブエルタもスイスもまだないからなぁ 笑) ビンダは世界戦とジロとイタリアチャンプ。ツールは1回しか出てないしねぇ。
2019.08.18 21:36
Arturo
アンコウ様
  そうですね。今更ですが、宇都宮には来ていました。当時友人と同行していたのですが、もうミーハー丸出しでサインを貰っていました。(この友人もジモンディのファンで喜んでいた。)持っていたジモンディ&メルクスと言うビチスポルトの別冊号の表紙にサインをして貰ったら、なぜか、(これ以上頼んでないのに、)「ここにサインしていいか?」と逆に尋ねられ、当該場所を見てみると、そこは65年ツール、パルク・ド・プランス、監修に囲まれ、マイヨージョウヌを着た彼が右腕を高く挙げた写真でした。
 (そう言えばで関係ないですが、最近各種物を捨ててアンコウ様とも物議を醸しましたが、このビチスポルトはなぜか未だに手元、文字通り手元にあります。投稿では画像添付多分できない?ので送りませんが、、、いずれにしても近未来に各種ダンボールを又送る事が想定されるので、こころの準備又お願いします。苦笑)
  そう言えばですが、当時、アドルニとかバルディーニとか、他にも色々見かけたような!?。イタリアチームのチーフメカニックはピアッザルンガという人物で、くだんの73年世界選でも優勝車両のメカニックでした。彼のベルガモの自宅地下のガレージ作業場にはこの73年仕様そのものが飾ってありました。まあ普段はビアンキチームのメカニックなんだけどね、、、

  でも”惜しかったね”パターンは他にも各種あると思われますが、元祖、先輩はやっぱコッピ!?。彼の時代のヴエルタには、そもそも、後世のプレステージがあったのか?。(参加チームは10チームいかない!?)天上で、「こうなるんだったら、獲っときゃよかった!」今頃は言っている!?(でもね、彼の全盛期はろくろく開催してないけど、、これは不公平感大アリ!?ズートメルクよりは惜しかった感なし!?ズートメルクの時代はジロちゃんとやってたもんね!?)
  でも、ズートメルク5位は知りませんでした。してみると、くだんの4人組がゴールした後の最初のゴール選手となる!?。

  6枚目のジャージかあ、、でも確かにNo,4はスイスと言う事になるけど、カテゴリー上は僕個人はカテゴリー外のレースで(三大ツールの下カテゴリーになる。少なくとも僕の時代は、、、)個人的にはドーフィネとかパリニースとかとも重み的に混同しちゃんですよね。(するとジャージがどんどん増えていく!?)

 ついでに横槍ネタをひとつ。
  右レバー前ブレーキと言うのはどういう訳かジモンディのみならず、イタリア人に多い!。でもなんで?。
  これは僕にとっても大いなるナゾで、その昔プレスルームで各種”高名”なる各プレス先生にも聞いて回った事もあるけど、今に至るも、「なるほど!」と言える回答をくれた人物に会った事がない!。(誰か投稿してくんないかな?ムリ!?苦笑)
   コッピ バルディーニ (前述の)アドルニ(大阪万博イタリア館仕様も!?) ジモンディ ビトッスィ モゼール ブーニョ パンターニ カーザグランデ、シモーニ ついでにチッポリーニと今イタリアのメジャー系名前を挙げましたが、今あげたメンバー、僕の記憶が正しければ全員右前レバー仕様です。なんでこうなるの?。(すみません。逆に近世の選手の知識欠落してます。苦笑、、、)そうだ、ついでによく名前を出すポッジャーリも書いとこう。でもよく考えると、彼もそしてやっぱ名前を出すモーリの親父のプリモも、全員サルバラーニでジモンディと走ってんだよなあ。今頃本当に葬式行く準備してんじゃないのか?等と余計な事まで思い出してしまった(!?)
   レバー右の件、逆にイタリア外では、これが?まるで見ない!?。どうなってんの?確かヘレラか誰かが、右前状態になってて、「何コイツ、イタリア人でもないクセにヘンなヤツだな!?。」等と逆に思った記憶アリ。更に芋づる式に不可思議な事を思い出したのは、いつもは当然右後ろ組みにしているインドゥライン、これが96年ヴエルタ、彼が選手としての最後の姿を見せる事になった、ラーゴス・デ・コバドンガスのステージ、あの日の彼のマシンは右前だった!。なぜだ!?彼はコバドンガスの登りにかかる、前の部落、カンガス・デ・オニで自転車を降りる事になるけど、、降りた時の写真を見て何これ?と思ったのも思い出しました。う~む、、、(もうレースやる気ありません。の恣意行動の一環だった!?)

 かくなる上は年齢を5歳と詐称して、チコちゃんに訊くしかない!?(爆)
2019.08.18 21:09
アンコウ
CYPRESSさん、

私の記憶では若くして亡くなったM君が会場から駅までのバスの中ですぐ前にジモンディがいたと言ってましたよね。それから彼はベルギー選手団に囲まれて、さらにM君はベビーフェイスなのに赤ん坊を連れていたから、ベルギー選手団から驚かれてハンチング帽をもらったと、そんなことが芋ずる式に記憶の彼方からよみがえってきました。もう30年前ですね。
2019.08.18 11:19
CYPRESS
な、な、な、何ですとぉ~?!
私CYPRESS、彼の現役時代の晩年を知っている世代の一人であります。
右で前ブレーキを掛けていた珍しい選手の一人でした。

ビアンキのスペチャリッシマ・スーペルコルサを手に入れ、
いつか再来日した時にサインを書いてもらおうと思っていたのに…(T_T)。

宇都宮には来ていましたなぁ、仲間内の誰か写真を持っていました。

ニキ・ラウダに続き、高校時代のヒーローがまた一人旅立った(T_T)。

requiescat in pace

2019.08.18 00:42
アンコウ
Arturoさん、

なるほど、メルクスがツールをやめてブエルタに出て勝ったのが73年春、ジモンディの世界チャンプが同年の秋。タッチの差で2番手かぁ。イノーが3人目だね。でも、もう出ないでしょうね。でも、スイスも入れるとメルクスは6枚?

うーん、ズーテメルクが惜しかったね。でもジロには優勝どころか、出場もしてないかも? ところで、ズーテメルクって73年の世界戦で5位になってるのね 笑)

ジモンディは宇都宮で来てたよね? 若くして亡くなったチームメイトが帰りのバスの中でジモンディを見たと言っていたような記憶があるけど。
2019.08.17 21:53
Arturo
アンコウ様
  二人目の選手と言うと、個人的には五枚のジャージ(三大グランツールタイトル、世界&ナショナル選手権のしめて5枚)全てに袖を通したのも二人目と言うイメージがあります。と言うか僕の知る限り、そもそも史上3人しかいない!?。(近年の知識が逆に欠落していますが、でもいないでしょう、多分、、、)
 オマケにこの5種のジャージ、残り二人のうちのひとりの男と同時代に獲ってるんだからすごいもんです、、、、。

 いつか随分前、ジロのコースプレゼンにこのもうひとりの男とダブルで招待され、プレゼンの壇上に登壇。(この時はこのジロ、ベルギースタートである事が既に案内されていた。)
 ブルバレッリと言う進行役からインタビューを受けていましたが「あなたにとって、この男は?」と尋ねられ、「私の(選手キャリアにおける)最大の問題 mio grosso-problema だ!。」と答え、会場の爆笑を誘っていたのもついでに思い出しました。

 そう、よく考えたら日本にも来てたんですよね。少なくとも2回は。
2019.08.17 20:07

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アンコウ

アンコウ
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あんけ・たつや。欧州ロードレースに興味を持ってすでに30年以上。主にドイツ人選手を応援。特に青田刈りにいそしむ。歳にも関わらず、あらゆる点ですごいミーハー。そのほか好きなものは、読書、音楽はバッハと友川カズキ、北方ルネサンス絵画、映画、阪神タイガース(村山、江夏以来ですが、強すぎないこと希望、弱すぎはもっと困るが)。北欧の社会民主主義に対する憧れ強し。家族構成は連れ合いと娘三人。

* 時々コメントが迷惑コメントとしてゴミ箱に入れられることがあるようです。承認待ちが表示されない場合は、ご面倒でも書き直しをお願いします。2017年8月3日記す(22年3月2日更新)

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