rsnに載っていた50年前のジロ・ディ・イタリアの話題。1969年はエディ・メルクスが総合トップでドーピングチェックに引っかかって失格になったのでした。ただ、このドーピング騒動、かなり怪しいことで有名です。なんてったってあの時代のイタリアですからね 笑)
この騒動、メルクスのドキュメンタリー La Course en Tete (1974) でも扱われている有名な話です。(52分ぐらい)
VIDEO この冒頭のジモンディが勝つ73年の世界選手権の映像は今見てもワクワクしますよ。メルクス、ジモンディ、オカーニャ、マルテンスの四人のスプリントですからね。それ以外もこのドキュメンタリー、貴重な映像満載だし、何より16、7世紀の作曲家プレトリウスの舞曲音楽が映像に呆れるほどマッチしています。最後のスローモーションシーンなんか涙出そうになります。ぜひご覧になってくださいませ。
それはともかく、前年の68年、メルクスはジロで総合優勝していて、連勝は確実と思われていたところ、TV局のRAIがメルクスのドーピングを報道、TVクルーやレポーター達がサヴォナのホテルでメルクスの部屋に入り、ジロのレースディレクターがメルクスに失格を告げるシーンを放送したのでした。最初は驚き、その後ドーピングを否定しながら泣き崩れるメルクスの映像はヨーロッパ中に広まったのでした。
前日第16ステージで、メルクスは5日前に獲得したマリア・ローザを守っていたのですが、二日前に検査された尿から興奮剤が出たということで失格。しかし、ベルギーはもちろんフランスのメディアも、マフィアが絡んでいて、イタリア人以外の優勝が続くことを許さなかったのだという推測を掲載します。
翌日、突然総合トップになったフェリチェ・ジモンディはマリア・ローザの着用を拒否しますが、むろん儀礼的なもので、彼にとって2回目の総合優勝が決定します。そしてメルクスはドーピングだとされたわけですからUCIはメルクスを二ヶ月の出場停止にします。これによりメルクスはツールも出場できなくなったのですが、これに対してベルギー車連が猛烈な抗議。UCIはそれを受け入れて出場停止は二週間に短縮、メルクスはツール・ド・フランスに初出場することができたのでした。
ツールでの成績はもう予想通り。ステージ6勝、2位4回、3位1回。つまり全ステージ22のうち半分で3位以内というものすごさ。総合優勝は無論のことスプリント賞も山岳賞も独り占め!! 翌年のジロでは改めて総合優勝。結局ジロでもツールでも5勝!!
まあ、マフィアが絡んでいたかどうかは藪の中だし、そもそもドーピングチェックそのものがまだ未熟な時代の話です。2年前のヴァントゥでのトム・シンプソンの興奮剤による死亡事件でようやくUCIも重い腰を上げたところだったので、信ぴょう性もかなり怪しいものだったでしょうし、医者と選手がツーカー状態だったのは70年代終わり頃でも証言されていることですので、完全潔白なメルクスが陥れられたのは間違いない、なんて断言はできませんが。。。
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